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私立中学の価値

【1934980】
スレッド作成者: 自然体 (ID:KR1jc1G02kE)
2010年 11月 28日 08:25

この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。


2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝

【1957418】 投稿者: そうそう   (ID:/YUFXdY7yu.)
投稿日時:2010年 12月 20日 13:14

>「教育や躾は親がするものではない」という当時の農村部の考え

長年の疑問が解けた気がします。農村部出身に心当たりが多々あります。この教育の差は追いつくのに何代かかかるでしょう。善し悪しは別にして、今も農村部ってこういう考えが主流なんでしょうか?



>中学レベルの基礎学力は身につけさせるのが 国家の責任だ、と思います。

国家まで広げますか?
基礎学力がないことを本人か周りの大人が気がつけば、手だては何かありますよね?大人も義務教育は受けていますから。
大げさな問題にしてしまうと解決が先送りになるようで心配です。

【1957420】 投稿者: 老眼   (ID:4nuX847DFus)
投稿日時:2010年 12月 20日 13:17

自身が自然好きなので子供も自然好きに育ちました。
自然に触れたり本を読んだりでどんどんはまるのですが、
どうしても既知では理解できないことや想像もおぼつかないことに間々出くわします。
そんなときに必要になるのは、
さらなる知識ではなくて、
「縦を横から見る感覚」や「本の記載で省略された部分を抉り出す腕」かもしれません。
そういう大元になる感覚や腕を磨くことを、
個人的には最も学校教育に期待したいところですが、
公教育に要求してはいけないことかなあと思うので、
求めるなら個人的な方法が妥当だと考えています。

【1957616】 投稿者: 根本的   (ID:wwmfnzaRenU)
投稿日時:2010年 12月 20日 17:04

ちょっと話が変わって申し訳ありませんが。

「財務官僚の出世と人事」(文春新書)という好著を読みましたので、紹介させてもらいます。岸信仁さんという経済ジャーナリストが、三十余年にわたり大蔵、財務官僚を綿密に取材して得た情報に基づいて、事務次官という同期トップの座をめぐって繰り広げられる「日本一熾烈なエリート競争ドラマ」の再現を試みたものだそうです。


「試験の成績に関する限り、彼らは幼少の頃から『優秀』『できる子』の折り紙をつけられ、中には『神童』の評判を取った人物も多かったはずだ。長じて中学、高校でも秀才の名を欲しいままに」、全国模試で「上位一桁、あるいは二桁の成績を収め、『東大合格確実』の太鼓判を押されてすんなり現役で合格していく。」


「大蔵省に入省するキャリア組は、」「以前は、毎年の入省者の八割近くを東大法学部卒が占めていた。国家公務員試験に向けた彼らの戦いは法学部時代から始まっているわけで、上位で試験に合格するための受験勉強とともに、」「法学部で必須となる二十五科目でいかに多くの『優』を取るかに腐心する。」


「そして、国家公務員試験の上級職(のちの1種)で最後の勝負に出る。霞ヶ関のトップに位する大蔵省に入るには、『優』の数とともに公務員試験の成績がものを言い、」「上位一番から二十番ぐらいまでの成績優秀者が、こぞって門を叩いたのは容易に想像できる。」


「それだけ頭のいい人物たち」の「入省成績と出世の相関関係」は、いったいどうなっているのでしょうか。著者の導きだした結論を箇条書きしてみましょう。


(1)公務員試験1番は次官になれないというジンクスがある。実際、公務員試験1番で次官になれたのは、戦後27人の事務次官のうちたった1人だけである。

「学生時代から『秀才、秀才』と騒がれ、トップクラスの成績で入賞して来た人物が三十数年間の出世レースの中で徐々に脱落し、第二集団辺りにつけていたダークホースが、中堅のポストを過ぎる頃から次第に存在感を増して、ついに栄光の座を手に入れる事例のほうが相対的に多いように思う。」


(2)では、どのような性質をもった人物が次官にまで出世しているのか。
 たとえば「ノンキャリア組をいかにうまく使えるか」のような「将の器」など、「頭の良さだけではない、プラスアルファの人間的な魅力」「度量の大きさ」「懐の深さ」「人望」「人徳」など。

