在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
息子の成績低迷と反抗期(長文です)
中2の息子の成績低迷と反抗期に心底悩んでいます。
今まで素直で優しかった息子。
小学校からの一貫校に小学校受験で入学したため、中学進学後のハイレベルな授業について行けるようにと、毎日のように塾や家庭教師をつけて勉強させました。しかし、成績は低迷を続けるばかり・・。一時は危ぶまれた中学進学に、なんとかギリギリで通りました。
しかし、現実は甘くなく、中学入学後はいきなり深海魚。焦った私は、毎日家庭教師をつけて息子を勉強に向かわせようとしました。
夫婦共働きで、何とか学費を捻出している我が家ですが、時に数十万にも及ぶ指導料に対して、僅かながらの貯蓄を切り崩し支払ってきました。
結果、全く効果は無く成績は下降を続け、遂に学年最下位になりました。勿論付属の高校へは行けそうにありません。
素直な息子は、長年私が敷いてきたレールの上をひたすら我慢しながら走ってきたのだと思います。時には何らかのサインを出していたのだと思いますが、愚かな私は気づく事ができませんでした。
今年の夏頃から、突然手のひらを返したかのような反抗が始まり、「もうほっといてくれ」と言って、全く勉強する事なく、ふらふら遊び回っています。
ちょっとでも強く言えば、更に強い口調で反抗し、物に当ったりしています。親への暴力はありません。
学校ではクラブも続かず、勉強が出来て逞しいお子さんからはバカにされ、まじめでおとなしいお子さんからは恐れられ、友達もいません。
その為か不登校気味です。それでも新しい環境への適応を恐れてか、転校はしたくないと言っています。
世の中全てを敵とみなしているような反抗的な態度が本当に心配です。最近では近所の悪い友達とも付き合うようになり、非行に走ってしまうのではないかと心を痛めております。
幸い、学校は先生方が大変温かいので、息子の為に一生懸命になってくださり、「学校と家庭で連携して息子さんを良くしていきましょう」と言って下さっていて、本当にありがたいです。しかし、そんな先生方にも息子は大変反抗的な態度です。
愛情一杯に大切に育ててきたつもりでした。塾や家庭教師も息子のためと思って続けてきたつもりでした。カウンセラーにも相談し、精神科の先生にも診て頂きましたが、全く異常はありませんでした。
私自身、どうしたら良いか分からずに途方にくれています。息子に良かれと思ってしてきた事は全て間違いだったのでしょうか。家庭教師への支払いがかさみ、もう貯蓄の全てを失い、生活までも危ぶまれています。
本人は「高校へは行く(内部という意味ではありません)」と申しておりますが、このままでは行ける高校も無いのではないかと思います。
この先、息子をどう導いて行ったら良いのか、どうしたら落ち着きを取り戻してくれるのか、
どうしたら、自尊心を持たせてやれるのか・・。
強い反抗期や非行に走ってしまったお子さんを立ち直らせたご経験がおありの保護者様がいらっしゃったら、ぜひアドバイスを頂けないでしょうか。私自身が鬱病になりかけている状況で毎日泣いて暮らしています・・。乱文で恐縮ですが、宜しくお願い致します。
その後のスレ主さんが気になります。
お元気にされているのでしょうか?
私も最初から2時間ほど一気に読んでしまいましたが、スレ主さんやまわりのお母様がたの気持ちがよくわかります。涙も出てきてしまいます。
同じ年頃の男のこをもった母はだれもが経験してると思います。
我が子も中学受験をして今年入学しましたが、本人の意思ではない受験だったため、6年の後半から登校拒否状態、入学後も問題行動おこしまだ6月だというのに3回も学校へ出向いています。
男のこは本当に大変!
悩みがかわるだけで 子育ては 永遠に ですよね。
高校野球のシーズンが はじまります。
先輩の応援に 球場にいかれると。 おかあさまも ご一緒に。
学校が 好きになるかもしれません。野球部でなくても 。みんなで応援。
もしも お時間 ゆるすようであれば。
一生懸命な 高校生の姿を みると 「私も 頑張らなきゃ」って思います。
オリンピックも 東京へ。競技場へいき 応援するつもりですが
選手の成長が わかると 楽しみもふえるかと。
「水球ヤンキース」ドラマが はじまりますが 7月12日 スタート
水球って? 早稲田スポーツより
◆齋藤有寿(さいとう・ありす)
1994(平6)年4月14日生まれ。161センチ。山形工高出身。スポーツ科学部1年。自身の目標をリオデジャネイロ五輪でのメダル獲得と語った齋藤選手。ワセダにも海外交流の豊富さから入学を決めたそう。「ワセダから世界へ」の言葉通り、世界へ大きく羽ばたいていってほしいですね!
