在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
全都立高校の東大+国立医学部の合格者総数は、たばになっても開成1校の東大+国立医学部の合格実績にも及ばない。
さんざん努力して「危ない賭け」に勝ったとしても、3年後は勝ち目の少ない、もっと大きな大きな危険な賭けに遭遇する。
どちらも賭けだと思います さん
どうもお久しぶりです。
確かに、カケと言うワードをP89で使用しているのは事実です。下記ですね。
>高校になったら勉強するからどの大学でも進学できる。なんてリスクの高いカケの様な事
スレの流れで読んで頂ければわかると思いますが、このスレで
「高校3年からでも受験勉強すれば東大でも国立医学部でも合格できる」と書かれている
人に対して、そんなカケの様な事は出来ません。と言う意味で記載しています。
先の見えない状況に対して、5年後になったら自分の子供が受験に集中し成績が飛躍的に向上する・・・などと
不確定な可能性にかける事は危険だと考えているのみ。
それを、『公立に進学する事自体がカケである』と読まれるのは曲解ではないでしょうか?
>>極端な一例を見てその集団を括ってしまう考えは大嫌いですので。
>>私も知っているのは2校のシステムだけですが。
>まず、ここが矛盾しているのではないでしょうか。
矛盾していますか?私はある公立中1校がおかしなシステムだから、公立中は全ておかしい・・・等とは
言ってもいないし、思ってもいない。子供が通うはずだった学区の1校について記載はしていますが、
どこかで公立批判の様な表現をしているでしょうか?
自分でどこでどう書いているか追えないので、出来れば指摘をお願いしたい。
確認した公立中学校については、近隣の友人に話を聞き、実際に中学校に出向き、
教頭先生に学校の方針を伺った上で進学先候補から外させてもらいました。
【人の噂だけで子供の人生変えること】は出来ませんから。
学区外である、通えない隣の中学にも実際にお話を伺いに行きました。
そこは前述した様に通常考えられる学校であり、そこならば進学させたいと思いましたが、
いかんせん学区外で進学不可能でした。
2校についての情報は実際に学校へ伺い直接確認した内容です。
どちらも賭けだと思います さんが中学校で先生方と話している様な内容(と思われる事)を、
私は子供が小学校に通っている時点で中学校に伺い、事前に確認させてもらいました。
決して伝聞だけではなく、実際に通っている保護者と同等に認識していると思っています。
ちなみに私は小学~大学まで全て地元公立で、十分に満足した学生生活でしたので
子供にもそうあって欲しいと思っていました。
ただ、自分の頃と時代・地域も違う関係上同じ様な環境はとれない状況でしたので、
それに近しい環境を考えただけです。私達の時代の公立中学・高校になれば良いと私も思います。
>数学が満点の私が成績が4で80点の級友が5だった時も、教師が「あたなは宿題を出さないから」
>と言うので「レベルの低い問題を解いても実力はつきませんから」と言い返したのですが、
私も似たような事がありました。私の場合は面倒なので授業中に手を上げることをしなかった。
なので、テストは出来るが授業はわかっていないと判断され成績が4だったこと。
私は自分がそこに所属して【しまって】いる者なら、そこのルールに従うべきだと考えるタイプなので
以降、そのルールに従い、手を上げるようにしましたが。
宿題は【義務】なので提出すべきでしょうね。提出しないなら宿題を出された時に言う事です。
宿題を出す側は、宿題を生徒がやってくるのを当然と思って出していますから。
ただ、その先生は成績を付ける以前に【義務】である宿題を出さない貴方に、提出する様に言わないのですか?
私にはその事が不思議でなりません。
長文になってしまいました。失礼致しました。
結局、限定詞をつけない議論だから堂々巡りになってますね。
悪い公立も良い公立もあれば、私立でも同様。
地域、学校、子供、将来計画に応じて親子で取捨選択するしかないですよね。
まあ、皆さん明るい日本を築いて行きましょう。
初めて書きます。このスレッド面白いですね。色々なことを考える人がいます。
でも、なんか違和感あります。公立中学でも、私立中学でも自らを成長させる子は成長させるし、そうでない子はそれなりになるのではないでしょうか? 私立中学の価値 = 子供を立派に成長させる、あるいは 私立中学の価値 = 子供を立派に成長させるということ自身、違和感を感じます。どなたかが ベン図の話をしましたが、子供を成長させる価値とは、私立中学特有の価値でもなく、公立中学特有の価値でもなく、真ん中の共通部分にあると思います。
そもそも、子供を成長させるなにかを、学校が提供すると言う考え方自身、おかしいと思います。子供は自分で成長するんです。ロボットではないんです。ロボットだったら、それこそノーベル賞獲れるまで成長するはずはありません。学校とか親とかは、そのきっかけを与える、環境を提供する、ツールを提供するということになります。ツールだったら色々な道具があってよい。子供にあったツールを選ぶ、見つければよいのです。
どういうツールを使えばよいか自分で選べる子、あるいはどんなツールでもうまく使いこなしてしまう子は公立向きだと思います。学校は、余り強制力がなく、真水にちかい環境を提供して、子供はそこで、自由に存分自分を成長させることができるからです。ラジオ英語だけで、英語をOK、確かにそういう子ならそうだと思います。生徒会活動だって、クラブ活動だって、どんなツールも、自分を成長させる乗り物を乗りこなせます。
