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私立中学の価値

【1934980】
スレッド作成者: 自然体 (ID:KR1jc1G02kE)
2010年 11月 28日 08:25

この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。


2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝

【1980453】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 16日 11:22

凡才さん、
「スピードを問わなければ、天才が到達した水準に、才能を問わずに到達できるか」とお題は、表現がちがっても結局は、時間掛かったけどできた、ようなことの他に、無限時間かかったらできる、というのを「できない」、と言うかどうかになると思っています。


その意味では、それはリアルな文脈を想定していると、例えば、会社での評価の軸で仮に見れば、時間内にまともな企画書を出せなければ「未達成」とみなされる、それは「できない」とほぼ同じと思うのですが、そういう違いかも知れません。


・・・議論は、わたしのほうでは2つの展開が考えられるように思います。


第1点は、凡才さんの議論点とは、下敷きとして、「長い時間を掛けて習得しなければならない”考える力”"判断する力””良い方向を見分ける力”とは何か」(*)という質問を先に、考えるべきだと言う点。(これへの展開ですが、重い課題なので別の議論とすべきでしょうが。)意見交換の重要性は大きいと思います。

(*) すなわち、人間がある専門に向かうときに獲得すべき能力議論というそもそも議論の入り口に佇んでいるとも言えますので。



第2点は、私個人は、実際的には「できない」と言った方が、やはり良いのではないかと思っていますので、その議論。
(理由は、時間を掛ければ”できる”ということは、何を意味するかと考えると、できなかったときには、「努力が足りない」「状況次第ではできたのだから運が悪かった」ということに流れていきます。しかし、そうでなく、価値は同等な別の目標を狙うようになった、と言う方が多くの場合には、自然で、「ほっとする」のが人間ではないでしょうか。また、価値観をノーベル賞をトル価値がヒエラルヒーのトップで後は裾野という上下関係を連想させますが、これも要議論です。)

【1980473】 投稿者: 離陸   (ID:OsEaJ.TDoJg)
投稿日時:2011年 01月 16日 11:41

まず、我が家の子供達の教育履歴を簡単に紹介します。今後の私の話はこの背景がベースになります。


====================
1.幼少期:
■ 幼少期には今後の学習でのコアとなる国語力をしっかり見につけさせることを意識した。幼児の時から、絵本の読み聞かせを良くした。幼稚園時には自分で本を手に取り読むことを好む習慣が付いた。家族で定期的に東京の大型書店に出かけ、子供は試し読み用コーナーで読みふけり、親は少し先回りした本を選び、毎回10冊程度の本をまとめ買いして、家で良く読書をした。(今も続く)


■ 公文に通い、国・算の学習をした。基本的な問題の量をこなすことで、量から質(能力)を上げる効用があった。特に国語は、読書と共に、公文で演習の形を取りアウトプットを出す訓練で国語力アップには寄与した。また、短い分で興味を持った本を読み、読書のレベルアップにもつながった。、


2.中受;
■ ゆとり教育での、小学生高学年時の教科書の物理的な薄さ、内容の薄さ、に驚き、頭が柔軟で吸収力の高い時期に、ポテンシャルのある子にとって好ましいことではなく、学習の機会を与えるために5年次に通塾を決めた。


■ 結果として、子供にとって大きなものを得た。第1に、健全な学習を楽しみ継続する習慣。次に、学習をする中で少しずつ小さな目標を達成し、入試合格という目標に向かって頑張った経験。考える力のレベルアップ。塾で同じような目標を持った仲間と一緒の学習、健全な競争意識。


3.私立中高一貫校選択:
■ 中高一貫での連続的で効率的なカリキュラムは、6年間の中で公立中高のコースに比べて、卒業時の到達度が高くなる。また、高入試にエネルギーを使わない分、自由度の高い学習が可能となり、その分、自分の好きなことや受験を目的とせずにもっと広い意味で知識・教養を身につける学習が出来る。都立や国立一貫校も視野に入れたが、私立の自由度の高さと明確な教育理念を買い、私立に進路を決めた。


