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私立中学の価値

【1934980】
スレッド作成者: 自然体 (ID:KR1jc1G02kE)
2010年 11月 28日 08:25

この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。


2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝

【1983093】 投稿者: 地域、時代   (ID:elgBrxygLEg)
投稿日時:2011年 01月 18日 18:11

根本的様がなんとなく、ほんの少しだけ、わかってきたような気がします。
キャラ的に私と少し似てる部分があるような、ないような。。
だから、根本的様の「努力、努力って、、」の話にすごく心を揺さぶられ、正直、あの書き込みを読んだ時は、私自身、家事をしながら「努力、努力、ってもう、うんざりだ」って言葉がずっと頭の中でぐるぐるしておりました。

話は変わって。
私は、うちの母方の実家全員が教師ですので、物心ついた時から親戚が集まれば、そこで「大学」「学校」の教育に関する話題が出ていました。
なので、なんとなく、そんな門前の小僧的な私が思う事を書いてみます。
私がぼんやりと感じる事は。
「大学の先生」と「学校の先生」は違うのではないか?という事。

母達のような教師は「生徒を’育てる’のが仕事の全て」という部分が強い。
私の感覚的な言葉で表現すると
大学の先生は父性的な色合いが強い。
学校の先生は母性的な色合いが強い。職業なのかな??と。

また、大学教授のおっちゃん達から聞かされた事は「大学教授はざっくりわけると2通りに分けられる。学生を育てたい教授と、自分の研究に没頭したい教授」である。と。

みなさんはよく大学教授の話を例として出してこられますが、大学教授は「人を育てるプロなのか?」と問われると。私は「う~ん、、学問、その道のプロを育てる教育者であると思うが、’人間を育て伸ばす教育者’と呼ぶに相応しいのは小、中、高の’学校の先生’なんじゃないの?」と思う事が多いのです。

大学教授のおじちゃん達と、母達教師達の会話はあきらかに違っていた。
大学教授のおっちゃん達の会話の中心は、研究の話や学問の話中心。
母達教師達は、科目の話などほとんどせず、心を痛めてしまった生徒さんの話や、どんな生徒にもあてはまる、教育そのものの話をしていた。

うちの母方の人間はみんな小学校の頃から国立附属にぶち込まれて、地域社会と言うものを知らずに育ってきているエリート教育をうけてきた者達ばかり。
戦前のくだらない「身分を知る」みたいな風潮の中、父親達の職業は医者、弁護士、大学教授、転勤してきた官僚の子達、、みたいな子供しか学校にはいなかったそう。(なので、母達の頃は受験者は全員合格に近かったらしいです)
正直、母の想い出と私達兄弟の小、中の想い出は180度違う。
母達は勉強が出来る者はすごい、と純粋に尊敬された。
私達は勉強をする事がカッコ悪いかのような学校生活だった。荒れた地域でしたのでね。。。
(私は女番長みたいなキャラだったので、言わせませんでしたけどね、(笑))

地域の荒れ、、というものを知らずに育った母は、公立の地域性を知らずに育ってます。
「公立小中の地域性など知らなかった。」これを今でも言いますね。
なので、自分達の交通の便の良い場所に家を買い、私達兄弟を荒れた地域の公立小へ入れた。
母は熱血教師だったけど、私立の教師だったので、生徒さんを通じて地域性を感じる事も出来なかったのでしょう。
母に「なぜ、同じルートを取らせようとしなかった?(受かるか落ちるかは別にしても)」と問うと「何も考えてなかった。忙しかったから。」ですって。。。
「公立で十分だったけど、地域性だけは考えて欲しかったな。」と、荒れアレの小中出身の私はいまだに思う事があります。
私自身、小中時代は、非常に突っ張って生きてきた気がしますから。

と、ちょっと話は脱線してしまいましたが、私は「大学教授は教育者なのかな?本当に本質的な部分で’教育’がわかってる人達なのかな?」と、なんとなく思っている部分があります。
彼等は学者であり、学問の先生なんじゃないかな?と。
私達、小、中、高生を抱える親は、生徒を扱う’学校の先生の目線’で我が子を見つめる方がエエんとちゃうかな~って思ってるんです。
なので、私には知的様、企業人様、離陸様が語られる「学校の先生のような目線」の方がしっくりきます。

【1983289】 投稿者: 通りすがりの企業人   (ID:o1EBtemKCUs)
投稿日時:2011年 01月 18日 21:11

 ブルバキって、結構影響力があったので、どんなものかは、けっこう皆様ご存知かと思っておりました。説明不足失礼しました。

ブルバキは、20世紀前半に組織された、フランスの若手の匿名数学者集団のペンネームです。数学の体系を完全に整理しよう、と、若手が分担して「数学原論」の執筆を開始、1998年(ちょっとうろ覚え)まで、刊行が続いたはずです。当然、メンバーも、匿名のままコロコロと入れ替わっていたようですが、超一流が複数メンバーに居たようです。当初の目的は、解析学を体系づけることだった、という説もありますが、それで集合論から手をつけるのも、数学全体に拡充するのも、モチベーションがよくわからないんですけれどね。
ブルバキの、非常に厳密な論理展開と体系は、20世紀の数学界の骨格をつくり、きわめて大きな影響を与えました。現状は、数学原論は、完結したのか未完なのか、ブルバキが解散したのか存続しているのかよくわからず、当然のことながらブリバキの体系にはまらない新理論もあり、現役バリバリの数学者が等しく深く影響されているかどうかはわかりません。

