女子美の中高大連携授業
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
・・相変わらず細かい議論させていただいているので、ご興味のない方はスルーください。
中学高校がメインですが、その後の部分を書いておきたいと思っています。
(”中高段階のあり方/位置づけを見る”という目的ですので、少し広い範囲までみて大学院まで書きました。)
ほんの思いつきで書いていてすみません。
【3.地固めの時代II& 知的価値の気づきの時代】
中学校では、各科目を学びますが、様々な感動を、様々分野でぽつぽつと経験し、いわば知の全体にしてみれば、斑模様に経験し発見することで、学習が苦労にならなくなり学習の習慣や、長時間の学習を苦にしない生活態度ができます。それをサポートする時代。(*)それがなんであれ、読書がこどもの面白さの発見の手段になり、多読ができるようになっていきます。このとき納得ずくではなく受験のための塾に入るところから入ったり、理由を説明することなく学習を親から強制したりしれは、私立中学に入った瞬間から、違う道に行こうと反発して行ってしまいます。
この時代、親への反発をうまく消化できれば、知的な興味を掘り起こすことは、学校+親+第3者の共同作業のはずです。最大限に可能性を活用して行く部分で、だからこそ「私立中学の価値」が利用できる、バリューをしゃぶりつ尽くす、という部分だと思います。(あくまで、主体は親/本人)
(*)
今の、中高の授業もさらに掘り下げると様々なアプローチがあり得ますし、家庭ができることもあります。歴史的な視点もありますし、古典などもそういう例です。以前スレに書いた例ですが、国語教科書では、伊勢物語では芥川(6段)東下り(9段)とか土佐日記では、忘れ貝、帰京など1-2の段だけ出しているだけですが、例えば、伊勢物語を口語訳で全部読み、全体の様子さまざまな他の古典との連関(古今著聞集、古今集)を見ていくと面白さが倍増して、いつしか感動の質も深い方向になる。(・・大鏡などへの展開で藤原アンチVS藤原もあり、日本史へのリンクもありますね。)普通は習わない部分をフォローすることで、さらに見えてくる部分の例です。つまらないものが面白く見える例でもあります。
【4.ターゲットを見据える時代 & 離陸への準備の時代】
次に、人生のひとつの目標がおぼろげに見えてくる時代が来ます。進路を決め、準備を始める時代。自分がなりたい人物イメージを具体的に持つことは、ここでとても大切な部分です。そして、自分が活躍するイメージ、必要な能力から逆算して、必要な能力は分析的に考察していくことも、そろそろできます。ぜひそういうイメージを持てほしいもの。積み上げの学習の重要性を認識を是非して、自分からその基礎部分の構築ができる時代。
ここで大事なことは、目標が大学受験だけにならない下準備としての、1.~3.が役立つこと。本人が主体になり、また他者との相談の中で本人が決めるということができます。親や学校の先生は伴走者である時代。学習に悩みや時間との戦いも切実に出てきます。
かなり本人固有のメニュー、技を開発する時代。優れた友人の影響は大事なとき。高1から高2は勉強のノウハウを苦心して確立する時代でもあり、様々な面白い経験・知的発見をさがす時代です。 忙しい中でも、友人との語らい、部活慟が大きな刺激となり意味を持つ時代です。自学自習とは、Actionにしかない。
【5.ターゲットを見据える時代II & 離陸への準備の時代II】
大学の前期課程は専門の前でもあり、専門家になる競争のはじまりでもある。高等教育は金がかかり、知的なアカデミックポジションでは高度な競争の環境が不可避であるため、大学入試以上に厳しい、ライバルとの戦いがはじめる(ことが多い)。それを意識して、教養課程&専門教育がスタートすることになる。大学の教養課程は、中高の幅広い分野の勉強をさらに敷衍していくが、中高の時代に、土台ができていないと教養課程の各科目とは、先生の著書を通じて、断片的な知識を仕入れて定期試験対応することにもなりかねない。ここの教養課程の全教科を完璧にこなすことは、普通は時間もかかることなので、部活をしていると難しい。学習の戦略・努力の違いや少しの違いで一番差がつきやすい時代でもあると思います。
【6.離陸 → 他者からの評価と自分としての価値の葛藤のはじまり】
学部の専門課程(3-4年)は、学生にとり大きな挑戦の時代だと思います。いままで培った道具立てと才能で、どこまで知的な議論に太刀打ちできるかを問われ始める時代。研究室やゼミの先生との顔の見える関係ができ、直接指導も場合によりはじまる。理系の場合は、大学院の修士課程に行くのが今では定番ルートになっていますが、院試では、アカデミックな道に行けるかの試金石でもある。最低点で合格はターゲットにはない。・・先生はその点もみているので、その時期から全力投球する時代が始まる。大学院1-2年、修士課程の論文は、専門家の入り口、専門知識の第一歩。人間関係もあるが、研究に打ち込み、つらさを感じても頑張る時代。教授との距離は近く、優秀な教官らから得ることが多い。博士課程に進めば、さらに厳しい研究生活の一歩を踏み出す。この時代を自分の実人生にどう活かすかは、どこに就職するかで大きく異なります。(就職活動でも、すでに構想・企画(戦略)と調査(実行)が重要な時期。) 自分のしたいことと、他者からの期待されることの乖離を何らか感じ始める時期でもある。
