女子美の中高大連携授業
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
下記の部分は全く同感です。
<老眼さんWrote>
教育は大事で、
学力ばかりではなく、昔の私塾がしたような教育が必要で、
それが一つの方策かなと。
理系だの文系だのにこだわるのがまったく意味がないことは、今回、立証済みでしょ。
医学だの、ITだの、金融工学だの、ちまちましたところではなく
(国家I種と政治家)の上に立ち(というか新しい仕組みですね)、
国の舵を取れる集団を創り育てないと。
優秀な人材にはほしいだけの待遇と機会を用意しましょうよ。
そういう時代なんじゃないですか。
・・・・ところで、細分化された専門性の弊害は、大きなことを考える人の不在と直結しているように見えます。
少し書きますと、
細分化された専門を優秀な人が、何の迷いもなく道の先まで突き進んでいって、しまいに専門家・教授という体の良い名の下に、歯車の一枚になっているというのは、「スプートニクの落とし子たち」の本で、著者が暗に語っていることでもあります。
わたしが涙したのは、彼らは言って見れば、上位0.2%の上位5%なので、0.01%の層。そうなると、高校時代に悩むことがないのですね。そこがわれわれ普通の0.2%層の人間との違いと考えています。わたしは高校1年の時に、歴史の発見とか、エネルギー・環境の問題の様々な著作や物理学の本(ファインマンとか物理の散歩道とか)で育ったのですが、それを読んで、自分はこの人達と同じような空気を数人減になれないだろうな、と真剣にあれこれ考えて、苦しんでいたわけです。父親もいろいろとどこからかの伝手で、会っておくといいからもしれないからと東大教授や他の専門家を訪問したり会食したりする機会を作ってくれた。
だけれどもスプートニクの落とし子、の登場人物達は、大学に入ることは悩みがないわけだから、高校時代には悩みがないわけです。前で考えていないから後に行ってから考えているように見える。(そう読んでおられなかった人は、もう一度その目線で、今野浩さんの本を読んでみていただければと思っております。特に主人公の後藤氏のバックグランドは、なかでも他の同級生ともかけ離れているところにあることが見えます。)
離陸さんの1)~3)のアドバイス、本人にとり適切でとてもありがたい助言ではないでしょうか。お嬢さんも、悩んでスタートラインに戻っていること、が特に印象的でしたが、健全な精神が発動しているのだと思います。先行きが楽しみですね。
そうなんです。娘が理工系への進路に疑問を抱くようになったのは、将来、細分化された専門で単調で歯車のような仕事(=興味を持ち続けられない)に従事することになるのではないかという心配からです。本スレでも話題になった超難関私立校生の進学先の医学部への偏重も、そういった経験をした先輩方から後輩へのフィードバックが影響している点はあると思います。人それぞれですが、ビジョンを持って頑張れば、専門からも広がる風景があると思います。先程、家族でNHK教育のTVシンポジウム「世界一を目指す研究者・独創性の鍵」を観ましたが、そのためには社会との接点での貢献を意識することも大切だと感じました。
【引用:知的=量的さん から】
細分化された専門を優秀な人が、何の迷いもなく道の先まで突き進んでいって、しまいに専門家・教授という体の良い名の下に、歯車の一枚になっているというのは、
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大抵の仕事では、様々な分野が協力し合って成果を生み出します。
自分で仕事のイニシアティブを取るようになれば、自分の専門を基盤にしながら、今迄受動的にサポートを受けていたような他分野の部門の仕事に対して、最適化の観点から指導的対応を取ることが出来るようになります。
そのためには、若いうちは普段から興味や知識の枠を広めることも大切です。
個別の会社のことは何とも言えませんが、そういった自由度が認められるかという点で、組織の風土というのは大切だと思います。
個人的な話で恐縮ですが、この数年間JVで2件仕事をしました。世界有数の海外大企業との仕事では、組織的・階層的な役務分担を明確に規定し、枠を超えた越権行為は、情報の流れを乱すという点で感謝されませんでした。一方、国際的ではありながらも規模が小さく比較的小回りの効く日本企業(と言っても国内では名は知れていますが)との仕事では、一人が幅広い分野をこなし枠を超えて全体的な調整をすることが求められました。かように仕事の規模とか性質に応じて組織や責任範囲は変わりますが、組織的に上位に行くほど広い領域での最適化の判断が求められる点は同じです。
こういったことは会社に入って仕事を通じて学ぶことなのでしょうが、進路を絞る学生時代にある程度の全体像を知ることも有意義だと思います。その場は、学校での先輩からのアドバイスや家庭が中心になるのではないでしょうか。
【引用:老眼さん から】
理系だの文系だのにこだわるのがまったく意味がないことは、今回、立証済みでしょ。
>上位0.2%の上位5%
0.2%でも0.01%でも、0.0001%でも
どんなにお勉強ができたって、
国の舵取りに相応しくない人材では意味ないでしょう。
>歯車
誰だって、大なり小なり 歯車 でしょ。
独りで生きてるんじゃないから。
歯車がやだとか言うのは
わがままっていうものじゃないですか?