数学原論は、現在、日本語版は絶版かも知れませんね。百科事典と見まがう膨大なもので、淡々と、命題と演繹が並んでいるだけの、きわめて素っ気ないものです。解析学でも群論でも、普通の教科書は、図表で解説したり、議論や学習の流れを強調したりして、理解を助けるような記述がありますが、ブリバキには、一切ありません。
私は、大学の教養の時代に、物好きにも、集合論の部分(これが最初に刊行されたはず)を詠みました。数式を目で追い、手を動かして検証することはできても、頭の中で、イマジネーションにならない、自分は決定的に純粋数学に向かないと思った瞬間でした。

こういう、百科事典ほどの分量の数式の羅列は、根性だけでは追うことはできない、文学作品を読むように数式を読み、先を予測し、感動することができないと、読むこともできないだろう、と推測し、それができる人間は、たぶん数学脳なので、いかに優遇してもいい、それなりの数学者になるんじゃないか、と思ったわけです。

もっとも、天才数学者の中には、ラマヌジャンやポアンカレのような直観派も居るので、100%有効、とは思いませんが。

大学4年間をふっとばして大学院博士課程にすぐに突っ込む。それで、モノになりそうなら、20歳で准教授、世界と競争するフィールドに出て行ってもらう。モノにならないようなら、さっさと、物理にでも医学にでも工学にでも方向転換してもらう、というのは、ありかと思います。

今、厳密には、大学では飛び級が可能になり、博士課程を25くらいで修了することもできるようです。やる気になれば、2~3科目入試で私立大学にはいり、国立の大学院にかわって飛び級、というのも不可能ではないはず。
大学院への社会人からの再入学ですが、今の大学院は、英語と専攻しかない試験じゃないですか。それも、門戸が広い。社会人博士課程という手もあるし、社会に一度出た人が再度大学院に入るのは、新TOEICが必要なほど、難しくないように思います。

そのへんの構造を柔軟にすることは賛成なのです。
しかし、人を厳選しないと、他になにもできないプーを量産することになるだろう、と考えています。今の大学院拡充で、すでにそうなっていますので、さらに、挫折する人を増やすような施策は賛成しない、分野を限って、厳選に厳選を重ねて、というように、ぼんやり考えています。

【1983315】 投稿者: 通りすがりの企業人   (ID:o1EBtemKCUs)
投稿日時:2011年 01月 18日 21:25

音楽について

美空ひばりのように、楽譜が読めなくても(そう言われています)、多くの日本人を感動させ続けた人も居るし、日本には、雅楽や邦楽もあります。もちろん、塩化でも流行歌でもいいのです。そういうドメスティックなものには非常に価値があるし、否定するものではなりません。

しかし、こと、西洋音楽をやろうと思うと、常に、文化的なバックグラウンド、民族の違いとどう折り合いをつけていくか、という命題にぶちあたるわけです。日本人から見て完全にヨーロッパに同化したような日本人演奏家が、ヨーロッパでは、東洋的でヨーロッパオリジンとは違うテイストがあるけれど、自分らのバックグラウンドから許容できる範囲にかろうじてはいる、という感じなのだろうと思います。
そういうことに思い至らず、指だけ動かす人が多すぎる、という感じがしています。

そういうレベルの人に、プロフェッショナルの訓練もどきをやって、音大を卒業させる意味を見出さない、同様のことが、今の大学院にも起きているのではないか、という問題提起と思ってください。

のだめは架空の天才少女なので、のだめのことを議論しても仕方ないけれど、彼女は、何十冊の本を数日で読む語学力と文化的バックグラウンドを身に着けていた、ということです。
これは、日本からヨーロッパに留学する人がひとしく受ける洗礼のようなもので、そのリアリティが濃縮されているから、あのドラマは受けるんです。

私は、ハンガリー語は一言もしゃべれませんが、師匠に、日本語の指示をハンガリー語でくりかえしてもらって、語感を感じながらレッスンを受けていると、突如として、リストの演奏が、日本の演歌から、東欧の乾燥した風景やジプシーの音楽に変わる瞬間がある、いや、自己満足ですけれどね、そういうのを楽しんでいるもので。

【1983523】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 18日 23:24

そうだよ、だから、受験の。
”理系の学部であっても”=”理系の学部(の入試)であっても”
・・・そもそも、わたしが書いたQ4の部分だから、普通に省略しただけ。文脈で読めないのかな? 



