在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
遺伝さんへ
ごめんなさい
変な流れを作ってしまったでしょうか。
私は、ここが中学カテだからこそ
あがってくるスレをなんだろうと思って
見てくれる人がいたらいいな。
なんて思っていました。
そこで、今の原発事故の本当の姿を考える機会になるかもと。
じゃい子さま
>私は、ここが中学カテだからこそ
>あがってくるスレをなんだろうと思って
>見てくれる人がいたらいいな。
>なんて思っていました。
私も基本そう思っています。
なんか、煙~い粘着質の何かがまとわりついているので、
引越しもよいかな~と思ったんですが、止めましょう(笑)
今日は昼間に経営関係の授業をしている大学教授の後輩と雑談をしました。
その時に聞いた話。教え子(都内国立大学・私立大学)達に授業で聞くと
自分については
・小説中心の読書で、評論を自分から読むことは滅多にない
・新聞もちゃんと読むことが少なく、携帯の数行のニュースですます
・子供が親に、どんな職業をどんな思いでしているか、日々折りにふれて考えることなどない
(ひとによっては、親は同居しているが、親の職業はよく知らない)
・親のお説教はが何より嫌い(・・好きな人は少ないでしょうが)
・200字以上の文章を書かせると、書けない、苦手だ。
という傾向があるようです。
親については子供から見て、
・親と子供は別の人生と考える傾向。(親が子供を別人格だと認めて接することはプラス)
・自分の価値観を押しつけたくないと思い子供に踏み込んで意見を言うことが少ないと見える。
・親は子供の教育で不満があると直ぐ学校にクレームをいいがち。
親子の関係では、
・コミュニケーションが大分希薄で親子で夕食で時事問題や文化的な話題を話合うなどは機会がほとんどない。
・お手軽な偏差値や模擬試験の成績で行ける大学を親子で!決めている。(やりたいことではなく)
などという特徴を言っていた。
学生のレベルによらず大学でキャリア教育をしても遅く、中学・高校での動機付けから大学での教育への「接続」、さらに企業での仕事への「接続」ということが高度に発達した社会では求められていることが判っていないという。
また、別の事例で知っていることとして、教え子の中には、すぐに合わないといって折角ついた仕事を、その時点であっさりと辞める傾向も顕著で、社会からみて価値がある存在かどうか、yめてどうなるか、などを切実に考えることはないのだろう、とのこと。
・・・・・私立中学に受験して入学させてやれば、あとは放任でいいということは勿論なく、
家庭教育が大事だと思うこの頃ですが、「当世学生気質」を改めて聞いて考えさせられる50分でした。
量的さん
>小説中心の読書で、評論を自分から読むことは滅多にない
評論には、虚構や作為が多く、嫌気をさしているのと違いますかね。
評論を読むのは簡単ですが、小説を読むのは難しい。今の子のほうが良くできるということでしょう。
>新聞もちゃんと読むことが少なく、携帯の数行のニュースですます
それらの中身の量と質を考えたら、それは効率的で賢いと思いますよ。
今の子は我々世代より、親よりも仲間同士をコミュニケートの重要な相手としてますから。
お知り合いの教授の切り口自体が今の時代にそぐわないように思います。あまりご存じではない方なんじゃありませんか。
>コミュニケーションが大分希薄で親子で夕食で時事問題や文化的な話題を話合うなどは機会がほとんどない。
個々のひとびとの問題というより、親子で夕食時間を持てないような社会の構造のありかたの問題がより大きいと思いますよ。
共働きしてたらそんな時間なかなかねェ。
理屈は、ごく一部の、何ら不自由のないあははおほほの層、にしか通じないと思います。
老眼さん、
わたしが最近、高校・大学で話をしたり先生を話をしたり、講演をするなど、少々とふれあう機会が増えて初めて感じたことです。今の子のほうが良くできるということは、さずがにないのではないかなと強く思います。原因のひとつはゆとり世代で、考えないでもよいような教育をしたことも一因のようです。関東・関西の複数の難関大学の先生から個別に聞く声でもあります。
少子化でどこの大学も入り易い上、偏差値でうかりそうなところしか受けないのが親子の考えであるというのは、子供の学校、母校の高校はじめ、多くのところで聞きます。これは全体として見たときの話ですが、家庭の問題として捉えるべきIssueです。
労働時間は格段に短くなっています。共働きは今も昔もありますし、専業主婦が暇ということもない。意識の違いだと思います。なかなか、時間取れなくてね、という、親が教育を甘く考えて人任せ学校任せにしているから、こうなっているのではないかと考えます。子は親の鏡で、じつは親が論理的に考えられない、全体的に見られない、ということがありはしませんか。
海外での仕事に一区切りを付け、一時帰国中です。
我が家での課題は、都内私立高2の長女が進路先に悩み相談を求めている点です。
本人は中学迄は漠然と文系志望でしたが、本人もそれなりに情報を集めて考え、自分の教科に対する趣向を優先して、理工・物理系を選択しました。その後、仕事で具体的にどのようなことをするのかを私から聞いたり、段ボールに詰めてしまいこんでいた私の専門書を見たりして、どうも思い描いていたイメージとのギャップの大きさを知り、自分には向かないと、進路を、理系、文系の選択に遡り悩んで再考し直しています。
私のアドバイスは;
1) 進路を幅を持って思い描け。これという進路が見つからなければ、今決める必要はない。
2) その場の環境でベストを尽くせ。
今は高2で、好きで理系を選んだのだから、理科系の科目を一生懸命勉強しろ。
仮に来年文転するなら、数Ⅲ&Bと物理の授業はなくなる。この2教科はしっかり学べ。本人の自然科学への興味を将来も維持出来るし、論理的思考の上でも役に立つ。
