女子美の中高大連携授業
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
>この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
>公立中学という保険もあることだし。
>皆さんどう思われますか?
あらためてトップスレを読んでみた。
上記「私立中学」を「大学」に置き換えると、
親である自分が頭に浮べる理由は、ネガティブで受け身なものばかり。
見栄?
不確実な時代のせい?
学歴でどうなるものではないことは知っていても学歴がないと困る場面も知っているから?
子供に対する信頼感が足りない?
「学ぶ理由は、今の自分を超えるため」というのもあるが、それは大学進学の必要性を示すものではない.
どれひとつ道理と呼べるものはないことに気づく。
こう考えると、学ぶことや進学の意味合いを考えることにおいては、
親である自分の存在は、子供にとってマイナス要因にさえなるかもしれない。
道理も子供本人に、意識することの連鎖から、見つけてもらう必要があるということになる。
ところで中学受験と大学受験の違いは何だろう。
「保険」の有無というのもあるかもしれない。
ただ、「公立中学」=保険 より、
「中学受験の学習もそれなりにこなしたいう実績」=保険 だろう。
高校生になって初めて学習を開始しても「いわゆる難関大学」に合格するヒトも確かにいる。
それを期待し実行しても結果が伴わなかった場合、やがて子供から「どうしてもう少し早い時期に指導してくれなかったのか」と悔いる言葉がでるかもしれない。確実に、やり直しは効かない。大学は過程のひとつに過ぎないけれども、そのひとつの違いが人生を左右する事実を無視することはできない。
>何というか、勉強というものに過剰な期待を持ちすぎる方が多いように感じます。
自分もその一人。その原因は、自分自身と子供に対しての自信のなさかもしれない。
ただ一方で、学べば学ぶほど知らないことが山ほどあることを知ることができるし、
学べば学ぶだけ確実に前に進むこともまた事実。
はたして学習というものへの期待は有限的なものなのだろうか?
こんにちは。
ご返事できないままにスレがずいぶんと進んでしまって、もはやお答えする必要もないかも知れませんが、いくつかご質問やコメントをいただいた点について。
まず、
>5年も好きで大学院で遊んでいたやつになんで給与を上積みする必要がある、と。銀行の幹部、官庁外郭団体の幹部など。
この発言は、官庁の、行政職中心の採用昇進システムからの発想なんですね。官庁系でも、研究所などは、きっちり博士の学歴を評価してそれなりの格付けで採用するのですが、本省は入省年次がすべてなのです(厳密に言うと年齢給のみ少し高いのですが)。修士ではいっても、ランクも職位も、学部卒で2年前にはいった同期の2年分下、ということになるのです。高度な技術的判断をする本省技官ですら、そうですから。
私の対応した銀行さんはMOF担の長かった人ですし、外郭団体の人は天下りだから、官庁の価値観が染みついているんでしょうね。
しかし、世の中で影響力のありそうな人で、立派な仕事をしているように見える人でも、そういう人が居るということです。
一方で、大学の有力な先生は、博士手当をつくるべき、とか、博士の採用を増やすべき、とか、いろいろおっしゃいますが、無茶な博士課程の定員増をやったのは文部科学省と大学ですので、あまり、そう言われても、という気持ちはあります。
>50歳を超える世代までは、スター技術者は、東大だけでなく、旧帝大や早慶など分布していました。
どうも、最近、トップ層の東大比率が高まっている気がしてなりません。
これ、うちの会社では統計的事実なんですよ。たとえば、世界的に著名な研究者技術者には特別な称号と処遇を与えているのですが、この称号の持ち主や候補者の比率を見たりしています。(ちなみにハードルは非常に高く、グローバルに影響力があるかどうか、ですので、国内の学歴は関係ありません。)
うちの会社だけのことかも知れないです。
もちろん、東大ならだれでもいい、ということになるはずがなく、信じられない人間性や学力の人も交じって応募してきます。
最後に、どうしても申し上げておきたいことがあります。横道にそれますが、お許しください。
>逆に帝大生の使えない率の方が高まっているように
>ちなみに現在の博士課程は東大でもカス中心です。
>プライドの高さゆえに使えない人となってしまう
>使える人間と学歴との乖離が、
同僚や同級生を、カスとか使えないとかいうの、やめませんか。悲しくなるので。
確かに、どうやっても戦力にならない人は、一定数居るのですが、それは例外であって、一般化したくない。企業は、社員の雇用にコストをかけているので、社員をあずかった人間は、どのようにして成果をあげてもらうか、苦労する義務があります。使えないと切り捨ててしまっては、なにも生まれない。
どちらも賭けだと思います さん
冷静な御返信、ありがとうございます。
私はHN通りに視点さんのあるコメントに同意してこのスレへの書き込みを始めました。それは
・医師になるつもりも無いのに、偏差値が高いから医学部を受験する行為
・過剰な勉強をさせる事は弊害が多い
と、言った点です。視点さんの言う通り間違った行為だと思うからです。
どちらも賭けだと思います さんの考えについては2項目目の『過剰な勉強による弊害』
については同意していると思っています。
我が家は2人の子供がおり、先に書いた様に上の子は1時間/日の勉強で国立男子中に進学しました。
おそらくかなり希な例だと思います。中学の同級生は殆どが大手塾のTOPクラスらしいので。
ですから小学校時代は通常の小学生同様に公園で友人とDSで遊び、野球チームに入り、公立中学に
進学するお子さんと同様の生活していました。今でも仲の良い友人です。
(公園のDSを肯定しているわけでは無いですよ。念のため)
逆に下の子は兄の様に地元公立以外の中学を憧れ的に考え、進学を希望しましたが
しかしながら試験への適応力は段違いでしたので進学塾に通っています。
塾へ迎えに行き多くの子供を見ても、過剰な勉強をさせられている雰囲気は無く、子供も楽しそうですけどね。
どちらも賭けだと思います さんの親戚程のお子さんやご父兄は、正直言って存じ上げません。
ただ、実際にその様な人が居ることは認識しています。
eduでの他者の書き込みや上記実体験を元にしているので、決して一部だけで
公立・私立の是非を論じている訳ではないと思っておりますが、気を悪くされたのなら申し訳ない。
言いたいことは、
・上記視点さんの提言された内容に同意していること。
・一部の例を挙げて、その集団全てを否定する行為は違うのではないか
(中学受験者は全て偏差値至上主義に洗脳されているとか、受験一色の生活を送っているとか)
と、言うことなんですが、上手く伝えられないですかね。
>そして私の友人達は、親の問題というより周囲の煽りに負けているように見えます。
私にはそれが親の問題だとしか思えませんが。
自分の子供の事を、周囲の煽りに親が負けてどうするんですか?