>質問に答えていただいてありがとうございました。お考えが少しわかった気がしました。 ちょっとわたしに意外だったのは、大学の理系の学部であっても、
>「一芸に向かいたいひとが向かえばいいだけなんですが、現状では、みんな「オールマイティ」に向かわせられている」との理解だったのですね。(*)


 あのう。ちょっと。そこ違うよ。
 「大学の理系の学部」の話なんかしてなかったよ。受験の話でしょ。
 困っちゃうなあ、量的さんは。

【1983579】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 19日 00:03

通りがかりの企業人さん、
例の内容は別として、「一芸に秀でるというとはとても希なこと」だというのは、まったく同じ考えです。

その前提での質問です。
さきほどのブルバキの説明を読み、教えていただきたいですが、ブルバキという本が不親切だと、それを読めるかというチェックが有効が機能するのか、心配になりました。それにとても優秀な企業人さんも大学で読んで極めて手強かったのですよね。解析概論を楽に読め理解する位、は「一芸に秀でるとして最低限必要!」などと言って貰った方がわたしはまだ自分のイメージでわかる気がしました。日本に数人、だと確かに1-5ppmですけども、そのレベルではできるのですかね。


・・・いずれにしても、一芸に秀でるとは、かように大変で、自分は一芸に秀でているなどと、思わずにチャンスをいくつか捉えてしっかりやってみたら、と思います。たいていそれで集団からはじかれないように生き抜いていく。それを早めに知ることが、かなりノウハウになるような気がします。私の知る限り、大学の教養課程で数学(解析・幾何)がクラス平均5点で95点などという上位の連中でも数学科進学はかなり躊躇しかんがえていました。


<通りがかりの企業人さん>
(一芸に秀でると言うことに関する)私のイメージは、前に書いたとおり、ブルバキの数学言論を高校時代に通読して理解する、というような基準です。数学オリンピックでもいいと思うのですが、ここではあまり評判がよくないので。 ブルバキ読破の高校生、たぶん、日本に何人もいないだろうと思いますので。

【1983581】 投稿者: 凡才   (ID:nDmIdKownxA)
投稿日時:2011年 01月 19日 00:04

根本的様


塾についてのご意見お聞かせ頂きまして、有難うございました。

私も、根本的様に負けず劣らず短気ですので、本当にその点は心配です。しかしながら、

子供に流れを作ってあげると、意外に問題に関しては本人一人で殆どやってしまいます。

それどころか、人に口を出されるのが嫌なのと、間違ったと言う事がプライドを傷つける

らしく、とりあえず○×ぐらいの手伝いはしています。

ただし、私と違い、本当に切り替えが遅く、その事では家には怒号が響いています。

(警察に連絡されてしまうかも、反省しております。)


ここで、全然関係ないお話ですが、友達の子供が灘突破しました。

絶対に抜けるのは分かっていましたが、今度はうちの子に現実が、今までシュミレーション

してはいましたが、現実味がまだまだなので、しばらくは、試行錯誤の日々が続きそうです。


本当にその親子と違い、私はとんびなので、とんびのチョイ格上になってくれればと願っています。


なので、私の論点は、中学受験には賛成ですが、同級生の皆にそういう勉強のチャンスが

あって、一緒に実現できればと言うのが、理想なのです。別に自分の子供が、トップ校に入れる事が

目標ではありません。

なので、視点様に賛成の部分あり、完全否定の部分ありなのです。

【1983584】 投稿者: 地域、時代   (ID:elgBrxygLEg)
投稿日時:2011年 01月 19日 00:07

今は専門分野の研究を深めるほど視野を広げる教育が必要になっているんです。社会に出ると、学生は正解のない問題に出合う。その際には幅広い教養、知の基礎体力がものをいいます。それを大学時代に鍛えねばなりません。

視点ファン様

私も、この先生の意見に深く同意いたします。
私は学問の話や、理系の話は一切わからないですが、私自身、学歴の通用しない仕事でしたので、逆に色んな学歴の仲間と、また、時には敵と仕事をしてきました。
なので、高学歴層が圧倒的である学者さん達や、企業に勤めてらっしゃる方達よりも、よりダイレクトに「多少なりとも身につけていた教養のありがたさ」が大きな武器になった気がします。
まあ、私の場合、そんなに大した教養はないのですが。。。。

【1983590】 投稿者: 知的=量的   (ID:4o3wqWLqUZc)
投稿日時:2011年 01月 19日 00:14

視点ファンさん、
こんばんは。「鷲田清一さんのお題」の件です。大学3年にして教養科目をやらせて広い視野、というのは、気持ちはわからないでもないけれど、不整合が目立ち、効果があがらないのではないかと思います。


なぜなら、高校1年~3年で、理系科目文系科目、精一杯やらされてセンター試験までもやっている学生相手の話ですよね。受験を目標に暗記中心になんとか乗り越えた学生は、いい加減にしろ、と言いたいのでは?


むしろ、高校1年の最初に勉強するとき時に、教科書以外のプリントとか読書で興味を補って感動をもって学ぶことができていれば、3年次は専門に当てることができ、はるかにバリューが大きいやり方に思えてなりません。3年、4年でやる専門科目は時間的にタイトだった記憶がありますので、それに取り組むやりかたが良いと思います。


あくまで個人的感想ですが。

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