■ 実際に入学し、親子共に学校には満足している。熱心なクラブ活動、先生方によって良く考えられたカリキュラムと副教材。学校全体で勉強に対する意識が高く、友人からの良い触発もある。入学後の生徒の学力の幅に対応した補講、高学年での学力の高い子を伸ばす習熟度別授業の体制もしっかりしている。


4.家庭学習:
■ 基本は学校の授業と課題。それ以外、大体、読書が中心。子供が自分で選んだり、親が本人の興味のある方向で、歴史、哲学、社会科学、自然科学の良書を選んで、読んだりしでいる。英語は家で多読。文法関連は学校のカリキュラムのみ。英語での読書は2年位で習慣化した。英語に関しては、試験のための学習でなく、社会で使える英語を目標にしている。後者が達成出来れば試験は当然ある程度は出来るとも考えています。実際、難関予備校模試でも高偏差値を得ていますが、海外に行き、未だとても使えるレベルには達していないことは知っている。個々の単元での試験問題を解く力だけをつけるとか、断片的な知識を詰め込むのではなく、教養として知の概要を獲得すること意識している。上の子は高校生になり、今年はしっかり本を読むことを目標に掲げた。数学も弱点を意識して一からやり直すと。下の子は、中学生で好きなクラブ活動に熱心に取り組み、学習もしっかりしている。2人とも家で、がりがり勉強しているという感じはなく、通塾もしていない。良く遊び、話をして、勉強もする。それで親から見て申し分のない成績だ。学習をする習慣をしっかり身に着けたこと、中高一貫校でのカリキュラム、そしてそれにより自由度の高い時間を活用出来たことが力になっている。


5.進路
■ 上の子は高校生になり、大学に入学した先輩、社会で活躍する先輩の話を聞いたり、オープンキャンパスに出かけて情報を仕入れたりして、自分の進路を真剣に考えている。
高校でのコース分けは、物理系理系に決めた。中3までは文系志望だったが、理数が面白く興味が持てると理系に変更。志望大学も決めた。う~む、親のアドバイス、これからしないといけない。グローバル社会で世界そして日本の産業構造の方向性、自分の趣向、将来の職業とのマッチングを踏まえた目標の設定等。うまく話をしないと、この手の話題は聞く耳持たない年頃なので。
====================


うえの1から5までのコースは、実際、上流からかなり大きな集団が存在します。分かれ道の選択で集団は徐々に少なくなってきて、4、あたりから、廻りには併走者がまばらになっている印象です。このスレでは、我が家の4.あたりの取り組みは、知的=量的さんのアプローチに近いように思えます。その深い洞察力と高い発信力には遠く及びませんが。最近の素粒子物理学・宇宙論の新書は、うちも読んでいますし、ファインマン物理学シリーズは正に考えていたところです。


さて、私の関心事は、子供の教育に対して、得られた環境で実行可能なバリューを示すことです。今後、我が家で実現出来ること、コントロール出来ることに焦点を当てて、ぼちぼちと参加していきます。

【1980500】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 16日 12:01

凡才さん、
第1点部分ですが、ひとが「考える」ということは、かなり反射的な行動要素が入っていると思っています。観察して見れば、植物でも昆虫でもそうで人間でもそう言う面があるということだと思います。


→少し詳しく書いてみます。ご興味のない方はスルーください。


例えば、広葉樹では自らのおかれる気候・環境に合わせて一部落としたり(=枯らせたり)、する。敢えて他の追従を許さない激烈な環境に好き好んで生えることで、生き残りを目指す高山植物も、脳に考えがなくても、そういう高度な戦略を結果としてとっている。青虫は目が見えないだろうに、茶色の樹に捕まると青色に皮膚を変色させて保護色を作り出す。(かれらは脳みそで状況の判断を都度して色を変えているとは思われない) (*)



人間で言えば、イチロー選手は、ボールかストライク可の判定や、自分が打つべきボールか否かを、ボールを見て脳が判断することができる時間よりも短時間に判断しています。つまり、これらは脳を介さない、なんらかの対応システムで行動を決定している例です。(別の言葉で言えば、無意識での判断)