「三十代半ばを過ぎて指示を受ける側から指示を出す側に変わると、嫌でも人間の器を試される機会が増えるようになる。」


(3)ただし、「入省成績と出世」の間には、「それなりに」「正の相関関係」がある。つまり、公務員試験上位者は、「それなり」の地位につくものが多い。


(4)しかも、公務員試験下位者は(と言っても入省者は悪くて50番以内だそうです)「それなり」の出世も難しい。



(1)(2)は、視点さんが喜びそうな結論ですね。(3)(4)は、「反視点派」の面々が同意してくれそうですね。いづれにしても、私にはよく納得できる結論でした。おそらく、どんな組織も似たようなものではないでしょうか。学者研究者の世界も全く同じではないかと思われます。要は、受験秀才はトップになる可能性は低いということ。でも、「それなり」の地位を得る可能性は高いということ。どうですか、みなさん。

【1957875】 投稿者: 凡才   (ID:heOZsn1Px1w)
投稿日時:2010年 12月 20日 22:34

大蔵省、主計局からの超エリートは、周知の事実ですね。


でも、今はどうなんでしょうね。


大手の会社でも、大学レベル別試験は、今も存在するんでしょうね。

ここの大学だったら、閑散都市部長止まり、ここの部署だったら、社長まで一直線。

とある役所では、トップ3年やると一軒家が建つとか。


でも、社会に出たら、自分が納得いく生活ができる、一生を過ごせる計画が立てられる事が重要なんだけれどね。

どんな周りから良いと言われている職業でも、体壊すまで働き続けなければならない職業もあるし、

外から見たものと中から見たものの違いを、はっきり理解しなければ、いけないと思う。


話は変わるが、少なくとも両親がいて、普通の家庭の営みをしているなら、世の中の仕事を考えた場合、勉強に

走って、上を目指すということは、非常に成功の確率の高い物だと思う。

確かに、勉強以外で偉業を成し遂げる人もたくさんいる。

しかし、実際には、不成功だった人の割合を考えていないと思う。

その中には、理想と現実があり、勉強以外の選択は、東京大学に入るのから比べても、さらに可能性の低い物である。


だから、勉強に走ると言うのは、今現在の世の中で生きていく安全な道だと思う。

進んで失敗したら、またすぐ立ち直ればよい。

明日からに向かって行けば良いのだと思う。レベルに違いはあれど、続ける事ができるからである。

次のステップにするための仕事を得ることも出来る。


例えば、難しい職業の例で、声優になる場合を調べると参考になると思う。

どのぐらい生活が出来ないか、本当にトップクラスの人でも、時間がかかって、やっと軌道に乗った人が殆どだと思う。

勉強と比べたら、遥かに難しい事が分かる。

【1958519】 投稿者: 根本的   (ID:wwmfnzaRenU)
投稿日時:2010年 12月 21日 17:28

凡才さん


 今まさにこのエデュにおいても、私立派と公立派のあいだで「両極端に反目しあう結果」となっているわけですが、その原因はどこにあるかと言えば、日本の教育界の現状において私立派の勢力が異常に拡大し続けているからでしょう?だからこそ公立派が焦燥感に駆られて、反発の声をあげるわけです。


 すると私立派のなかから、貧乏人の嫉妬だの僻みだのという嘲笑を浴びせる人間まで出てくる。その現状を肯定しておきながら、「反目しあうのでなく」などと言っても説得力に乏しいですよ。「日本の平和を保つために」「歩み寄り」をみせるべきは私立派のほうではないですか?それが公正なものの見方というものです。


 一方で、私のような「天才擁護派」が受験勉強より「学問研究のための教育システムを」と訴えると、「不成功だった人の割合を考えていない」などと言って簡単に否定するのもまた、私立派が殆どです。学問研究はベンチャーです。たしかに「不成功の割合」は高いけれども、成功した場合の見返りも大きい。つまりハイリスクハイリターンです。全員がその道を選択する必要は全くありませんが、一部の冒険家は選択したっていいでしょう。


 その選択の余地を教育システムとしてもう少し拡げてやってもいいのではないか?成功者の数が増えれば、国全体へのリターンも大きくなる。それもまた「日本の平和を保つために」「協力」したことになりませんか?私の主張はただそれだけのことです。現状ではあまりにもその道が狭すぎる。私立派(受験秀才派?)が、そこを少しでも拡げることに反対する理由はなにか?もしかしたら、自由奔放な冒険家に対する地道で生真面目な受験秀才の嫉妬や僻み、羨望によるのではないですか?





