在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
年末以来2度目の書き込みです。私立中学(というより中学受験)を以下の3点で擁護します。
①勉強というスポーツがあってもよい。
サッカーのうまい子はサッカーの道、野球のうまい子は野球のエリートの道があるように、勉強の得意な子は勉強道を小学校のうちに極めててもよいのではないか? 運動にも趣味にもとりえのないわが子を見るにつけ、せめて勉強道でも、極めさせて、そこからなにかを学ばせたいと思ったものです。「受験勉強」自身は、「社会での成功」には結びつきにくいかもしれないけど、「勉強道」という道を究めることによって、「勉強」以外に学べることも多いはず。サッカーだって深いところで極めれば、サッカーの技術以外に、色々学べることは多いように。。。勉強だって、それを極める経験(進学塾が舞台になる)は、無意味ではないはず。超難関中を目指して進学塾で、切磋琢磨した経験は、得がたい経験に間違いないと思います。
②子供の中学受験におけるモチベーションは偏差値至上主義に基づいていない。たとえ親がそうであっても。
親は偏差値を気にするもの。でも子供はどうだろうか?ほとんどの子は、友達がそこを志望するからとか、文化祭に行ってとても楽しかったからとか、その程度の話。あとは、親が希望するから。。。そういうこと。子供は偏差値を思うほど気にしていない。だから、併願校に入学すると、親は引きずるけど、こどもが直ぐに慣れてしまう。中学、高校と進めば 子供が自立的に考えるようになり、親の思うこと¬=子供の思うことになるから、結局、偏差値至上主義なんて、親だけの妄想ではないか?
②「勉強道(受験道)を極める」と「真の学問を修める」は、確かに同じではない。でも受験道に身をおくことは、自立的に「真の学問を修める」ことに目覚めるきっかけになる場合が多い。
人間、どこで覚醒するか、それはわかりません。受験の勉強は学問でないかもしれないけど、それをきっかけに学問に目覚めることもあるんです。そもそも「覚醒」は、別に大学に入ってからでよいはず。中受、高受、大受って受験勉強に毒されて、学問に目覚めていなくても、なんら問題はない、大学入って、すべて準備が出来てから、目覚めればいいんです。小学生のうちから、自学次週や真の学問に目覚めるなんて、実際の小6の子供たちを見れば考えられません。むしろ、そういう義務的な勉強の中から、自ら目覚める方が自然だと思います。変な話、ボクシングを極めるより、受験を極めたほうが、学問に目覚める可能性が高いと思います。そういう中、一概に受験勉強を否定できるでしょうか?
受験英語が世の中に役に立たなくても、その中から目覚めた人が、真の英語を勉強するのでしょう。そもそも全員が目覚めるわけではないのです。受験英語はそういう意味で、一定の役割を果たしていると思います。これだけ沢山の人が英会話教室に通いたいと思うのも、受験英語があったからだと思いますが、私は。
凡才さん
凡人さんを連呼した形になったレス 深い意味はありません。
ごめんなさい。
経験の幅の違いを痛感させられる
当初からのレス 拝読しております。わがやの愛すべきとんび やさしいとんび 考えるとんび がんばってます。
昔から中国人はプッシーだと 飲み友達から聞かされておりました。
もう 天安門から何年たちますかね?
その前に留学していたころの話だから、もう かなり昔の話?
でも現在 私がお会いする中国人 とてもよく勉強されてます。
一部の富裕層の方はやはり わからんちんですが
学生さんは 貪欲で負けず嫌いな気がします。
そんなところは明治 大正 昭和 初期の日本と変わらないのではないのかな?
