インターエデュPICKUP
2680 コメント 最終更新:

私立中学の価値

【1934980】
スレッド作成者: 自然体 (ID:KR1jc1G02kE)
2010年 11月 28日 08:25

この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。


2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝

【1980091】 投稿者: じゃい子   (ID:KMc2X/2mhnc)
投稿日時:2011年 01月 15日 22:28

親子私立中学出身

肩に力が入っていないとてもよいスタンスをお持ちですね。
私は、親子私立中学出身様とはまた違った教育方針ですが、
(転勤が多く必然的にそうなったのかも)
きっとよい親子関係を持たれているのだろうなと感じました。

>大学に入ってからは、覚醒が遅いというのも、人それぞれだと思いますけど。自らが歩き出すには、準備が必要です。準備がそろっていれば、中学からでも、自立すればよいけど、決して大学に入ってから、覚醒しても遅くはない。そういう地道な子もいます。決して手段と目的は取り違えていない、一歩一歩進む子もいるんです。


もっと言えば、社会で成功する生き方だって、本当に幸せな生き方とは限らないのではないでしょうか?


こういう文の中に優しさがにじみ出てますね。
思わず書き込みしてしまいました。

【1980093】 投稿者: じゃい子   (ID:KMc2X/2mhnc)
投稿日時:2011年 01月 15日 22:30

すみません(汗)
親子私立中学出身 様を呼び捨てにしてしまいました。
謹んでお詫び申します。

【1980145】 投稿者: 凡才   (ID:pYQTpGg62aE)
投稿日時:2011年 01月 15日 23:24

こんばんは。

今年の灘1日目、終了しましたね。

関東にいる私も、知り合いがいるので、何か心配です。

それとも、関東に来るかな。

中学受験の集大成、風邪など引かずにがんばって欲しいです。

【1980304】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 16日 08:10

根本的さん、
【1978746】で詳細に書かれたのは、「そういうトップレベルの数を増やすためには、裾野を広くする必要がある、だから、普通のひとも、ノーベル賞学者を目指して頑張れ、と言うべき」というロジックだと素直に読みました。そこで確認のための質問ですが、


Q1
素朴な疑問として、根本的さんは、そのトップレベルの一員だと意識して仕事をされているのか、サポーターだと認識しているのかどちらですか?


→ 別の投稿で、「(根本的さんは) 大学は終わりになって、今は歯車をしています、とのことだったのですが、・・・アカデミックポジションを志向したが大学には残れなくなった、と読めたので考えを伺います。


Q2
仮に、Q1への根本的さんの回答が、後者=自分の存在意義を「サポーター」として、位置づけているとして、その考えの根本に、”一芸至上主義で、化学でも物理でもいいが、「いいが抜きんでたモノから順番に単一の価値観で序列/ヒエラルヒー”を暗黙のうちに前提としているのではないでしょうか? 


→ これは凡才さんの「現在天才と呼ばれている人が、この世で一番なのか、と言う疑問にもぶち当たります。」という疑問とも関連しています。


Q3
仮に、Q1への根本的さんの回答が、後者(=自分の存在意義を「サポーター」として、位置づけている)として、ノーベル賞を取れなかった大多数の大学人は、どういうValueがあると考えられているのですか。価値なしですか?あるいは単なるサポーターの価値ですか。


Q4
天才的なひとを出すことのために、少しできるひと、普通にできるひと、を一芸に秀でるひとに向かわせないといけないのかが理解できません。根本的さんのロジックだと、例えば、私のように、歴史的な見方や、Valueの考え方(=社会貢献)の目線から、モノを見ていくことをかなり否定しているように思えます。


→ わたしは、そういうモノの見方をして、「少しできるひと」「普通にできるひと」が、それぞれの社会的なシーンで、生き生きと生きれて貢献することができることを若い世代に伝えることが大事と考えます。このことが裾野を作るためだけに「価値を秀でたひとにだけ認める(=○○至上主義)」を蔓延させることになり、アカデミックな世界に屍の山を築き、精神的な挫折感をあおるものだと思います。
(此処に書かれたことは、軽くないことですよ。「大学人の価値はなにか?」と、「中高生のものの見方を、どのように導くか」に関わる大事なことデス。)




<凡才さんWROTE>【1978030】P.135
>0.000000000000001%の天才を、何もしない、目覚めるのを待つというのは、またその中の0.0000000000001%の人間しか成し得ない事だと思います。 本当にかなり可能性が低いものです。 また、現在天才と呼ばれている人が、この世で一番なのか、と言う疑問にもぶち当たります。