これは、短時間での反射を鍛えることにより、後天的に獲得できる種類の例のように思われます。そして、実はひとつのヒントがあると思います。


知的な活動における何らかのニーズであっても、つぶさに見てみると、反射の善し悪しを求めているところが多分にあります。例えば、英語での当意即妙の議論、会議での相手との説得合戦。その場での反射的な判断は、必ずしも、すべてその過程が意識化されている訳ではないエス。つまり、それ故に・・・である、という判断の結果で行動を選んでいるのではなく、確認の読みを入れて(**)、外部の人に説明できるようにロジックを整理することに時間を使っています。このような瞬時の判断とは、鍛えられないモノか、鍛えられるものかというと、鍛えられるモノです。


それで、凡才さんと同じ意見の部分なのですが、この反射の部分とは、遺伝もあるが少なくとも後天的な鍛えられ方で伸びる部分。お医者さんのことで考えれば、お医者さんの下している判断とは、他のまったく知らない一よりも熟練した瞬時の判断が多いのだと想像しています。しかも、それが魅力的で眩しいこともある。おそらく、尊敬される存在である医者とは、給料が多いとか、にがあるというよりも(もちろんそういう部分はあるでしょうが)、判定を瞬時に下せる力のあるお医者様という部分があるように思います。


さらに先まで脱線していくと、これらの考え方は、実は、私立中学価値議論で親が求める教育内容の核心部分のひとつであるとも言えます。陶冶された人格、学習ばかりではなく学習方法/学習習慣/効率的に考える思考力/センス良く判断する判断力/全体的に考える構想力/アイディアを思いつきAction Planに落とし込む構想力・企画力/ひととの間合いを取り、うまく議論できるグローバルに通用する議論力などなど(***)・・・であったりするのでしょう。


わたしは首都圏の多くの親の期待が、コストがかかっても、知的な集団での活躍を想定して、そういう教育に価値をおきたい、という行動を選ばせているところがあると思います。これは無意識で言葉にされていないこともあります。(=偏差値の高いところにいきたいとか、良い大学に入れたいとはではないので、うまく言葉にできない親子も多いと思いますが、意識化されないだけで、行動には出ている大きなそして正当な”期待”だと考えます。)


(*)ここでの例示は、脳みそなくして瞬時にあるいは、その場で判断することです。植物は、可能性を伸ばした中で長年の淘汰の結果として、環境にマッチして、その形質を獲得したかもしれない。ところで、人間は、やはり淘汰・優勝劣敗で徐々に獲得べきとの議論は当然、あるが、きびしいつきはなした議論に見えます。ここではは前提とはシナイで、無意識の判断を後天的な要素として人間的に獲得する点に注目しています。自然淘汰ではなく、意識をし教育によりたぶんに獲得できる前提で議論している。内弟子制の効用は、まさにそういう点に光を当てているシステムだと個人的には思います。


(**)ちょうど将棋のプロ高段棋士が、瞬時に判断する2-3点で優先度/優劣まで瞬時につけているものの、読みをいれて確認している状態に近い。


(***) 以降では、仮に「メタ学習力」と呼ぶことにいたします。

【1980509】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 16日 12:11

(不備が多く、失礼しました。差替えます。)
なお、高山植物の例は紛らわしかったのでカットします。



凡才さん、
第1点部分ですが、ひとが「考える」ということは、かなり反射的な行動要素が入っていると思っています。観察して見れば、植物でも昆虫でもそうで人間でもそう言う面があるということだと思います。


→少し詳しく書いてみます。ご興味のない方はスルーください。


例えば、広葉樹では自らのおかれる気候・環境に合わせて葉の一部を落としたり(=枯らせたり)、する。(*) 青虫は目が見えないだろうに、茶色の樹に捕まると青色に皮膚を変色させて保護色を作り出す。(かれらは脳みそで状況の判断を都度して色を変えているとは思われない)