貪欲によりよく変わるチャンスをさがしている。
私が子どもの頃 住んでいた家の前に 木彫りの職人さんらしき中国人がおられました。
ご主人が病気になられる前は 親交もあったようにも思うんですが 思い出せない。
そこだけ異空間 身近にある外国。
遠い思い出ばかりですが
子どもたちがする経験は 公立 私立問わず すべてにおいて良い経験になっていることだろうと
しみじみ思います。 自分がそうであったように。
凡才さんやみなさんの経験されておられる貴重な体験 お子様にお話なされておられるんだろうな・・・
と思うと 羨ましいです。
結婚して子どもを持つころになって初めて父母から聞かされる昔話が多く
そうだったんだーー。が 最近増えました。
親が子に出来ることの 数少ないひとつなのではないかと
自分の人生を語る
今 父や 母と 語る
大事なことだと思います。
私が子どもたちに口にすることは お小言ばかりなりです。
つぶやきさん、本の紹介有難うございます。まだ読んでいませんが少し前にベストセラーになっていましたね。
今日はセンター試験。天気が荒れそうで雪国の人たちは大丈夫でしょうか?インフルエンザも重なるし受験生は本当に大変です。
When I was young というと映画のスタンバイミー思い出します。線路脇で死体が見つかったという噂を聞いて少年たちが寝袋もって探しに行くという物語。男の子の冒険心やら仲間意識、強がりや背伸びを詩情豊かに描いた名作。そうそう彼らは木の上の家でいつもたむろしていましたね。
そういう経験を積んでだんだん大人になっていく。ああいうような子供時代送ってもスティーブン・キングは(いや、そうだったからこそ)作家になったし科学者になれる子供はなれたでしょう。塾であれこれ断片的知識を受験用に詰めこむより鮮烈な子供経験をするほうが・・・・・・・・・・・・・ずっといいのではないかと思います。
地域、時代さん
>努力して負けたんやったらエエやん。。。
>立派なもんやと思います。
好きでした努力なら立派なもんですよね。でも、嫌いでさせられる努力はどうですか?そういうのは、本当の勝負ではない。単なる処世術だと思いませんか。
たとえば、仕事が好きで、家事が嫌いな女性がいたとします。「あんたは、仕事偏差値70だが、家事偏差値50だから、平均偏差値せいぜい57だよ。もっと、満遍なくできないとダメだ、女なら」、そう言われたらどうですか。「仕事については、仕事だけで評価してくれよ」って思いませんか?そんな偏差値をあげる努力を、本当の勝負だと思えますか?こんなもの処世術だと割り切ってやるしかないでしょう?私ならそういう女性には、「家事は並でいいよ」って言ってあげたいけどなあ。
じゃい子様
大不況といっても、大都市には富裕層はかなりいます。共働きも多いので、子供を私立にやれる層は残ってます。しかし、その中から親がリストラされた層などが公立側に移る可能性はありますね。ゆとり教育の終わりとともに、また変化があるのかもしれません。
根本的さん
たしかに。
うちの息子は一芸タイプではありませんが、社会偏差値50、他3科目70で、6年生最後は社会に苦しみました。
努力は嫌いなので社会は60ぐらいまでしか上がりませんでしたけど、すべての学校に合格できました。
息子は他3科目は努力や時間を必要としなかったので、社会がなければ努力はほぼ不要だったと思います。
でも社会が数点しか取れなくても中学受験なら合格していたかもしれないと思いますが、大学受験なら無理でしょう。
好きでした努力なら立派なもんですよね。でも、嫌いでさせられる努力はどうですか?そういうのは、本当の勝負ではない。単なる処世術だと思いませんか。
↑
根本的様
最初に、この部分だけご理解下さい。
私は根本的様ほど学問を知りません。
なので、’一般論的な学生’の事を書いていると思って読んで下さいね。
私は好きな事の中にも「嫌いでやらなければいけない努力」があると思います。
好きな事だけ頑張れる人間はどこにでもいる。
いえ、、これが出来ない人間はいないのではないでしょうか?
でも、嫌いでさせられる努力をある程度頑張れる人間は、自分の好きな事を努力した時、その努力の力はものすごいパワーとして発揮されると思います。
理由は、「好きな事の中にも、かならず不得意な作業、分野」はどの職種、どの分野にもあると思うからです。
私は適性様、知的様、企業人様は「優しい目線」を持ってらっしゃると思います。
特に適性様などは常に「普通の子供達」を念頭に書き込みをなさっている。
企業人様がおっしゃる「サラリーマンの伝承」この言葉もエエな~と思いました。
そこで親として大切なのは、我が子をしっかりと見守っていないといけない、という事です。
我が子がどんなに頑張っても50点しか取れなかったら、55点取れたらたいしたもんなんですよ。
80点を求めるのは、子供が可哀想です。
私はこういった事を言っています。
努力したって出来なかった。
一生懸命頑張ったけどダメだった。
これは結果です。
でも、頑張ったんなら結果が悪くても良いじゃない。
私は、努力をした結果なんぞどうでもエエ。
また、努力のない所の勝ちにあまり興味もありません。
興味があるのは「過程」です。
子供に求めるのも「過程」です。
うちの子が「お母さん、勉強に興味ないんか?」と良く言うのも、うちの息子はとりあえず勉強が好き。
その頑張った息子の点数を見て「なんや、この点!あかんやんか!」と私は言えない。
知恵を絞って、息子が望む状態に持っていってやろうとは思うけれど、出てくる結果はどうでもエエ。
息子が「何でやと思う?」って聞いてきた時は、企業人様がおっしゃるような「努力の方向性」をアドバイスしますけどね。
基本、結果は興味ナシ。
この部分、根本的様とは全く逆の意見ですね。
お許しください。
これが私の考え方、私の生き方です。
子供を優しい目線見てやり、そこに少しでも努力があれば、結果なんてどうでもエエです。




