 

【1958755】 投稿者: 凡才   (ID:2l4rJaHMCag)
投稿日時:2010年 12月 21日 22:07

根本的様


たくさんの一般の保護者の方々の私立へ進ませたいと言うお気持ちは、お分かりになりますでしょうか。


以前テレビでやっていた、地方自治体がボランティアで組織する、落ちこぼれてしまった、また事情があって勉強が

できなかった中学生、高校生に補習をしているものでした。

高校生でも、本当に九九が出来ないんです。でも、これが現実です。

勿論、私立でも受け皿の学校はあります。

しかし、圧倒的に公立中学に言っている子が多い訳ですから、当然落ちこぼれる子も多い訳です。

勉強の べの字 さえ、誰も進めてくれない子は、当然、高校に入ったと同時に中退し、本当に実力のある子は

大検を取れますが、大体が中卒になってしまうのです。


では、何故いまどきの親は、中学受験をさせるのでしょう。

レベルがトップクラスだろうが、中堅だろうが、底辺と呼ばれていようか、させるのでしょうか。


一番に言える事は、最低限の親の意識が勉強を大切に思っているからだと思います。

多分、根本的様の言われている私立とは、中堅の大学進学の成績を主眼に置いた学校についてではないでしょうか。

意外に、トップクラスの学校は、そこまで生徒が追い詰められていないと思います。


しかも、対価として親は高い授業料を払っている訳です。私立助成も減るわけですから、授業料も上がっています。

ですので、親の考えからも、子供も何か成果を求めているのだと思います。


でも、だからと言って、私立派の親が、公立に関してどうこう思っていないと思います。

しかし、現状があります。


私の外国人の友達が講演に行ったときの話です。ひとつは有名都立、ひとつは地方国立です。

都内に行ったひとりにどうでしたと聞くと、開口一番「全員、寝てた」、もうひとりに聞くと「みんな真剣に聞いて、

本当に行って良かった」。

この差は、何でしょうか。思いますが、教育にこれだけ格差があるのだと思います。

私立だろうと、公立だろうと、国立だろうと、勉学への道を間違っていなければ、問題ないと思います。


別に、自由奔放な冒険家の道を邪魔する気など毛頭ありませんが、エデュの中で、大事なのは、どういう教育モデルが

良いのか、一般的な平均レベルの話がなされるほうが良いのではないかと思います。


私立中学の価値について、都立の価値が一般的に良いのであれば、喜んで賛成します。

しかし、現状物語っているものは、私立が優勢だと言う事です。


ただ、私立がもてはやされるのは、小学校と中学校だけですよね。高校では、定員割れが起きていますし、大学でしたら

なおさらです。私立は、今後も経営困難に陥る学校は、たくさんあるでしょう。

いつかは、銀行のように自然淘汰されてしまうのでしょうか。


そう考えた場合、本当の秀才をロケット打ち上げのように莫大なお金を投資してギャンブルするより、ひとりでも子供を

多く作ってもらい、人口が増えて、老齢社会をしっかり立て直せるほうが、国益に繋がるのではないかと思います。


当然、学校の生徒数も増えます。クラスも増え、活気も取り戻せるでしょう。

このまま、人口が減って行って、年金制度、健康保険制度が崩壊し、そのツケを子供たちに背負わせるのは、あまりに

酷だと思います。


冒険は、第1次バブルと第2次バブルの崩壊で十分ではないかと思います。


次やったら、国が崩壊します。

【1958858】 投稿者: 通りすがりの企業人   (ID:GXrRKJLHg66)
投稿日時:2010年 12月 21日 23:26

根本的様

お久しぶりです。
開発技術者の立場から、現在の研究現場がの状況を一言。

私が博士課程に在学していたころから、博士課程の就職はリスキーと言われていました。
ある日あるとき、突如として、ポスドク1万人計画が持ち上がりました。
博士課程の定員が、あっという間に二倍になり、その割に、就職先はあまり増えませんでした。