<根本的さんWrote>【1978746】 P.136
 適性さん、量的さん、凡才さんは、一芸の人、天才といったものを非常に限定的なものと考えすぎているように思えます。たしかに、ノーベル賞受賞者などは数少ない。21世紀に入ってからでも10人くらいだから、1年に1人。同世代100万人にひとりの確率。それでも、日本はアメリカについで世界第2位だそうです。やっぱり素質があるんですよ、日本人は。うまくやればユダヤ人にだって負けませんよ。


 でも、そういうトップレベルの数を増やすためには、裾野を広くする必要がある。サッカーだってそうでしょう?サッカーの天才だけが何人かいればそれで足りるって話ではない。まづ国全体でサッカー人気を盛り上げて、多くの子供に実際にサッカーをやってもらうことから始めている。


 そうやって、サッカーは素晴らしい、サッカー選手は格好いい、という価値観を広める。もちろん、天才はごく一部かもしれないが、サッカー好きならば、天才になれなくてもサポーターになって天才を応援する。そうすれば、天才の足を引っ張る奴なんか軽蔑されるようになる。相撲だってそうすべきだと、貴乃花親方も言っている。


 科学研究の世界だってそうしないとダメです。だから、価値の転換が必要だ。理系の選手は格好いいんだと。文系なんてできなくたっていい。天才になれなくてもサポーターになろう。国全体で盛り上げないとね。

【1980346】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 16日 09:15

じゃい子さん、
(研究で)アイディアが重要ということで書かれた、アイディアは重要ですね。そのところの関連の確認です。


イチローや真央ちゃんや石川遼選手のような、親が主導して大成している人々、(ノーベル賞受賞者よりもあきらかに沢山いますし、その分野の第一人者として希望を与え、国に何らかの貢献もしている)、と同様な意味で、様々に貢献できる「知的な分野で活躍できる人々」が何らかのその分野での導きで伸びている部分 を全部無視しているように見えます。裾野の広い理系分野、例えば医学、理工系、農学水産系、そういう分野は多い。また、アドヴァイスや教育の積み上げをそれほど軽視されるなら、学校教育での科目学習は無駄なモノでしょうか。


量的なバランスを今一度考えてほしいです。本当にそうなのか。下記に書かれたような、敢えて放任して大学以降の目覚めをまつことは、逆に多くの人にとり、遅すぎると思います。多くの難関大学の教授のひとは今、問題意識を持っています。「基礎ができていない、モティベーションが低すぎる、学生が増えて授業や研究が成立しない」という叫びに似たものがある。だから、AO入試や推薦入試(かつては喧伝されましたね) から学力を見る試験に回帰せざるをえないと感じている、わたしは政府の審議会あどで一緒の先生方から様々な問題意識・悩み聞いています。また、企業人として、若い世代を見て感じてもいます。 ・・・「まさにほっておけば、むしろ大学の先生が目覚めさせてくれる、か自分で目覚めてくれる、」ということが、大きな誤解に基づいている戸思う。この国にはその誤解がすくなからず、影響しているように見えています。


以下、関連の議論を少し掘り下げます。


→ 若い人々の進路は、高校2-3年生で現実に決まるのです。一部の生徒はやり直す財力があるとしても、大多数はワンチャンス。大学の専門課程を選んだ後で(此処が重要)になって、自分は向いてなかったと気づいても、本人は取り返しがつかない。加えて、社会的な視野に経ってそれが教育の目指す到達イメージかというと、そうは思えません。理由は、「少しできるひと」「普通のひとにとり」才能を伸ばすチャンスがなく、無駄だから。


→ わたしは自分が公立高校の教壇にて講義をしたときに、膝が震えるほど感じた学生の無関心さ、不熱心さを思い出します。公立中~公立高校の大多数で、親の意識の低さが子どもにむしろ伝搬して、あとになれば、目覚めがある、ということで、受験勉強の段階に突中しているのが実態なのではないか、とさえ思いました。


→ じゃいこさんは「分野の才能は遺伝子で決まり、大学で才能が発現してセレクト」、ということを書かれているのですが、それは1かゼロ、ということであって、中間の議論が大事ではないでしょうか。すなわち、普通のひとと少しできるひとの教育議論では、機能しないと強く思います。理由は、事実として、中高での教育で伸びる部分は沢山あるから。


→まして、そういう面を小学校4年から中3まで放っておいて、中国の方々と相手に仕事するには武道だけ、をむしろやれば、ということですが、極論だと思う。中学受験させる親は、その辺はバランスで考えていると思います。(わたしのところも子どもも、空手をやり、中高でもまっとうな部活をやりましたが、私学志望とは別に両立する。まさに両立させるような程度で腐心することこそが、大多数にとって大事)