――固城侑美主将(スポ4=東京・藤村女)はどのような方ですか
すごく凛としていて、侑美さんがいるとチームにしまりができるんですけど、でも笑いもつくってくれるのでチームの雰囲気を良くしてくれています。
――目標としている選手はいますか
侑美さんです。ポジションが一緒ということもあるんですけど、コート全体を見たゲームメイクなどをこれから見習っていきたいです。
――水球を始めたきっかけは
父と母が水球経験者で父が高校の教員をしながら水球を指導していて、物心ついた時から水球が身近にあったのでやっぱり興味は自然と出てきてそこから始めました。
――小さいころからずっとやっていたのですか
はい。始めたのは小学4年生の時で割と遅いんですけど、身近に水球はあったので。自分は将来やるんだなって思ってました(笑)。
――齋藤選手にとって水球はどのような存在ですか
二十歳になったんですけど、二十歳になった時点で水球しかしてこなかったなと思ってて、水球をするためにワセダに入ったんですけど。いまのところ私の人生そのものになってるかな、と思います。
――水球の魅力はなんですか
ふつうの球技とは違って、水の中でやることです。観客の皆さんからは見えないいろいろな駆け引きが水の中で行われていて。なかなかそこを鍛えるのは難しいんですけど、やっているうえでは水の中に奥の深い世界があるので、そこが魅力です。
――最初に代表に選出されたときはどのような心境でしたか
代表になりたいとは思っていたんですけど、その時点で自分がなれるとは思っていなかったので、嬉しかったのもありますが驚きが一番でした。
――国際試合を何度も経験していますが、どのようなことを感じますか
日本人と海外の人とプレースタイルとか体の大きさとかが違うので、海外の選手と試合すると動きの幅だとかを知れるので、自分が成長しているなと感じます。
――特に印象に残っていることはありますか
自分も日本では力が強いほうなんですけど、海外の選手と比べたら片手でひねられちゃったりとか歴然としたが差があって。イメージしてたよりも世界のカベは高いけど、そこに挑戦していきたいなと思います。
――12年度には日本代表にも選ばれました
高校3年生だったんですけど日本の代表として戦ったので、プレッシャーはすごかったんですけど、そのときに周りの人から支えられているんだなと感じることができたのでとても良い経験になりました。
――高校時代は父親が監督ということですが
山形には水球のチームが一つしかなくてプールも同じところでやっていたので、直属ではないんですけどずっと父が指導している姿を見ていました。なので意外とみなさんが思っているほどやりづらさはなかったです。でも父と先生というのは一応分けてやっていました。
――ワセダに入学を決めた理由は
いまやっている大好きな水球を続けられるということが一番大きかったんですけど、これからやっていくうえで水球だけではなくていろいろな世界を見てみたいと思ったときに、ワセダには海外との交流があるのでそこも大きかったです。
――浪人をした経緯というのは
すごくしょうもない理由で(笑)。私は自己推薦で入学してきて、前の年も自己推薦を受けたんですけど、一次審査が通って、その後に二次選考の受験料を振り込み忘れて(笑)。受験の一週間前に新幹線のチケットを買いに行こうと思ったときに思い出していまに至ります(笑)。
――浪人中はどこでトレーニングをしていましたか
浪人中は主に母校の山形工のプールで高校の時と同じように練習に参加させてもらって、あとは合宿に呼んでいただいたときは代表の合宿に参加させていただいてました。
――公式戦から遠ざかっている中で14年度の代表候補にも選出されました
本当に選んでいただいたことには感謝しているし、その分自分の良い部分は見せていかないといけないと思ってます。合宿とかは参加させていただけているんですけど、試合と練習は違うのでその分をしっかり練習して、チームの足を引っ張らないように頑張りたいです。
――練習で高校と違うなと感じる部分はありますか