人間で言えば、イチロー選手は、ボールかストライクかの判定や、自分が打つべきボールか否かを、ボールを見て脳が判断することができる時間よりも、短時間に判断しています。つまり、これらは脳を介さない、なんらかの対応システムで行動を決定している例です。(別の言葉で言えば、無意識での判断)


これは、比較的短時間での反射を鍛えることにより、後天的に獲得できる種類の例のように思われます。そして、実はひとつのヒントがあると思います。


知的な活動における何らかのニーズであっても、つぶさに見てみると、反射の善し悪しを求めているところが多分にあります。例えば、英語での当意即妙の議論、会議での相手との説得合戦。その場での反射的な判断は、必ずしも、すべてその過程が意識化されている訳ではないです。つまり、それ故に・・・である、という判断の結果で行動を選んでいるのではなく、確認の読みを入れて(**)、外部の人に説明できるようにロジックを整理することに時間を使っています。このような瞬時の判断とは、鍛えられないモノか、鍛えられるモノかというと、鍛えられるモノです。


それで、凡才さんとも同じ意見の部分なのですが、この反射の部分とは、遺伝もあるが少なくとも後天的な鍛えられ方で伸びる部分。勿論、伸びしろを見ながらのActionです。お医者さんの例で考えれば、お医者さんの下している判断とは、他のまったく知らないひとよりも熟練した瞬時の判断が多いのだと想像しています。しかも、それが”魅力的で””眩しい”こともある。おそらく、尊敬される存在である医者とは、年収が多いとか、ステータスがあるというよりも(もちろんそういう部分はあるでしょうが)、判定を瞬時に下せる力のあるお医者様という部分がベースにあるように思います。


さらに先まで脱線していくと、これらの考え方は、実は、私立中学価値議論において、親が求める教育内容の核心部分のひとつであるとも言えます。具体的には、陶冶された人格、学習ばかりではなく学習方法/学習習慣/効率的に考える思考力/センス良く判断する判断力/全体的に考える構想力/アイディアを思いつきAction Planに落とし込む構想力・企画力/ひととの間合いを取り、うまく議論できるグローバルに通用する議論力などなど(***)・・・であったりするのでしょう。


わたしは首都圏の多くの親の期待が、コストがかかっても知的な集団での活躍を想定して、そういう教育に価値をおきたい、という行動を選ばせているところがあると思います。これは無意識で言葉にされていないこともあります。


(=偏差値の高いところにいきたいとか、良い大学に入れたいとはではないので、うまく言葉にできない親子も多いと思いますが、意識化されないだけで、行動には出ている大きなそして正当な”期待”だと考えます。)


(*)ここでの例示は、脳みそなくして瞬時にあるいは、その場で判断することです。植物は、可能性を伸ばした中で長年の淘汰の結果として、環境にマッチして、その形質を獲得したかもしれない。ところで、人間は、やはり淘汰・優勝劣敗で徐々に獲得べきとの議論は当然、あるが、きびしいつきはなした議論に見えます。ここではは前提とはシナイで、無意識の判断を後天的な要素として人間的に獲得する点に注目しています。自然淘汰ではなく、意識をし教育によりたぶんに獲得できる前提で議論している。内弟子制の効用は、まさにそういう点に光を当てている教育システムだと個人的には思います。


