女子美の中高大連携授業
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
追加です。
>また、科学が進歩すればするほど先人の業績は「常識」となり、一人前に
>なるまでに学ぶべき事は次々と増えていきます。現在70代の世代が10代
>だった頃と現在とでは、その辺の条件が違いすぎます。
今より学ぶべき事が少なかった昔の受験生だった利根川進さん、白川英樹さんは東大入試くらい楽々突破の人ではありませんでした。
さらに追加です。
当たり前の視点さんが書かれたことは、利根川進さんや白川英樹さんは、今より学ぶべき事が少なかった時代だったから、東大入試くらい楽々突破の人でなくても、世界に通用する研究者になれたが、もし、お二人が今の時代だったら、それは無理だったとも読めます。
これって、変ではないですか?
当たり前の視点さんと視点さんは立場は逆だけれど、あまりレベルに違いがないと感じてしまいます。
↑上の人、何だかさん
>はあ、そんな読み方しますか?
では、「昔は東大入試くらい楽々突破の人でなくても世界に通用する研究者になれたが、今は東大入試くらい楽々突破の人でないと世界に通用する研究者になれない」と読んでもいいのでしょうか?
何度書いても誤解している方がいるのでもう一度書いておきます。
私は勉強することや努力することを否定しているわけではありません。若気の至りで「受験勉強ばかりなんて下らない」という時期があっていいと思いますが、それで終わっているわけではないのです。
受験勉強を第一にやらずとも自分の中に興味の種、将来の方向性の様なものを作っておけば、浪人しようが再受験してサラリーマンから医者になろうがある意味人生は成功と思います。
一番まずいのが「自分を見つめ、自分を振り返り、自分とは何ぞやと考え抜く」時間をほとんど持たずに受験勉強一本やりでやってきた人です。こういう人はブランド名で就職したりするので(幼少の頃より刷り込まれた偏差値至上主義)仕事に不満を覚えてすぐやめたりします。
勉強の質量とも小学生<中学生<高校生<大学生<社会人となるのが当たり前で、小学生に異常に大量の勉強をやらせるのは子供の将来に悪影響を及ぼすと常々考えています。
自然とのふれあい、子供経験の中での深い感動、好きなものにのめりこむ至福の時間・・・・・・そういうものを奪わない昔の中学受験(一年の通塾)程度ならそれほど弊害はないと思います。
私の発言が思わぬ波紋を呼んだようです。申し訳ない。
私の会社の話に限定します。
50歳を超える世代までは、スター技術者は、東大だけでなく、旧帝大や早慶など分布していました。
どうも、最近、トップ層の東大比率が高まっている気がしてなりません。
これが、企画、管理畑、あるいは営業の上級管理職など、マネジメント層になると、学力以外のいろいろな能力がものをいうためか、必ずしも東大絶対優位というわけでもなくなってきます。
東大は理Iと理IIIのトップ層は拮抗していますが、某地方の旧帝大は、医学部合格の最低点が工学部合格の最高点よりはるかに高い、ということが起こっていると、聞きかじったことがあります。
地方の国立の理工系がほんとうに悲惨なことになっているか、全体像が見えていないので、断言できませんが。
日々こんなことを考えているものですから、時間軸が縮退した極端な表現になってしまいました。
通りすがりの企業人様
お久しぶりです♪
いえいえ、ご意見を聞いて、それに関する他の方達の意見も聞いて、本当に勉強になってます。
それに引きかえ、動機様。。。
「勉強の質量とも小学生<中学生<高校生<大学生<社会人となるのが当たり前で、小学生に異常に大量の勉強をやらせるのは子供の将来に悪影響を及ぼすと常々考えています。」
↑
中学受験をお子さんがやっていない動機様が、なぜ「小学生に異常に大量の勉強をやらせるのは子供の将来に悪影響を及ぼすと常々考えています。」
と、言えるのですか?
動機様のお子様が、大量の宿題を持って帰って来たのですか?
来てないでしょ。
中学受験をやってないのに、持って帰るはずがない。
動機様自身は中学受験の「現場」を知らないでしょ?
自然とのふれあい、子供経験の中での深い感動、好きなものにのめりこむ至福の時間・・・・・・そういうものを奪わない昔の中学受験(一年の通塾)程度ならそれほど弊害はないと思います。
↑
そして、伝統公立校出身者なんでしょ?
なんで「そういうものを奪わない昔の中学受験程度ならそれほど弊害はないと思います。」
と’程度’まで出して思う事が出来るのですか?