高校はどちらかというと体力強化をして、運動量・練習量で技術を上げていくという練習方法だったんですけど、ワセダは他の大学とも比べて選手が主体となってやっているので自分たちで戦術を考えて、頭脳を鍛える練習が多くなっています。
――関東学生リーグ戦が近づいていますが、チームの雰囲気はどうですか
いまは4年生が就活で忙しくてチーム全員がそろうことはなかなかないのですが、4年生が最後の年なので下の者が4年生の最後を飾れるようにいまは雰囲気良く頑張ってやっています。
――大学4年間での目標を教えてください
最終的には、私が大学3年生の時にリオデジャネイロ五輪があるのでそこに出場してメダルをとりたいと思っています。なので、まずはそこを目標にしていますが、毎年どの大会も優勝できればいいなと思います。
(取材・編集 角田望、吉田麻柚)
スレ主様
今日、はじめて、このスレッドを一気に読みました。
いま、中学2年生の男子の母です。
まるで、うちのことのようです。
これから、長いようで、短いだろう夏休み。
一学期の期末試験で、とても悪い成績だったので、宿題、課題、補習、たくさんのことをしないといけません。
部活に居場所があるようですが、全てをこなせるとは、思えず、途方にくれていました。
先生方も、宿題だしたら、あとは、機械的に補習をするだけ。
今日、三連休、祖母宅へなにももたず、逃げ出した息子のプリントや、ほとんど白紙のテストの山で、ゴミだめのような部屋を片付けながら、泣いていました。
わたしも、追い詰めないようと、反省しています。
第96回 神奈川大会高校野球 夏の大会も5回戦まですすみました。
慶應義塾は 桐光学園 に 2対1で 敗れました。
本当に あと 一点。泣いている姿に もらい泣き してしまします。
出身中学は 他県からも。テレビ中継をみていましたが、応援団も一生懸命な だけに 泣き崩れて。
「保土ヶ谷神奈川新聞スタジアム」平日なのに 観客席も 満員。
解説のかた「野球の応援。明治からつづく 神奈川の文化」だそうです。
朝日新聞 「白球の郷をたどって」
仕事柄 全国をまわったが 神奈川ほど高校野球フアンが熱心な土地は
ないと感じる。
「保土ヶ谷」という名前の球場があることを 僕は野球漫画「ドカベン」
でしった。ライバルたちと激戦を繰り広げる神奈川大会。
その主舞台になったスタジアムだ。作者の 水島 新司はつづった。
神奈川を制するものは 全国を制す
連載開始は 1972年 直前の70年と71年の夏 東海大相模と桐蔭学園
が全国制覇 同じ都道府県の2校による連続優勝は 3例しかない。
73年には 横浜が 初優勝を飾っている。
94年 再改装。水島は、
「スコアボードといい バックネット裏のアーチ形のひさしといい
独特の球場だった。僕にとっては 甲子園以上の球場でした」
ドカベンの銅像が迎えてくれる「大和スタジアム」
7月23日 朝日新聞
桐蔭学園と横浜隼人 強豪対戦。
試合開始前には 5千ある内野席は満員。外野席を開放。6千分も6割入り。
私も バックネット裏にはじめて。中学生や小学生に囲まれて。
「あきらめたら 終わりだぞ」小さな子供が 大きな声で応援。
今年の 始球式 桐蔭学園「志村 亮」さんも いらして。
主催者 ご挨拶 のなかでも
「30年前 駆け出しの記者でした。あの夏も みていました。
第66回 優勝投手。30年ぶりに マウンドに戻られました。」
はじめて開会式に 「横浜スタジアム」
感動しました。190校。テレビでは 伝わりません。
高校生憧れの舞台に。みなさん 堂々と行進されていました。
プライド いま ここに立てる 意味。お時間ありましたら 是非 。
神奈川県知事 黒岩 祐治さん来賓のご挨拶
「神奈川の底力を かんじます。約束してください。
自分の納得のできる試合を。
勝つことより 難しいかもしれません。
全員が勝てるわけでは ありません。でもそのひとなりに 。
そして こんなに素晴らしい舞台で 試合ができることに
支えてくださっている すべてのひとに 感謝してください。
