女子美の中高大連携授業
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
遺伝さん、ちょっと前に戻りますが
>たぶんすでに、知力や才能、性質などに関わるかなりの数の遺伝子が、それなりの精度で特定されているんだろうな…。 恐ろしや~。
そのレベルはまだまだなんだろうなと、あちらの業界の常識を鵜呑みにしておりましたが(あるいは「洗脳」されているのかもしれません)、なんだか不安になってきました。私も遺伝子の専門家ではありませんので、最新情報に詳しいわけではありません。なにかご存知なら、教えて下さいよ。(大きな声では言えないことなら、内緒で。秘密にしておきます。)
>たしかに、大学受験まではいいでしょう。その後は?学問の世界で、企業社会で、グングン伸びなかった子供たちは?どうでしょうか?「弊害なんて感じません」と断定できますか?
ここで議論がかみ合わないのは、大学までの視点の人と大学からの視点の人がいるからですね。
受験偏差値が頂点でその後研究でも企業でも鳴かず飛ばずが多いのが大問題。
私は、偏差値を信じてはいませんよ。
その点では、明らかに視点さんと同じ意見を持っています。
そもそも偏差値70って、法治国家であるように、全ての事も試験で決まる世の中、現世の基準でしかないと思いますよ。
だから、この試験で偏差値70だったから、80歳になって、「僕は偏差値70だからね」とは言いませんよね。
結局、そんなものは人を総合的に計るものさしにはなりません。
ただし、限定的に見た場合は別ですし、今、最低限超えなければならない基準だとは思います。
コンピューターや外国語、そして偏差値、みんな似通っていますね。
だから、人の価値判断、出来不出来を偏差値で語るのは、間違っていると思います。
結果としてついて来る分には良いけれど、直接的には無意味です。
人の頭の成長時期も、ばらばらです。
全ての人にチャンスはあります。
研究や社会での活躍で核をなすのは自主性。
受験で大事なのは与えられた課題をこなす能力。
後者に力を入れれば入れるほど、自主性(=受験と関係なしに自分で様々なことに関心を持ち、テーマを決め、答えがあるかどうかわからない問題を考えていく能力)が失われる。
S2さま お久しぶりです。
妙に忙しく、前にもまして断片的な参加になっておりますが、またよろしくお願いいたします。
唐突に楽譜のご紹介です。
ゴドフスキー ジャワ組曲 ほか
http://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=NEOBK-531458
シュルホフ ピアノ作品集 5つのジャズエチュード/ジャズ舞踊組曲/5つのピトレスク
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4904231422?ie=UTF8&tag=regardssuroli-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4904231422
ゴドフスキーは、20世紀前半の超絶技巧ピアニスト、作曲家で、曲芸的な作品が多く、ピアノの軽業師のように見られておりました。ジャワ組曲は、演奏はむちゃくちゃ死ぬほど難しいのですが、ゴドフスキーの、非常日リリカルで音楽的な一面をよく表している曲で、彼の印象が変わりました。
シュルホフは、アウシュビッツの露と消えたユダヤ人作曲家で、ナチスが非常に執拗に彼の作品を消し去る活動をしたこともあり、ほとんど知られておりません。この曲集は、なんとか残った譜面を新たに編集、校訂、出版したものです。
両方とも、楽譜の校訂と解説は、西村英士さんが手がけています。
西村さんは、東大出身の新進気鋭の消化器外科医、手術で患者さんが回復するのが無上の楽しみ、と熱く語る好青年です。
ピアノのほうでは、メシアン「幼子イエスにささげる20のまなざし」全曲リサイタルをはじめ、すぐれたアマチュアピアニストとしての活動は、プロにも注目されています。
「まなざし」全曲演奏がどの程度のものか、もし身近にプロのピアニストがいらっしゃったら聞いてみてください。
今回は、知られざる作品を発掘し、出版社と交渉し、散逸した楽譜を集めて決定稿をつくり、英文/和文で解説を書き、という、膨大な作業の成果で、情熱には頭が下がります。
世界的に意味のある事業だと考え、紹介させていただきました。
無理やりこのスレッドと結びつけると、理III>医学部のかたの一例、ということで。
ここで議論がかみ合わないのは、大学までの視点の人と大学からの視点の人がいるからですね。
受験偏差値が頂点でその後研究でも企業でも鳴かず飛ばずが多いのが大問題
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視点様
人生に他人から大きな評価を受けないとダメなのか?
大きな仕事をしなければダメなのか?
うちの父親のような、普通の企業人には価値がないのか?
って聞いたら、「そんな事ないです」って、親父さん言ったやん。
私達が生活している中で、日々何気ない生活の便利さ、みたいなものは、そういった人達に支えられえいるんちがうの?
冷蔵庫が壊れた、あら、最新機器はこんな機能が出てるのね。
スーパーに買い物行った、ま♪こんな食品が登場してるのね。
「工夫」のような物作りの積み重ねが私達の生活を便利にしてくれて、私達はその恩恵を受けてますよね。
その小さな変化をもたらしてくれる人達を、視点様は認めたじゃん。
その人達の頑張りは、その分野の人達にはわかるかも知れないけど、他分野にいるとわかりませんよね。
「鳴かず飛ばずが多いのが大問題。」
なんて、わかるはずないじゃない。
そして、、私は女だから?
我が子を「すごい人になって欲しい」って思わない。
ごく普通に収入を得て、結婚したなら、妻子を笑顔で生活させてやれる男になってくれればそれで十分。
共働きも仮定しているから、家事も時々やらせたりして「お母さんが仕事をしてたら、家事は分業に決まってるで!」とかそんな程度。
「エエお父さんになって欲しい。これ位しか願ってない。
これは私が母親だから?
父親は、そういった目で我が子を見てないのでしょうか?
視点様は「社会的評価を受ける人間になれ」そう言って我が子を育てているの?
与えられた課題をこなす能力に力を入れれば入れるほど、自主性がはぐくまれると思います。
何故なら、天才10000人に聞いて下さい。
物事を達成させるのに、何が大事か。
同じ作業を1日、1ヶ月、1年、100年、生きられればだけれど、世間では天才と呼ばれている人こそ、たくさんの量を
こなしていますよ。
その平凡な作業を通して、とても素晴らしい発見が出来るのです。
平凡な作業を、ここで言われている凡才と天才に、同時にこなさせてみてください。
不思議な事に、天才に凡才は、持続力、集中力の点に置いて、必ずと言って良いほど勝てません。
自主性は、その物事を多角的に捉えられる集中力と、観察力にあります。
物が、中学受験やスポーツや音楽や芸術や・・・・なんであろうと同じだと思います。
それを養う手段として、中学受験を使うという事は、他の物を達成するのに比べれば、安全で健全だと思います。




