→ 書かれていることは、若い世代の教育の可能性の根幹部分で、特に重要な議論で、言葉じりのはなしではないと、知的=量的としては考えています。



長文乱文にて、失礼します。



(*)ここでいう”放任”とは、親が適切にアドヴァイスしたり、才能を見極めて伸ばすことも広義の”放任”として
(**) わたしも遺伝子の寄与は、分野によって60-90%程度、キーとなる面はあると思いますが、社会のいろいろなシーンで普通に貢献でき、生き甲斐も発見できるのです。知的なことが求められる(=ニーズが高い中で)の放任主義、あまりに後天的な部分を無視しています。ミスマッチの遠因にも繋がる(=温床になる)ところがありはしないか。じゃい子さんの考えを進めると、国公立大学での大学全入(実際言われていますね)や、ゆとり教育への回帰(言われていませんがそういうことになると思います) などに帰結します。しかし、これは現実の社会のニーズからどんどんとかけ離れた方向で、どんどんボタンが掛け違ったまま進んで行く危険を孕むように見える。


<じゃい子さんWrote>
>私は、特に小学校時代どうすごしたかでこのアイディアの部分が大きく作用されると 思うのですけど。
> ・・・・しかし、一見これがわからないんですよ。
その子の環境によって数字化できない部分ですので、
親が気づいて伸びた子は、(伸ばした子じゃないです) 環境もよい場合が多く、まんべんなくできるようにもなっていたりする。ここでいうペーパーの偏差値的にも揃ってる。 しかし、逆にこれが仇になる場合があるんじゃないかな。
視点さんのいわれるように、じゃあ医者になれとか 親が誘導して結局不幸になるパターンもあると思います。
本人に任せた場合、その傾向がでるのが 大学以降である可能性が多いと、だから大学入学制度を変えたほうがよいと思うのです。 ここで注意したいのは、資質というのは、ペーパーテストだけがでるのではなく その子の持っている特色ですので、それがなんであるのかは人それぞれです。



<根本的さんWrote>【1978682】 P. 136
 ここが重要な問題ですね。「アイディアの部分」と言っても、それを生み出す素質(才能)の部分、これが重要だと私は思います。素質とは潜在的な能力であって、最適な教育環境が与えられた場合どこまでその能力が(この場合独創力ですが)伸びうるのか、その限界と言ってもいいでしょう。

 
 これはどこで決まるのか。私の見解では、少なくとも50%以上DNAで決まっている。受精の時点で、両親のDNAが組み替えられて、新たなDNAのセットができあがった瞬間に、すでに決まっている、そう考えます。もちろん、何の証拠もありません。だから、私はDNA派なんです。


 では、残りは?おそらく、小学校就学前の年齢で、どんなに遅くとも10才までには、100%近くまで決まっている。そう思っています。ですから、公立でゆとり教育を受けようと、小学4年から塾にいこうと、素質という点に関しては殆ど影響はないというのが、私の見方なんです。この点については、じゃい子さんはどう思われますか?

【1980364】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 16日 09:43

凡才さん、

下記の議論は真っ当なものだと思います。というより、すばらしいですね。
世界の優れた人々、それが中国人やアジア人、欧米人を想定しての教育でも、同様だとわたしは思います。


→ すこし冗長ですが書かせていただきますと、わたしは日々欧米人と議論することが多いです。英語のメールも多く、仕事での鍛錬(=OJT)で鍛えられました。・・15名くらいの電話会議で、情報のシェアだけではなく、一人だけ反対のポジションで説得する目的で話すこともあります。今では、準備はしますが、かれらが行う議論の仕方が判るので、英語で以前より楽に準備できます。これも自分の才能というよりも教育のおかげ・結果です。(日本人より範囲を限定して議論する仕方を好み、それが当然と評価しますので、あるバンダリーでのロジックでは固めておかないと、説得できません。アジア人は論点が飛び回っていくので、修練させて行くことは大事。)


→ 又、かつては、世界の業界で国際規格を決めるときに、利害が先鋭に対立してしんどい経験があります。荻原健司さんの複合ジャンプの場合(*)のように、ルールを自国に有利にしようとする動きがアル。わたしはその仕事をかなり満足がいく形でまとめることができました。世界で通用する仕事、グローバルな力、とは何か、というと、「気合い」だけではないです。議論の流れを動かす呼吸も大事だし、論点を抽出する能力、横道の議論からへたに派生されて「(かつての)熱海の温泉旅館のような、継ぎ足し継ぎ足しの議論で、暴走しない」ようにする、タンタンとまともなことを議論できる力。そのときに、健全な感覚は大事ですね。