受験は大変 さん がおっしゃっている様に受験という物は
>よくよく我が子のタイプと能力を見極め分相応の受験をすべきという事です。
に尽きると思いますが。
中学受験生全てが過剰な勉強をしている状況では無いことを認識すべきではないでしょうか?
どちらも賭けだと思います 様
>昔の中学受験は小6からで間に合う人が多かったらしいですが、最近の塾開始年齢が
>4〜5年生に下がっていることを見ても、やはり過激になっているのではないでしょうか。
35年前に中学受験をしました。
当時でも小4の2月(新小5)から進学塾に入るのが世間のデフォルトでした。私は田舎育ちで、親もそうした事情を全く知らず、新小6から1年間だけ塾通いし、何とか合格しましたが、当時でもかなり珍しいと言われました。
現在ではそれが1年間早まっている(つまり新小4から)のが現実かと思いますが、それは受験競争の激化と言うより、公立小学校のカリキュラムがゆとり化したせいで、昔から問題のレベルがあまり変わっていない中学入試とのギャップが一層開いてしまい、より早い時点から受験準備を始めないと間に合わなくなってしまったというのが真相かと思います。受験生の裾野が広がっていることは確かですが、トップ校を狙う層は昔も今もそれほど変わっていないのでは。厳密に言うと、昔であれば受験しなかった階層も受けるようになったけれど、少子化で母集団全体の人数が減っているので、相殺すると結局昔と変わらないというところでしょうか。あくまでも感覚的な話ですが。
通りすがりの企業人 さん、
>5年も好きで大学院で遊んでいたやつになんで給与を上積みする必要がある、<
との発言は、「官庁の発想」という事なのですね。
納得です。公務員の世界は勤務年数が重要ですものね。
良く読むと最初から「官庁や銀行幹部からの糾弾」と書かれていました・・・。
「民間企業もなの?」との早とちり、失礼しました。
>昔は東大から作家が出ましたが今はなかなか顕れませんよね。漱石、芥川、斉藤茂吉、安部、大江と続いた文学者の伝統はどうなったのか?私は中学受験で感性をすり減らされた子供たちが東大に入っていることとも無関係ではないと思います。
>中学受験で受験学力はついても大事なものを(将来の)作家、芸術家、音楽家から奪っているように思えてなりません。挙句がどこにでもいる医者の大量生産では日本文化の未来は暗いですね。地方からの学生に期待する所以です。
今も東大進学者の約半分は公立出身で、そのほとんどが地方公立生です。
その公立出身者から作家がどんどん輩出されているのに、
あと半分の中高一貫校出身者にはほとんどいない、というなら
動機さんが主張されていることも分かりますが、
実際は公立生からも過去の文学者に匹敵するような人材は出ていないということでは?
「東大から作家がなかなか現れていない」という問題があるとしたら、
それは単に東大生、あるいは東大を受験する層の生徒の問題なのではないでしょうか。
それから、2000年、2001年の資料しかありませんが、東大の学生生活実態調査の
「入学までの学習」の項を見ると、
高校時代、塾に通っていなかった生徒が半数(高1~高2で6割、高3で5割)いて、
一方、塾に通っていた生徒の多くも、時間的に塾にべったりというわけでも
なかったのだということがわかります。
ほかにも、小学生時代からの塾、家庭教師等を自分から希望した学生は約4割、
「入試のための勉強は、人生にとって意味があるか」の問では、
「意味がある」と答えた学生が「中学受験」で約7割などなど…。
中学受験の弊害については、中学受験を経験した子どもたちに詳しく聞かなければ
本当のところは分からないように思います。
チャレンジの条件さん
データは正確さが大事です。
データに問題があれば、書き込み全体の信憑性に疑問があるかもと思ってしまいます。
>今も東大進学者の約半分は公立出身で、そのほとんどが地方公立生です。
第58回(2008年)学生生活実態調査票では、公立出身者は32.4%です。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1393/siryo-1.html
第57回(2007年)学生生活実態調査票では、公立出身者は34.5%です。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1380/siryo-1.html
第56回(2006年)学生生活実態調査票では、公立出身者は39.5%です。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1366/10.html
第55回(2005年)学生生活実態調査票では、公立出身者は36.1%です。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1348/23.html
なお、学生生活実態調査(2009年)では、該当箇所を見つけられませんでした。




