下は、有名なホームページです。
http://www.[削除しました].jp/dondokodon41412002/

時代は、今はもう少し進みました。一流大学の博士課程には、今も昔も、きわめて優秀な学生が進学します。しかし、その次の層の気のきいた人たちは、博士課程から背を向けて、さっさと、投資銀行とはいわないけれど(そういう人もいるけれど)、修士くらいでさっさと就職するようになってしまいました。

どこの大学院もなかなか充足せず、留学生が多くなりました(これは良いことかも知れませんが)。

今、私は、若い人に、博士課程進学を勧めています。また、博士を積極的に採用するようにしています。

私は企業に行ったけれど、博士課程にはお世話になったので、せめてもの恩返しかも知れません。


私が博士課程への進学を勧める意味は、根本的様とは異なり、あまりに学生からそっぽを向かれているので、そこそこの実力で勝ちあがれるだろう、ということなのですけれどね。


ここからは、私の単なる感覚ですが、すぐれた研究者になるために、中学受験がが障害になっているとはとても思えないのです。受験のための勉強と研究者養成のための勉強が、中学のときから異なる、などということは、私には信じられないのです。
大学院の問題は、これは何とかしないと、大学の研究が崩壊してしまうように思います。

世の中の研究者に対する目は、根本的様のように暖かくない場合もあります。数年前ですが、ある会合で、博士修了者の初任給が学部卒業の同期生(同時に入社した人)より高い、ランクも高い、ということに対して、非常にはげしく糾弾されました。同期入社で会社での経験も同じなのだから給与差をつけるのは間違い、5年も好きで大学院で遊んでいたやつになんで給与を上積みする必要がある、と。銀行の幹部、官庁外郭団体の幹部など。
(べつにあんまり優遇しておらず、同年齢の学部卒や修士卒と同じなのですけれどね)


だから、研究者が、ハイリスクハイリターンとも思わない、ハイリスクローリターンが過ぎるのではないかと思うのです。

【1959540】 投稿者: 適性   (ID:0ob3ZrXJskg)
投稿日時:2010年 12月 22日 17:48

■通りすがりの企業人 さん   お久しぶりです。

>ここからは、私の単なる感覚ですが、すぐれた研究者になるために、中学受験がが
>障害になっているとはとても思えないのです。受験のための勉強と研究者養成のため
>の勉強が、中学のときから異なる、などということは、私には信じられないのです。

すぐれた研究者は、探究心旺盛ですから、観察力や、思考力も当然必要です。

中学受験が障害だと訴える人は、中学受験生を、「テキスト」の中身だけ覚えていて、「テキスト」外を知らず、観察力も思考力もないという固定「イメージ」なのでしょうね。


最近、もしかしたら・・と思うのはね。仮説なんですけど・・・・

数学『得意』。理科『得意』。国語『得意』。なんでもいいが・・

その科目「テキスト」の中身だけ覚えても、『得意』にはならないんですよね。

テキストを何度も何度も繰り返して、完璧にしたら、一番効率的に感じるけど、「違う」と思う。
なぜか、点数にならない。

『得意』な子は、実は、「テキスト」外の、「テストに出ないだろう」という「知識」が膨大なんだと思う、無意識か、意識的かは別にしてね。

①テストは、テキストそのままの問題ばかりではない。当然、組み合わせた問題や、思考させる問題になる。少し、ひねられると、ついていけいない。それは知識が点の状態なんだろう。(単純問題は別ですよ)

②雑学的な知識や興味が、テキストの点と点をつなぐ「接着剤」になり「ストーリー」になる、それこそ、効率的に、知識を習得できる。忘れることがない。知らない問題にも推測して答えられる。

と考えると。

中学受験で

『点数がいい』 = 「テキスト」重視主義の証明 = 研究者に向かない

みたい言う人がいるが、実は・・違うんじゃないかな?

『点数がいい』 = 「テキスト」外の知識が豊富で、情報を上手く構築できる子で、探究心旺盛

なんじゃないか?という仮説。

とするなら・・・研究者になっても、おかしくないね。

まあ、全然興味がないのに、テキスト「だけ」で、点数とれる子もいるかもしれないが、心配しなくても、研究者にはならない。

「テキスト」ばっかりやっても、なかなか、点数にならない子は、「接着材」が足りないのかもしれない。

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