塾の弊害は、もちろん注意深く見つめ、弊害として認めるが、利用者(=親子)の問題をまず見つめねばなりません。さもないと、先人が深く考えてやってきた制度を、プラス面を知ることもなく、改悪することに繋がると思います。いま公立中学は普通のひと、あるいは少しできるひとの一部も担えるように、改善している、というのが私の認識です。むしろ、少しできる一の比較的上のひとに届けられるべき”教育の内容そのもの”、”中高校時代での目覚めにつながるアドヴァイスがいかなるものか”これからのキーワードだと思います。


(*)
荻原さんはスキー板の長さのルールで「身長の何倍」と変えられたりした以降、はなかなか複合ジャンプ競技の国際大会で勝てなくなりました。こういうルールでのつばぜり合のは例は、柔道始め、他の競技でもあります。


<凡才さんWrote>【1978030】P135

そもそも、学校教育には、文科省が決めているカリキュラムがありますね。それは、一つのレールでは無い のでしょうか。塾の勉強は、その支線であると思います。 何故なら、(受験勉強とも:知的=量的註)同じ事をやっていませんか。


例えば、国語は漢字、算数は四則計算、図形、文章題、社会は、地理、歴史、公民、理科は、動物、植物、天文、地学・・・


私には、何故このレールが文科省のレールと全く違う物と理解するのかが分かりません。
大人が中学受験に熱狂しているか、そうではありません。 昔、さんざ勉強してきた物、既に忘れてしまった物、大人が自分のため教養としても、もう一度、やっておこうと思うから、 子供と一緒にやったりするんですよ。


中学受験の学校と塾の拘束時間のみには、反対しておりますが、レールの件は、今現在は天才も一緒にレールに乗っていて
昔のように神童は、ほっとかれないものです。必ず、発掘されています。

大人が干渉することに関しては、昔に比べ、試験自体にテクニックが必要だからです。就職に関しても、同じです。
だから、無関心、放任は、逆にそれを知らなかったと親を恨んだりする場合もあります。


0.000000000000001%の天才を、何もしない、目覚めるのを待つというのは、またその中の0.0000000000001%の人間しか

成し得ない事だと思います。 本当にかなり可能性が低いものです。

また、現在天才と呼ばれている人が、この世で一番なのか、と言う疑問にもぶち当たります。

【1980375】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 16日 09:53

離陸さん、
こんにちは。
すこし、前にずずーっと出られてよろしいですよ。座布団、裏返しておきました。
”みかんでも食べながら”ながらお話いただければと思います。


”視点師匠”も、体調がよく、いろいろ折りにふれてお話されるようですから、
わたしも安心して書き込んでいます。


今はそのバリューを意識して(そのバリューの流れに乗る方向で)子供の学習へ時折アドバイスしています。
というのは、前半部分は結構、視点さん好みですし。”時折アドヴァイス”、この辺り、まだこれから論議がアルかもしれませんね。


<離陸さんWrote>
我が家は、都内私立中高一貫校に2人の娘が通学中です。中受への参加、中高一貫校選択、志望校選択、入学後と、その都度、親として子供の性格や適正を考えて、バリューを整理し方針を決めてきました。本スレタイの私立中高の価値は、かなり以前から考えてきた対象であり、今はそのバリューを意識して(そのバリューの流れに乗る方向で)子供の学習へ時折アドバイスしています。

【1980386】 投稿者: 凡才   (ID:oZNXmPB/Axk)
投稿日時:2011年 01月 16日 10:06

知的=量的様


ひとつだけ、気になった事があります。


DNAの事です。

医者の家系などは、遺伝というものがあるのかなと思うときがありますが、実際に

その様な家庭の方を見ていると、やはり当たり前のようにレールを通ってきています。

何故なら、広い意味での勉強は、1日で全て出来るわけではありません。

職人さんが、1人前になるのに30年かかるのなんてざらです。

結局、努力無しに本来持っているものだけで、勝負は出来ない訳です。


また、すべての人がレベルとスピードの差はあれど、決して到達できないものではありません。

極端な話ですが、1度に10箇所のアポイントに行く事が出来ないように、人間の範囲を越した事を

天才の方が出来るわけではありません。

なので、DNAに差はあれど、すべての人が到達する事は、可能だと思います。

スペシャル連載

すべて見る

サイトメニュー