3) 世界を見据えろ。
世界史は(高2では文系に比べて授業が少ない分)自分で、幾つかの歴史軸(思想、制度、経済、宗教、国家、民族等)で過去がどう現代に結びついているのかを学び、そして未来を想像しろ。
社会の大きな動きを知り、その大きな潮流の中で自分の立ち位置を見い出せ。
親としては、子供が、自分にとっての問題を能動的に考え、(壁を乗り越え)思考力も鍛えてくれれば、と思っています。
今という時代は、社会的にも技術的にも大きな変化のうねりの中にあるのだから、家庭と学校で補完し合って時代を学び自分の将来像を考え形成することで、前向きにその変化を楽しみタフに生きるよう育ってほしいですね。
< 下記引用:【2135716】 投稿者: 知的=量的 >
学生のレベルによらず大学でキャリア教育をしても遅く、中学・高校での動機付けから大学での教育への「接続」、さらに企業での仕事への「接続」ということが高度に発達した社会では求められていることが判っていないという。
また、別の事例で知っていることとして、教え子の中には、すぐに合わないといって折角ついた仕事を、その時点であっさりと辞める傾向も顕著で、社会からみて価値がある存在かどうか、やめてどうなるか、などを切実に考えることはないのだろう、とのこと。
・・・・・私立中学に受験して入学させてやれば、あとは放任でいいということは勿論なく、
家庭教育が大事だと思うこの頃ですが、「当世学生気質」を改めて聞いて考えさせられる50分でした。
量的さん
>意識の違いだと思います。なかなか、時間取れなくてね、という、親が教育を甘く考えて人任せ学校任せにしているから、こうなっているのではないかと考えます。子は親の鏡で、じつは親が論理的に考えられない、全体的に見られない、ということがありはしませんか。
そうです。
意識の問題です。
後半に書かれれいることも、今に始まったことではありません。
問題意識を感じて行動する人はそうするし、そうでない人も今昔沢山おられるということです。
だから、どうしろと?
今回、これだけの出来事が起こっても、もろもろのことが平時と何ら変わらないのですから、
まぁ、ありきたりの方法ではどうしようもないのではないですか。
エデュをみててもそう思いませんか?
>家庭の問題として捉えるべきIssue
なんて流暢なこと言ってちゃ、いつまでたっても何も変わりませんよ。
というか、変わる必要があるなんて、きっとマイナーな意見なんでしょうから。
>全体的に見られない
この部分は、ホントにこれでいいのかなぁ、と思いますよ・・・・・。
でも、これは、必ずしも全体に要求することではないでしょう。
一方で、急ぐべきこともあろうかと、マイナーなりに思うわけで。
教育は大事で、
学力ばかりではなく、昔の私塾がしたような教育が必要で、
それが一つの方策かなと。
理系だの文系だのにこだわるのがまったく意味がないことは、今回、立証済みでしょ。
医学だの、ITだの、金融工学だの、ちまちましたところではなく
(国家I種と政治家)の上に立ち(というか新しい仕組みですね)、
国の舵を取れる集団を創り育てないと。
優秀な人材にはほしいだけの待遇と機会を用意しましょうよ。
そういう時代なんじゃないですか。
わたしが共感できる問題意識は、比較的望みを高く持つ集団で、の家庭教育の重要性の部分です。
少し補足します。興味のない方は例によって、スルーしてください。
【補足】
言葉を足すならば、普通の高校生についてはレベルは同じかむしろ多少なり上がっているのではないか、と思いますが、このスレで話題にしているような私立中学に進もうかどうかを考えるレベルのお子さんをもつ親子、知的な職業・集団を目指すという前提のある人々では、むしろ、私の言っているような傾向ではないか、ということです。・・ちょっと辛口かもしれませんが。
その私が話した大学教授の考えでは、たぶん返す刀で、普通の高校生・大学生について、本を読まないとか、学習レベルが低いのではないか、との問題意識があったと思っていますが、わたしは、そこは老眼さんはじめ多くの方々にも近いと思いますが、まったくといってよいほど問題意識は持ってはいません。(*)言っても仕方がないです。
さて、知的集団を目指すなら広い視野が必要と考えていますが、それは目が大きいとか出っぱっているとか、そういうことではなく、具体的には書物や情報、あるいは目の前の現実を観察して得た知見から考察して、自分が経験していないことも、肥やしにでき、企画できる、さらにそれが実行できる、ということが大事なのでしょう。そうではないと、経験していないことは全部想定外、になりますから。これは皆さん、そう思うのではないですか。
その部分は、どうやって手に入れるかというと、街歩きをしたり様々な「遊び」と思うようなこと、例えば映画、演劇、各種のパフォーマンスも含まれますがこれは、勉強の虫のような人を除くと誰しもやりますから別にすると、評論などをきちんとよむ国語力のようなこと、これがスポットライトを当てるべきものと考えています。それと社会の仕組みと「準備段階に自分はいる」という、自分の位置感覚だと思います(あるいはそれだけではなく目覚め/覚醒感という面も少しありますが。)
(*)勉強したくない人は勉強しなければよいだけですが、ただ社会にでてから、ある種の仕事に必要な能力がないのですから希望しても選にもれます(=競争になれば、想いが強くても負けてしまいます)ということを承知してやってください、と言うだけです。・・・ちょっとこれがその時点で判るのは本人にはつらいですね。(だからそういう社会システムだということを高校時代に知っておくと良い)そこを勉強しろ、勉強しろ、と国や教師の側がいうのは、普通のひとにやり過ぎだと思います。中学までが義務教育ですし。




