乱文におつきあいいただき、ありがとうございました。
根本的様
才能のみが要求される分野、たとえば純粋数学や一部の理論物理学、では、私は、英才教育も早期教育もあっていいと思います。どういう人をピックアップするか、という問題が残りますが、このハードルを下げすぎると今のAO入試みたいになってしまうので、本当にその分野で生き残れる確率の高い人に限定したほうがいいかな、あと、ドロップアウトが即人生の破たんとならないようなセーフティネットも必要かな、と思います。
私のイメージは、前に書いたとおり、ブルバキの数学言論を高校時代に通読して理解する、というような基準です。数学オリンピックでもいいと思うのですが、ここではあまり評判がよくないので。
ブルバキ読破の高校生、たぶん、日本に何人もいないだろうと思いますので。
こと音楽の分野に関していうと、早期英才教育が必要です。脳と筋肉と骨格を演奏に有利につくりかえるのは、成長が止まってからでは遅いのです。しかし、日本の音楽教育は最悪の状態を招いていて、とても真似するわけにはいきません。年に何百人のピアノ科卒業生を生産して、演奏家になれるのは何年かに一人、両家の花嫁市場も、街のピアノの先生市場も、縮退の一途、おかげで、ボトムのピアノ科のレベルは、テリブルなものになっています。
また語学や文学の話になって恐縮ですが、新旧聖書を理解しないバッハ演奏はあり得ないし、フランスのデカダンを理解しないドビュッシーもあり得ないのです。肉体的都合から技術を先にやるだけで、音楽教育はその先もあるのです。映画の「のだめカンタービレ」で、フランスに留学したのだめが、助教師にボロカスに言われ、音楽院の図書館から何十冊も本を借り出して、モーツアルトの作曲技法や文化的な背景を勉強する、というくだりがありましたね。その前で、みんな止まってしまうのです。
通りがかりの企業人さん、
「人事ポストに居た7年間は、全力で、「大組織を率いる適性には少し欠けるが独創性と実績のある人」を高く処遇するシステムをつくってきました。」というのは、なかなか一般には賛同の得にくい難しいお仕事を企画実行されて実にすばらしいですね。・・イメージされる困難さとその仕事の「価値」の大きさが、外部のわたしにも感じられます。
<通りがかりの企業人さんWrote >
>私自身は、どちらかというと360度タイプかと思いますが、人事ポストに居た7年間は、全力で、「大組織を率いる適性には少し欠けるが独創性と実績のある人」を高く処遇するシステムをつくってきました。効果があるかどうか、システムはできましたが、企業にとって価値があるか、答えはまだ出ておりません。
>質問に答えていただいてありがとうございました。お考えが少しわかった気がしました。 ちょっとわたしに意外だったのは、大学の理系の学部であっても、
>「一芸に向かいたいひとが向かえばいいだけなんですが、現状では、みんな「オールマイティ」に向かわせられている」との理解だったのですね。(*)
あのう。ちょっと。そこ違うよ。
「大学の理系の学部」の話なんかしてなかったよ。受験の話でしょ。
困っちゃうなあ、量的さんは。
凡才さん
>小学生が勉強する際、父親が熱心か、母親が熱心か、それとも両方か。
>私が今まで体験して思うのですが、やはり母軍団が熱心な方が成功するような気がします。
うちは早くから塾に行かせるのは心配でしたので、家庭での通信教育の期間がだいぶありました。私もたまたま仕事が暇でしたので、教科ごとに分担して教えておりましたが、やはり私の方は短気ですから、なかなか難しいものがありました。塾に入れた方が楽だっていうのもよくわかりました。「母親が熱心な方が成功する」っていうのも本当でしょう。父親が口を出しすぎるとろくなことはないと思います。
>塾だけが優先してしまう物で、家庭環境がボロボロ、第一志望が受からないと離婚してしまう例も見かけます。子供のためを思って、結果、家族離散は、最も考えたくない事です。
お気の毒ですねえ、そこまで思い詰めてしまう方々。でも、そんなひともいるんでしょうねえ。この状況なら。やはり、システムの犠牲者というべきか。
>例えば学生が上の年次に行くほど教養教育を充実させています。教養科目は1年生、2年生で学ぶものと考える人には「なぜ」といぶしがられますが、説明すると納得してくれます。
「なぜ?」 私は「納得」していません。
>今は専門分野の研究を深めるほど視野を広げる教育が必要になっているんです。社会に出ると、学生は正解のない問題に出合う。その際には幅広い教養、知の基礎体力がものをいいます。それを大学時代に鍛えねばなりません。
>これに対するみなさまのご意見をお聞きしたいのですが、よろしくお願いします。
専門分野の勉強をする期間が短すぎると思うんです。1年2年も教養、そのうえ3年も教養なんて、がっかりです。だって、1年2年は専門と言っても高校に毛が生えた程度。3年になってやっと本格的な専門科目が入る。ところが、いまどきは3年から就活が始まってしまうではないですか。それでは一体いつ勉強すればいいんでしょう。企業なんて、大学教育の内容になど、なんの関心もないということですよ。それでいいんでしょうか?
