女子美の中高大連携授業
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
リンクの一部が削除されてしまいました。
「博士が100にんいるむら」で検索してください。
適性さま
テキスト、がどの範囲を指すかによって、違うかも知れませんね。
たぶん、東大クラスの学生に、教科書のみでそこからはみ出さない、という人は居ないでしょう。
そういう意味では、おっしゃることは正しいと思います。
学問を習得するにあたり、その後もテキストとの戦いが続くのです。
大学教養>専門>大学院レベルと、どこまで続くテキストの山、という感じですし、これをある程度習得しないと研究者のスタートラインにも立てないのですが、難渋な教科書、たとえば、久保亮吾n「熱学、統計力学」とか、寺沢寛一の「物理数学」とかを全部読破したら優秀な研究者か、というと、そうでもなかったりします。
オリジナリティを発揮する場を自分で作る能力は、また、ちょっと違うかもしれないし、運もあるかも知れません。
ただ、私が感じるのは、御三家や東大入試くら楽々突破できないと、学者もどきにはなれても、真の研究者には届かない場合が多いかな、ということなんですけれどね。
>ただ、私が感じるのは、御三家や東大入試くら楽々突破できないと、学者もどき
>にはなれても、真の研究者には届かない場合が多いかな、ということなんですけ
>れどね。
ノーベル賞を受賞された白川英樹先生は学者もどきですか?
大学入試に失敗されているのではないのかな。
「野山を走り回りながらいつも不思議と格闘していた」
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/shirakawa/p1.html
益川さんも東大だと合格しなかったでしょう。
視点さま
私は通りすがりですし、あなたのご高説と議論するつもりは一切ありません。
前に何回か書き込ませていただいたときに、ほとほと疲れましたし、あなたの暴力容認と女性差別は生理的に許せないので。
逃げたと思われたらそれで結構、私が間違っているから反論できないと思われたらそれで結構。
プロフェッショナルな職業ではよく言われる「1万時間の法則」というものがあります。小さい時から始め積み上げて1万時間になると余人の及ばないレベルをこなせるようになるとのことで、ゴルフ、野球、フィギュアスケートなどがよく例に出ますね。小さい所は父親主導や母親主導となります。・・1万時間とまでは言わないけれど、知的な職業部分にもそういう積み上げの要素がある。
日本の高校生・大学生が今、知的仕事”をターゲットに狙う”とすると幼少から20歳までに勉強・読書にどれだけ濃密かつ長時間に浸れるかが、最初の勝負だと思います。受験勉強が完全に悪だとも思いません。(出題の仕方など直すべき部分はあると思いますが)むしろ幅広い勉強のカンフル剤としてプラス面も多い。今、社会人レベルからさかのぼって、必要な勉強量に量的なイメージを持つと良いと思います。(こなせない人では勉強に対するスタートが遅かった人で、勉強そのものにエンジンがかからないで量が足りなくて置いて行かれているか、膨大な勉強量が実は必要なことが最後まで判らないひとの気がします。)
次に、こどもらの鉄緑の教材などを見ても、正直なところ英数中心で組まれ、量が多いなどとは決して感じられない。むしろこれだけコンパクトに厳選された教材は羨ましいな、という感想。(鉄緑にしてもSEGにしてもGNOBLEにしても中学時代に国語は全くない)70年代はゆとり教育ではないから、学ぶ量は文理分野のカリキュラムでとても多かったし。(理系でも世界史・日本史・地理・政治経済・倫理社会と盛りだくさん)その上で、受験勉強以外の勉強もしていたし、今だって同じ。
なぜ、質と量と両方いるかとの理由は、そういう勉強をすれば、単独で教わる”科目”が深いところでつながっていることが骨身にしみて判るということです。知的なことは総合的なモノであるが、勉強量が足りていないと、頭の中に知識の「島」ができるだけになる。これでは先に進んで、大学院や社会人で競争にさらされても、応用力も展開力も生み出されない。
企業の研究者をずっとしていますが、歴史的な知識や、関係論的なモノの考え方、理系えも大事なことに気がつきます。しかし、今、マスコミのバッシングなのか、勉強が必要な子どもあるいはできるこどもも基本的に甘やかされていて、勉強量は少なくなっていると思う。掘っておかれてテレビゲームに浸る子どもが如何に多いことか。資質のある子どもは小学生の後半から勉強してもかまわないのです。むしろ、中国人、アメリカ人など日本人以上に濃密に勉強させている例を見ています。
日本の今の問題は、小学校段階で勉強に興味のない子を無理矢理やらせたり、寝不足にして身心の発達を十分考えなかったり、資質のない子までも塾にやる、あるいは一方で、資質があり本人も知的なものに興味のある子が、家にお金がないことで中学受験コースから、十分な機会が与えられないこと、さらにTVとゲームを野放しにする、これらだと思うのですが、これは私立・公立学校の議論とは勿論別物で、家庭教育+教育論です。
例えば、全員公立に行け、公立の”てこ入れ”と叫んだとするならば、それはわたしは実現が困難な時代だと思う。なぜなら都立高校3万名で、東大レベルは今や100名にすぎない。この0.3%の生徒の為に公立中学で十分な基礎教育を目指すことは大多数に取ってマイナスです。(今は普通層・下位層に目線を合わせるのが改革の本筋)今、これらは民間でできる要素がある部分なので私学で十分。
今は70年代ではないです。こと資質ある優秀層には「間違った誘導」で公立中学などに入れるとあとで後悔する可能性がかなりある、という議論はこれから受験する(ある程度の資質ある子を持つ)親子にはことのほか大事ではないか、と考えます。
・・・ここのスレッドの議論は、長時間の勉強が積み上げで必要だ、という社会人から見ると
当たり前の視点が少し乏しいな、と考えますので一言。
乱文ご容赦ください。
勉強は大事ですが、白川さんや益川さん、野依さんといった一流の研究者がしてきたような、知的好奇心に導かれる「本物の勉強」をしないといけない。
受験勉強(=受験のための勉強)に特化した受験秀才が研究の場で全く使えない実態が書かれていますので、興味のある方はぜひどうぞ。
「天才小学生たちはどこに消えた?」で検索してください。




