(**)ちょうど将棋のプロ高段棋士が、瞬時に判断する2-3点で優先度/優劣まで瞬時につけているものの、読みをいれて確認している状態に近い。


(***) 以降では、仮に「メタ学習力」と呼ぶことにいたします。

【1980529】 投稿者: 凡才   (ID:oZNXmPB/Axk)
投稿日時:2011年 01月 16日 12:27

知的=量的様

仰るとおりですね。


一番の問題点は、時間の制限にあると思います。

例えば、中学受験、高校受験、大学受験、それぞれに時間制限があり、チャンスは一回しかないわけですから、

当然、どちらかの道を選択しなければなりません。

その点で、親の置かれている立場が非常に大事だと思います。

時間に制限がない場合、全ての人が達する事が出来る=時間制限がある場合、特別な人でなければクリアできない。
 

この所で、視点さんにまた言われてしまいそうですが、中学受験においては、基準が偏差値になります。


その偏差値をキープさせるために、勉強をするようになる訳ですが、結局、成績を上げるためには、

かなりの量の勉強とテクニックを身に付けなければなりません。

子供が好きな事もあれば、嫌いな事もある。1問10秒で終わる物もあれば、1問を解くのに何日もかかる場合もあります。


結果的に、時間制限があると言う事は、自分の子供にも時間制限を課さなければならないと言う事です。

時間制限を課す事に対して、学校や塾の勉強を親がコントロールしなければなりません。


そのコントロールの判断が、とても難しい物と思います。


あくまで、塾の勉強を塾主導にしてしまった場合、子供のコントロールを塾に任せてしまう事になります。

そうした事により、塾によっては、塾内で全ての宿題まで終わる塾、毎日宿題に追われる塾、テストが3ヶ月に一回か、

1ヶ月に1回か、その他、根本的に塾に来ている生徒のレベルなども絡み、時間制限内において、自分の子供一人の基準と

合っているかと言うと、合っていない場合が多いでしょう。


そこで、踏ん切りの良い親であれば、親主導で塾をポンポン移るでしょうが、または、自宅で仕込みをするでしょうが、

大概は、渦の中に巻き込まれていきます。


私が思うには、このエデュでさまざまに起こっている、また学校や塾で起こっている勉強の問題において、教育界の流行の

渦の中に入るのではなく、親自身が塾に全てを任せたり、また勉強を教えたりするのでもなく、一番大事なのは、情報を親が

うまく子供の尺度に合わせてコントロールする事だと思います。


私もそうですが、大概は走りがちですが、大人として、立ち止まり、今の状態を把握する事が必要だと思います。


あくまで、私の意見は、前向きに全ての人にチャンスがあるという所止まりであり、そこから先の事は、すべての人に

当てはまる意見ではなく、その事が結果的に無理をさせ、苦しめてしまう場合も有るのではないかと思いました。

【1980573】 投稿者: 底辺   (ID:hbVMB.SzOA6)
投稿日時:2011年 01月 16日 13:38

職業に貴賤なし、しかし、人には貴賤あり

私立中学・高校は、人を育てるところではなく、
良い大学に入学する為、将来だれもがうらやましがるような職業に
就くための場所なのでしょうか。

優秀な大学を出て、世界で活躍し、勝ち続ける。
名誉とそして金。
それこそが世の中に対する貢献であり、素晴らしい人生なのでしょうか。

【1980578】 投稿者: あつき   (ID:IY2R0EyHB62)
投稿日時:2011年 01月 16日 13:49


そうとは限らないこともあるでしょうが、

自分の夢、就きたい仕事に向かって努力することは、とても素晴らしいことだと思います。

私のまわりには、勉強を楽しみ、頑張っているお子さん、そしてそれを応援しているご家族もいますが、

「勉強だけが全てではないわよね~」と言っている方もいます。

お金や名誉は、その努力に伴って入ってくるものともいえますし、頑張っている姿は、人間的な魅力の1つでも

あるように思います。

【1980621】 投稿者: 凡才   (ID:92TLpK.M2Hw)
投稿日時:2011年 01月 16日 14:42

底辺様

はじめまして。

底辺様は、答えがわかっているでは無いですか。

御三家と呼ばれている学校が、目の色変えて上を目指してやっているかどうか、かえって

中堅校の方がかなりキツイと思います。

何のために勉強するか、結局は、自分の夢を叶えるためですか。

その切磋琢磨が人の役に立てば、嬉しい事ですし、お金は無ければ生活出来ません。

名誉は、自分が決める物では無いので、何ともしようがありません。

夢を叶えるための一つが、中学受験だったら、それも良いでしょうし、

全ては自分の人生なので、自分で最後には責任を取らなければなりません。

少なくとも、日本の社会は例外を受け付けないので、土俵に登った上で、選択する方が

一般的に安全ですし、夢への近道だと思います。

また、全てを放棄して、そこから這い上がるのは、トップに上がるより、大変な事なの

で、出来るならば、避けなければなりません。

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