一方私立は、真水ではない、あるベクトルを持ったツールを提供し、一定の強制力を持ってますね。全ての学校ではないかもしれませんが、一般には建学の精神に則った指導方針を堅持しています。そのカラーは学校によってかなり異なりますね。そういう真水にない塩水か砂糖水か分からない濃い環境に、真水で自由に泳ぎたい生徒を投げ込んでも、それは合わない場合もあると思います。
しかしながら、中学1年生の子供をみれば、まだまだひよっこ、自らツールを見つけ出すような長けた子はほとんどいないと思います。逆に、どんな濃い環境におかれても、その色に染まり、そこからすくすく成長する真水のような子供がほとんどではないでしょうか?要するに、自ら成長することに気づいていない子が沢山いるわけです。そういう子に対して、塩水の濃い環境を提供する。。その中で、なにかを吸収し、自ら成長するきっかけを作る場合もあるのではないかと思うのです。
例えばの話です。確かに、自ら古典を読んだり、数学の教科書より数学者の本を読んだり、中高時代からできる生徒なら、学校なんてどこでも関係ないと思います。でも、古典を読むきっかけとは、たとえば私立中学の2年生の古文の先生に影響受けたなんてこともあるのではないでしょうか? そういう意味で、一定の教育の強制力のある私立中学の方針は、自学自習のきっかけになると思います。
一方で自らが成長するきっかけとは、勉強だけで得るものではありません。自然にふれたり、スポーツやクラブ活動に打ち込んだり、受験勉強とは関係ないところで、得る場合も多いと思います。ですから、中学受験の弊害はよく分かります。でも中学受験だって捨てたものではないと思うのは、確かに「曲芸」かもしれないけど、曲芸でも極めれば、得るものはあるんです。ただし、それが、全てになってはいけないと思いますけどね。これも、子供のタイプによると思います。どんな濃い環境でも、混ざりにくい真水タイプの子なら、中学受験が終わっても、中学で別なものを吸収する、クラブ活動とか本当の学問とか、そう切り替えられます。 ただ、混ざりやすい子が、中学受験を通じて、非常に濃い体験(3年以上のインテンシブな受験勉強)に晒されることによって、目覚めてしまうと、それを大人まで引きずる場合もあるかと思います。それがご指摘に、末は東大⇒塾講師の例かもしれません。でも、こういうことは、中学受験だけでなく、高校受験や大学受験でも起きることではないでしょうか。五月病なんて、そういうことでしょう。
本当の学問を究めてゆく=大学入学後)と考えれば、早いうちにある色に100%染まるのは、良くないということになります。その考え方に則れば、色に染まりやすいが、一旦染まると本には戻らない生徒(天才タイプ)は、真水環境の公立で、中高では自分で道を見つけて大学入学後の本番に備える。色に染まりにくいがどんな色でも受け入れられる生徒(秀才タイプ)は私立一貫校で、中学の内に、様々な学問の面白さのきっかけとなる教育を受けるのがよいのではないかというのが私の結論です。
最後に、社会に出てからの成功する度合いに関して考えて見ます。ノーベル賞の話は、やっぱり天才タイプである必要があります。もうちょっと広げても、社会でとっても成功する = 一芸に秀でる という要素は強いですから、天才タイプが目立つことには変わりありません。でも、「社会での成功」という範囲なら、学問の天才なんて、ほんの一部ですけど。
じゃあ、秀才タイプは社会で成功していないか?そんなことはないと思います。最も目立つ人は天才でも、上位15%を見れば、秀才タイプの方が多いと思います。天才は凄いけど秀才はだめだということにはなりません。小6の段階で、自分の子が天才だと思っている親はほとんどいなく、でも秀才ならなれるかもしれない(確率が少しでも高い)と思って、中学受験をさせるのがほとんどでしょう。
私は、「大学受験」ではなく、「社会での活躍」に全ての価値を置いていますのからここの皆さんとは議論がかみ合わないのでしょうね。
小学校時代から、「自分で疑問を持ち学ぶ」という動機づけが全て。
そして「受験勉強(=受験のための勉強。)」はそういう動機づけにマイナスなんですね。
私立は図書館に本がたくさんあるとか司書がいるとか書かれていた人もいましたが、箱モノなど無意味です。
大事なのは動機づけ。
自ら学ぶ意欲さえ身につければ、ラジオ講座でも十分英語が学べるし、学校に本がなければ、図書館に行って本を借りて読んだらいい。
もう一度受験の弊害を再掲しておきます。
①中受塾の洗脳で偏差値至上主義の価値観が刷り込まれる。(塾にとっては偏差値至上主義でないと商売にならない。)
②中学合格後も塾から離れられず、塾依存症(塾がないと勉強できない)になる。(大学に入れば研究のための塾などない。)
③すりこまれた偏差値至上主義で、志とは関係なく偏差値で大学学部を決める。その典型が、医者への志(=人を助けるという志)もないのに受験のチャンピオンを証明するため医学部を志望する。
④小学生の時から「受験のための勉強(=点数のための勉強)」が身にしみつき、大学合格後勉強しなくなる。(「受験」や「点数」というニンジンがぶらさがらないと勉強する意欲がなくなる。)
⑤中高一貫私立の過剰な受験対応のため、公立の生徒も受験秀才にならないと大学に合格できなくなくなり、変容してきた。
⑥その結果、東大や京大には、素質のある筋のいい人材ではなく、社会で活躍できない鍛え上げられた受験秀才の割合が増えている。特に医学部に顕著。
⑦小学校の時から受験大事で親に敷かれたレール(東大や医学部への道?)にのっかってきたので、学生時代に不可欠な「生きる意味」だとか「自分の将来」といった基本についてじっくりと考える経験をしない。
⑧受験のチャンピオンめざして受験勉強に特化してきた学生は、受験以外の能力(コミュニケーション能力、リーダーシップ、ぶれない価値観等)が欠如する。




