昔の中学受験を知らないのになんで、昔の中学受験の「程度」がわかるんですか?
’程度’ってなんですか?
自分がやったこともないのに、’程度’が測れるんですか?
今の中学受験と昔の中学受験の比較が出来るんですか?
動機様は昔の中学受験も今の中学受験も、一切知らない方ですよね。
自分がした事もない、経験した事もない事を「程度」として測る事は出来ませんね。
自分の経験してきた事に対しては「こうだと思う」ときっぱりと思う事はあるけれど、経験してきてない事に関しては、自説なんてすぐにふっとんでしまいます。
公立に通われた方に「案外、子供達はたくましくて、部活、塾、と乗り越えられるものですよ」と言われると「ひょっとしたら、体力ナシのうちの子も、頑張れたのかな。」って思ったし「公立組も塾ナシでもやろうと思えば出来るんですよ」って言われたら「いけたのかもな~。」って思いましたよ。
私思いますよ。
動機様と動機様のお子様がもし中学受験をなさっていたら、エエ思い出になった(なる)と思いますよ。
動機様のような、気持ちや心を大切になさる親御さんだったら、家族の一番エエ思い出になったりした(する)と思いますよ。
地域・時代様
昔の中学受験知ってますよ。今の中学受験も。だから今の中学受験はやり過ぎ、過剰勉強と言っているのです。
多くの「中学受験仕方なし」派の方はこんなに塾に通う必要あるのかな?こんなに長い間準備する必要あるのかな?と疑問に思う方がほとんどでしょう。
「全く必要なし」というのが私の回答です。必要ないことを長時間やらせて子供を選抜している今の中学に対してもっと他の選抜法を考えられないのか?・・・・・こんなことやらせて子供の大事な時間を奪っているとは思わないのか?と月田先生と同じ義憤を感じています。
小学生は遊ぶのが仕事でその中から大切なものを得ている。野山を走り回り自然から何かを感じたり気付いたりする。子供同士で喧嘩したり仲間外れにしたりされたり・・・・面白い遊びを考えたり木登りしたりと・・・・・毎日が発見と感動に満ちています。
月田先生も野依先生も今の灘中受験生のような塾通いしていないと思いますよ。東大学長もそうではないですか?
小学生時代の貴重さ子供時代の大切さを考えると、今の中学受験はやり過ぎです。小学5年で週5回塾に通わせる親の相談が別スレにありますが・・・・・・これを擁護する方が多いのには本当にびっくりします。
こう書くとすぐに「お前は反勉強か?」と言われますがそんなことは全くありません。成長に応じた勉強すれば東大だって医学部だって入れますよ。何をそんなに焦って中学受験に必死になるのですか? 優秀児が抜けた公立中なら楽勝で学年トップを取れるしトップ校だって入れるでしょう。そこで頑張って足りなければ浪人すればいいだけのこと。要は小学生時代に過大な勉強の負荷をかけるのが誤りと言っているだけです。
利根川先生の京大受験(日比谷は皆東大受けるのに)、小柴先生の東大物理をビリで卒業した、田中さんの語学の落第・・・・・さらに言うなら大学予備門を落第した子規や漱石。こう見てくれば何も受験勉強がトップである必要は全くありません。真ん中以下で入ろうと落第しようと自分の志望をしっかり持ち様々に模索した後に「本当に好きなことを見つける」ことのほうが遥かに遥かに子供にとって大事なことでしょう。
その「好きなことを見つける」には子供経験を沢山しておくことが必要です。子供経験の希薄な(感動なし、泣いたり笑ったりなし)人生は結局のところ引き合わないと考えています。勉強はするけれどそれは高校生や大学生になってからでも十分。人間の基礎となるものを作るのは子供時代が最も大切と考えています。
湘南の海を毎日泳いで岸辺で遊んでいた加山雄三は船を作り後年作曲した。彼の子供時代が受験一色に塗りつぶされていたら(小学3年から週何回もの塾通い。好きな泳ぎも制限されぼんやり海を眺め風に吹かれる時間が奪われたなら・・・・・・・・)我々の知る加山雄三はいなかったでしょうね。
大切な子供時代を奪う過剰な中学受験勉強は自分の子供時代の豊かさを思うにつけ・・・・・・・決していいことだとは思えません。




