頑張ってください。」
雲はわき 光あつめて 天高く 純白の球
たくさんの 人 の 温かい応援のなかで 全国大会「甲子園」球場を
目指して。今年の夏も 熱い闘いが 各地で。
「笑顔は 一校」あとは 全員 悔しい。負けたとき 考えますよね。
すごく 大事なこと なのだと。「浪人」 も。
つぎ「どうすれば勝てるだろうか」自分で一生懸命。
野球も いきなりは できないですよね。
志村さんのときは 177校。30年たち 少子化のいまでも、
更に 盛んになっている。神奈川は 辞めない率も 高い。
志村さんも 少年野球の指導者として 50名以上のチームの代表と。
「高校野球を みせてあげたい」始球式にも 教え子たちを。
しかしながら 反面教師も。 毎日のように 先生の不祥事が新聞に。
盗撮、覚せい剤所持。パワハラ。心無い ことばかけ。無責任な態度。
目にすると 不愉快な気持ちに。一部の先生のために 学校名も。
「全力疾走」慶應の応援団。バトン部 の 女の子。たちも
一緒に走り抜けたのでしょうね。4回戦まで。お疲れ様でした。
また 来年 楽しみにしています。
小さな花 さま
あれから随分と長い時間が流れましたね。
今日 NHKの全国学校音楽コンクール中学校の部で代表校11校が
練習の成果を発揮されていました。
今年のテーマは「ピース♪」 課題曲は 「プレゼント」
SEKAINOOWARI さおりさん が作詞されて なかじん さんが作曲
お手紙を生徒さんたちから「ソウルソング」これからもずっと大事に。
「ひとりぼっちにさせないから大丈夫だよ」人に嫌われたくなくて、
思ったこといえなかった自分を励まして見守ってもらっているようだ。また
受験と部活の両立に悩んで休部して、でも今日この舞台に立ててよかった。
さおりさんは、とても嬉しそうに「私がプレゼントいただけた。
ずっと鳥肌がたって。みんな上手でどうやって順位きめるのか」
なかじんさんは、「中学生のまだ大人でない、みなさんに理解して
いただける歌詞なのかは不安でしたが、しっかりと歌いこまれて感動」
「世界の終わり」のようなところからスタートしたそうです。
深瀬さんが病気で入院。僕にできることは音楽しかない。
「スターライトパレード」神奈川県川崎の工場の夜景をみながら完成。
自転車で6時間も走ってイメージを固めて作詞を。
さおりさんが冬の日、外で号泣。いじめられて悲しくて。深瀬君が
「僕が居場所をつくってあげるから、泣かないで」経験からの唄づくり。
各学校の練習風景も流れてましたが「気持ちを」みんなで想像して。
1200校が参加されてとのことでした。
金賞は 東京の鶴川二中 広島の原爆の唄。先生が教えている風景も。
合唱の素晴らしさを。心の琴線にふれる唄をきくことのできた時間でした
2年連続だそうです。来年も楽しみにしています。
時事通信 10月6日(火) より
ワールドラグビー(WR)は5日、ワールドカップ(W杯)イングランド大会で日本―サモア戦の日本国内での視聴者数が日本で2500万人に上り、2007年W杯準決勝のフランス―イングランド戦(パリ)をフランスで視聴した2070万人(フランス)を抜き、対戦当該国の国内視聴者数としてはW杯最高記録となったと発表した。
日本はW杯で南アフリカを破る歴史的な勝利を挙げ、19年の次回W杯に向けて盛り上がっており、WRのゴスパー最高経営責任者(CEO)は「多くの日本国民が代表チームの戦いぶりに驚き、ラグビーを称賛している」と語った。
3勝しながらも、史上はじめてベスト8に進めない最強の敗者と。
米国戦は3000万人とも。ジョーンズHCは「オーストラリア国民+カンガルー+羊」子供にラグビーを始めさせようと思った親も。また鏡の前でゴールキックの真似をしている子供も。五郎丸選手の。日本は歴史を塗り替えた。
2019年 ワールドカップ日本開催も楽しみです。
小さな花さまも お元気で。テレビで一緒に応援しませんか。
お身体ご自愛くださいね。




