興味を持ち続けられるかどうかは、
自分自身だけに、かかっているんじゃありませんか?
外のせいにするようでは、
どの道選んでも満足できないかもしれませんねェ。
離陸さん、
面白い論点なので、試みに、切り口2つにして
私見をコメントさせていただきます。戯言ですのでスルー頂いてもかまいません。
1)国立大学研究者と民間企業の研究者
大学では専門性において優秀かどうかは先ず問われます。まどわされない論理思考力、そこそこ通用する語学力、さらに研究質の運営能力と、人当たり、と上に行くためには結構なんでもといった種類の能力が要求されます。
さらに、公務員なのでそのルートは、能力査定の昇級も加味されているとはいえ、年功序列や、狭い社会での評価が重要になります。大学では発言権のあるボスが必要により存在していますから、その人やグループとの関係や、教授会全体でのバランスなども絡み合い、准教授から教授になるところで関門があります。
大学でこわいのは、(1)教授になるかならないかんで天と地ほどちがうということと、忘れてならないのは、(2)教授になってからは、雑用が膨大なので、お金を取りに走ることになり研究する時間があまりとれないことです。今野浩先生の本にはまさしくその部分が描写されています。(知らない高校生・大学生や親が多いと思います)
民間企業では、研究は開発に直結した開発研究が圧倒的に多いので、プロジェクトリーダーといえども自由にテーマを選んでいる訳ではありません。基礎研究をさせてくれる会社は一握りです。また、長期とはいえども、10年単位では成果が求められます。人付き合いも大学ほどではないですが、必要です。異常人格が許容される幅は大学と狭いこともありますし、社会生活の帝王どは明らかに大学より狭い。ここ10~15年、年功序列は大幅に崩れていますから、能力査定は同じ年次でも知る限り600~800万円くらいの給与差になる例もありそう。実力という意味では厳しい世界。基本的に生み出した価値から給料が払われますから、もらうひとはでます。企業が黒字なら国立大学の教授の1.5倍以上は貰う人は希ではない。
2)医学研究者と民間企業の理工系研究者
会社が赤字か黒字化で先ずだいぶ違います。赤字では給料は最低限になります。黒字企業を前提として考えてみます。
比較は興味があります。実際、親友に開業医は何人かいますが、初代の開業医はその場所での地盤固めが必要で、お金の工面も大変で、とても仕事が忙しいそうです。離陸さんがイメージされているお医者さんの研究者は、開業医ではなく勤務医や大学の先生がメインなのではないかと想像します。わたしの高3のクラスメートで20%が医者をしています。10%は大学の准教授・教授です。純粋に医学部以外の理工系研究者の道を歩んでいる人は15%位います。身近な彼らを参考に考えてみると、企業研究者10%と大学の10%で給料の差はあまり感じません。(この点、大分世間の常識と違うのかもしれませんが、大学の勤務医がそれほど給与が高くないのは常識と思っています。いかがでしょうか)
女の子の場合は、わたしは例外的に医師の職業選択が有利だと思いますので、離陸さんのお話は女性のお子さん場合と読めば納得できます。民間企業で、例えば私と同じくらいの給与を取っている人は、日本人では少ないと思います。外資系には女性マネージャがなるほどいて、その人は男女全く同じ給与体系なので、それだけの厚い待遇なのですが、日本人がそのランクになっているケースを見ていません。・・・理由は不明ですが、会社の方針よりも、そういう実績をだした人材が「いない」という理由だけかもしれません。外資ではなく、日本の企業では、女性はそもそも同じようには出世シナイかもしれませんね。コメントしずらいですがカルチャーだと思います。
<離陸さんWrote>
本スレでも話題になった超難関私立校生の進学先の医学部への偏重(対理工系)も、そういった経験をした先輩方から後輩へのフィードバックが影響している点はあると思います。 注)括弧書きの中身は知的=量的の付けたモノです.
同感ですね。
わたしもスプートニクの落とし子たちを読んで思ったのは、ほんとうに価値ある仕事を自分はえらびたい、という、高1~2の日々をかれらが経験していないこと。40過ぎ、主人公に至っては晩年近くになって初めて強く意識している点です。仕事できないと困るので、それなりに優秀なことは必要と思うのですが、それだけでもないです。国の舵取りができる能力はタンある思考力ではないのは勿論、そうですね。
その一方で0.01%は国の宝というレベルで、わたしとしては活かして頂きたい才能です。
(150万人の150人レベルですから)一芸に秀でた数学者みたいな形を除くと、日本ではうまく育たないということがあるような気がします。彼らに対する心の教育が欠けているのかもしれません。
<老眼さんWrote>
>0.2%でも0.01%でも、0.0001%でも どんなにお勉強ができたって、
国の舵取りに相応しくない人材では意味ないでしょう。




































