在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
・国の舵を取る人材の育成
・「底上げ」(といっても学力ではなく)としての教育(小・中とくに小)の見直し
この2つは、対象の違いから、当然、別の話になるかと思います。
・国の舵を取る人材の育成
国の舵を取る人材の育成という事業に、携わることができるヒト、そうではないヒト、当然ながら存在します。量的さんはご自身仰っておられたように可能な方です。企業人さん、離陸さんはご自身仰っておられませんでしたが可能な方と信じたい方です。
孫さんは人材育成を始めたわけではありませんが、本来国がやるべきことを、率先して企業として始めたわけです。やがて、それは、国の舵を取るべく人材育成という視点にも波及してほしいと思います。孫さんに接点があるかどうかは存じ上げませんが、企業が国を成す時代ですから、その立場におられる共感する多くの方々のご尽力が今後なされるかどうかが鍵のように思います。
・「底上げ」(といっても学力ではなく)としての教育(小・中とくに小)の見直し
文科省の役割です。
どうなんでしょう。
今朝、視点さんの話を受けて福の神さんが仰ったことが、そのままそうなるような、そんな教育を目指すべきです。
量的さんの寺小屋のお話を興味深く読ませていただきました。しかし、残念ながら、わたしには、学校や学習塾と、量的さんの寺子屋の、本質的な違いがいったいどこにあるのか、わかりません。じゃい子さんが感心されていたので、皆様はどうなんだろう、と興味があります。
離陸さんを拝読しての独り言です。
世界から見た日本、企業から見た世界をよくご存知で、かつ、正しい方々が、このエデュの外で、議論し協力し、国の舵を取る人材の育成や、実際に舵を取るための流れを作るということは、不可能なのだろうか。企業人さん、適性さん、シルバースプーンさん、離陸さんをはじめROM専の方も含めれば相当数おられるはず。なんともじれったい。
ガンジー版 七つの大罪
七つの社会的罪 (Seven Social Sins)
1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富 Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerce without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice
まずは大概念を。家庭でも十分できそうな内容ですね。
そこから連なる枝葉の充実は、もしなんだったら外注でも可能でしょう。
家庭と外界(学校なり塾なり)が両輪状態でいくのが理想といえば理想だけど。
老眼さんへ
量的にさんの私塾が素敵だと書いたのは、
昭和のノスタルジーが文面から湧き出ていて映像化
できる文章力に驚嘆したからです。
けれど、老眼さんの仰せのように私が
老眼さんや、通りすがりの企業人さんに
お聞きしたかった筋とはまた違っていました。
3月11日直後、
緒方洪庵の 適塾
吉田松陰の 松下村塾をあげ そのような塾が
今の日本に必要ではないかと書いたのは、
日本のエリート 身を捨ててでも人のために
国を舵とる人物
それは学問だけではなく師のすべてを尊敬できる
ことがそういった人物を養成する時に
不可欠ですね。
また、
3月11日以前に一貫して
*公教育の質をあげる。
(日本は、きわめて平均学力の高い国でそれが国力を支えてきた
それをゆとりで落としてしまったことへの見直し)
*まんべんなくできる秀才型だけではなく
突出方の才能を伸ばす教育
*能力のある人物をその金銭的理由により
あきらめることなく学力をつけられるようなシステム
を主張してきました。
懸念していることにおいて、
もうひとつ、日本国民のアイディンティティをどのように
確立するか。
(戦後コントロールされて虚弱になっていますよね)
これがないとこれから国として成り立っていくことは
難しいのではないかなと。
老眼さんへ
私は、バチカンもプロテスタントもカソリックも国教会も
なになに派っていうのも なんら 興味がないです。
ただ、キリストが、貧しいものと共にあり
卑しい職業と言われる人たちと同じ目線で話をされ
金持ちは、らくだが針の穴を通るより天国にいける可能性は少ないと
言い切り。(搾取しているからでしょうね)
異邦人であろうと関係ない姿勢を貫き
ぼろきれのように扱われても信念を曲げず、
処刑された人だから もっとも影響を受けました。
老眼さんの先生は、旧約も勧められたのですね。
旧約はなかなか読み取りずらいです。
特に黙示録なんて。。お手上げです。
2006年に放送された「汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~」をyoutubeで見て、
IAEAの見解にガッカリしました。都合の悪いことは認めない。結局日本に限ったことではないですね。
現在の日本の有り様は、こっぴどく叩かれて牙を抜かれ、思考までも追随した結果なのでしょうか。
グローバル化といって、少しでも安い賃金で働いてくれる労働者を求める。まず自国の労働者を切る。
○○人が賢くなって賃金が上昇したら、次の無知な国へ。
一体どこまで行ったら気が済むのでしょうか。
道徳的教育は親が自分基準で今でもしていると思いますが、浸透させるには学校しかないと思います。
大きくなると、実体験でしか思考は変わらないでしょうから、小学校で。幼稚園でもいいかも。
10代の子どもは、量的さんのお知り合いがおっしゃった
>・親のお説教はが何より嫌い(・・好きな人は少ないでしょうが)
>・親と子供は別の人生と考える傾向。
これがごく当たり前の感覚ですから、親がどんな教育を行えるのかな…と思います。
子が求めてもいないのに親からの話を素直に聞くようだったら、これまた後々が心配。
老眼さん
>この2つは、対象の違いから、当然、別の話になるかと思います。
学力ではない道徳的教育が定着したら、
普通の教育と合わせて自然と指導層の育成もできているのではないですか?
私は別のものとは思いません。
それと、教えに合った社会にする必要がありますよね。
ただ、今の大人自身がどうなの?という状態で、一体誰が教育するのでしょうね。
弱点さん
>学力ではない道徳的教育が定着したら、 普通の教育と合わせて自然と指導層の育成もできているのではないですか? 私は別のものとは思いません。
わたしの矛盾点をご指摘くださり有難うございます。
長い時間軸で理想を考えたときに、確かに、弱点さんのお考えが正しく、わたしは誤っています。
「学力と道徳を共に身につけているヒトはすでに数多存在する。例えば、それぞれの個人が、知人を100人思い浮かべれば、そのなかの数人あるいは数十人は、それを満たすくらいのオーダーで存在するであろう。では、その方々のなかで国の舵をとるというプロフェッショナルな素養(見識、経験、人脈、人格などなど・・)をも身につけているとの客観的な評価に耐えうる方はいったいどれだけ存在するのか。」
昨夜、書いたときには、こんなことを思い浮かべておりました。後者は前者の部分集合である、というあたりまえの認識をすっかり抜け落としておりました。
現在活躍中の後者の方々は、善良な前者(わたしたち庶民)の部分集合とはとても思いたくないので、将来をイメージしたときにも、その思いが拒絶反応を起こしたようです、と苦し紛れの釈明をさせていただきます。
遠い将来のことが、確かに、最も気になることです。
弱点さんのご意見を理想的な形として、世の中が進んでいけば素晴らしい、と思います。




