>私のイメージは、前に書いたとおり、ブルバキの数学言論を高校時代に通読して理解する、というような基準です。
すいませんが、ブルバキってい言われても、全然知らない人なんで。
>こと音楽の分野に関していうと、早期英才教育が必要です。脳と筋肉と骨格を演奏に有利につくりかえるのは、成長が止まってからでは遅いのです。
これはその通りだと思います。
>年に何百人のピアノ科卒業生を生産して、演奏家になれるのは何年かに一人、両家の花嫁市場も、街のピアノの先生市場も、縮退の一途、おかげで、ボトムのピアノ科のレベルは、テリブルなものになっています。
それはお気の毒ですが、でも、まあ、需要がなければしょうがないですねえ。
>また語学や文学の話になって恐縮ですが、新旧聖書を理解しないバッハ演奏はあり得ないし、フランスのデカダンを理解しないドビュッシーもあり得ないのです。
まあ、そう硬いことを言わなくてもいいんじゃないかなあ。音楽って、やっぱり「うたごころ」ですよ。演歌だってなんだって似たようなもの。たしかに西洋芸術を本格的に理解するには、キリスト教理解が欠かせないってのは事実でしょう。でもね、それは、彼らにとっては、乳幼児期から刷り込まれたもの(それこそ10才までには終了してますよ)。日本人にとっては「理解」はできても、所詮付け焼き刃だから。素手で、当って砕けろっていうのもありですよ。
>映画の「のだめカンタービレ」で、フランスに留学したのだめが、助教師にボロカスに言われ、音楽院の図書館から何十冊も本を借り出して、モーツアルトの作曲技法や文化的な背景を勉強する、というくだりがありましたね。その前で、みんな止まってしまうのです。
でもね、「のだめちゃん」は、どう考えても、小さいころから「お前の好きにひいていいんだよ」って教育されてきた子供ではないですか?原作は、そこを真正面から肯定しているとしか思えませんけど。それに「モーツアルトの作曲技法や文化的な背景を勉強する」ことは、モーツアルトをうまく弾くために必要になったからやったのであって、日本の大学受験勉強とは関係ありませんからね、念のため。
>私のイメージは、前に書いたとおり、ブルバキの数学言論を高校時代に通読して理解する、というような基準です。数学オリンピックでもいいと思うのですが、ここではあまり評判がよくないので。 ブルバキ読破の高校生、たぶん、日本に何人もいないだろうと思いますので。
飛び級の話でしたか。たとえば、大学学部レベル(もちろん専門分野だけ)を殆どマスターしているのならば、その時点で、大学を飛ばして大学院で研究させるようにしてもいいのではないかと思っています。中学生でも、高校生でも。そうすれば、早熟のひとに対する道が開けるでしょう。
もうひとつは、大器晩成型というか遅咲きの人にも道を開いてもらいたいと思っています。たとえば、社会人になってから、進路変更しようとする人です。サラリーマンになったけれど、もういちど学問の道を目指したいというようなひとたちのために。
そのためには、以前も書きましたが、各専門分野ごとの大学卒業レベルの全国共通学力テストが必要だと思っています。英語で言えばTOEICのような。覚えていますよね。TOEIC数学、TOEIC物理、TOEIC化学、TOEIC生物など(ちなみに、TOEICのEはENGLISHと承知の上ですので、余計なご心配はなさらないように)。中学生でも社会人でも受験できるようにして、TOEIC数学900点なら即大学院進学許可を与える。いかがですか?




































