女子美の中高大連携授業
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
じゃい子って名前改名します。
じゃい子っていうのはジャイアンの 妹でしっかりした大地に根を
おろしている逞しさが大好きだったのですが、
未来という HNにしますので(よく使われているようですが)よろしくお願いします。
3月11日を過ぎた時から、今までの日本に当然あったものは
そうでなくなった。
まったく新しい前提を踏まえて考えていかなければならないのではないかな。
この点、遺伝さんに同意します。
ジェレミー・レフキンさんの「エントロピーの法則興味があるので読んでみます。
この本は、遺伝さんの仰せられるような
「人類の利用可能なエネルギーの総量は有限である」という前提になっていると
して、
自然エネルギーは、有限ではないのですか?
自然エネルギーを開発している方の話で、
船のエネルギー開発で潮流を使って
現在小型船舶はガソリン、大型船舶は重油の代替えエネルギーを
開発し遂に実用化までこぎついた時いきなり打ち切りになったそうです。
理由は、今までの研究コストがかかりすぎたため。
こういうことが実際行われているシステムでは
自然エネルギー開発が前進していないのも当然のことだ感じました。
人口と消費の激増による、資源、生物と環境維持の限界:
まだ今後も世界的には経済成長が続きますが、貧困の改善を求める新興国と異なり、先進国としてリードしてきた日本は、成長し続ける世界経済の中でやがて飽和する(所謂、ゼロサム社会)に先行して、持続可能な未来の社会への転換を計る必要が生じて来たというのが、大局的な見方だと思います。
私は。縮小社会への展望を支持していますが、それは、量的には減少しても、質的には向上する社会ということです。生活水準の向上を目標としつつ、生物・鉱物資源消費の減少、そして環境問題の緩和を目指すというものです。過去への回帰を意味するものではありません。そのためには、(1)超長期の時間軸での方針の共有 (2)技術の向上・革新 (=節約・省エネ/情報技術/自然および人工環境の回復)
(3)制度の挑戦 (4)精神の挑戦、が必要と考えられます。
子供の学外での教育という点では、地域のNPOによる環境ネットワーク活動で子供達が6年間お世話になりました。その活動で、子供たちへの学びの場、及びシンポジュウム・講習会などのよる学習・交流の場の設置、大学専門家による各種支援活動のコーディネイト、市民・企業・行政との協働によるプロジェクトの実施・支援、独自調査・研究・提言などがあり、活動の実施を支援して下さった多くの皆様(年配の皆さま、大学関係者、大学生)には、毎週、親子で楽しく学ばせて頂きました。「縮小文明への展望」は、その中で元東京大学教授の月尾嘉男先生の講演会で紹介のあった未来社会への展望で、私自身、腑に落ちるものを強く感じて支持するものです。子供達にも、小学生時代のそこでの学びは根付いています。
価値観が多様化したこの時代に価値の共有と協調は困難かもしれませんが、出来るところからという点で、教育に関しては、まずは、家庭や地域の活動(我では地域でのNPO活動、または量的さんの提言するが寺子屋(=私塾)の利用等)から、子供が多くの価値観を知り、大学や就職への進路決定に際して、自分の価値観を形成して、将来、社会活動をしてくれればと思います。社会を導くリーダーがどこでどういう経験、教育を受けどこから現れるか。それは、予想のしようがありません。我々には、身の丈に合った自分で出来る活動を通じて種を巻くことが求められているのかもしれません。老眼さんの実行力には、尊敬する次第です。
素人の判断を待っていられない現場が独断で物事を決めるのは果たして許されないのか?許されるのか?
下手すると関東軍の独走から満州事変、日華事変へという流れを思い出させる話だが現場の独断がなければもっと悲惨な状態になったかと思われる今回の事例。結果オーライで事後処理をやるしかないだろう・・・・・。しかし東電上層部は技術が分かるなら一刻の猶予もない現場の状態が分からなかったのだろうか?
素人がとやかくいっても突っぱねるだけの度胸がなかったんでしょうね。最初から勝俣さんが前線に出ていたら対応は変わったのかな? 海外にいたんですかね3月12日時点では。
原発のことは書かないと決めたのにリーダー論、組織論を書こうとするとやはり今現在進行形で起こっていることに触れざるを得なくなる。
お題に関連して来年の関西の進学校からの東大受験は減るんでしょうか? 節電で実験も大分自粛しているらしいですね東大は。大電力を使う工学部あたりの実験はほんとうのところどうなっているんでしょう? 大学こそ優先的に電気を回して思う存分研究させればいいと思うのだが。
そうか・・・・・医学部なら電力使う実験はありませんね。関西の受験生にあまり工学部は関係なかったですね。
>私は。縮小社会への展望を支持していますが、それは、量的には減少しても、質的には向上する社会ということです。生活水準の向上を目標としつつ、生物・鉱物資源消費の減少、そして環境問題の緩和を目指すというものです。過去への回帰を意味するものではありません。そのために……
>価値観が多様化したこの時代に価値の共有と協調は困難かもしれませんが……
未来を考える切り口として素晴らしいと感じます。
量と質:質は主観によるところが多いので、それこそ話し出したら色々な意見がでるでしょう。しかし、その中で限られた資源を多くの人がより平等に受け取り安全に暮らしていくため、多くの項目の中から優先順位を付け、そぎ落とし、断念しするプロセスをへるのでしょうか。
適切な例はすぐには思い付きませんが、リニアモーターを建設し、東京大阪を1時間で移動するのは量でしょうか。質でしょうか。エアコンの省エネ技術を極めて行くのは質でしょうか、量でしょうか?
もう一つの可能性は、どなたかが記述されていましたが、パラダイムシフトが多くの人に同じ方向で起こるのかも知れません。日本では社会の大変革前に伊勢神宮にお参りする人が劇的に増加する不思議な現象が有るそうです。前回は江戸時代末期、今回は現在進行中です。昨年はかなり増加したそうです。私も昨年初めてお参りいたしました。自分でも突飛な行動であり理由がよくわかりません。
根拠は有りませんが、今後くるゼロサム社会または縮小社会に対し、パラダイムシフトや覚醒?で社会が大きく変わっていくような感じがしています。エアコンを使うことが恥ずかしいと感じる社会がくるでしょうか?
吉田兼好でしたか「風流とは寒さなり」。日本の家屋は夏の蒸し暑さを回避する事を重視して設計されていたと聞いたことがあります。過去の知恵を呼び起こす事も有効でしょう。(それがすべてではありませんが)
今日、東大の5月祭に出かけ、たまたまですが、
民主党前総務大臣の原口一博氏による講演<震災後における日本の政治・行政の展望>を拝聴しました。
より良い将来のためには、未来を見通す力を持ってパラダイムを作ること。(下記のイメージ)
それには,
- 「人間の尊厳」を学ぶこと
- 「教育」で変えること
この「二つ」が大切だと強調されていました。
従来 ==> よりよい将来像
---------------------------
独占 から 共有
集中 から 分散
大規模 から 小規模
排他的 から 協同的
私は、今の社会では、グローバル化を踏まえてからローカルへ。大局を踏まえて小局へ。多様性を踏まえて個性へ。という思考の流れが必要だと考えていますので、上記に共感を覚えました。
確かに、教育の場で教える思考の変換と実行なくして、より良い社会を目指すベクトルの結集は難しい。
(氏は社会の歪みエネルギーが大きくなるとファシズム的なものを生むリスクがあると述べていました。)
そういったソフト的な教育の場とは、・・・やはり、まずは家庭なのでしょう。
学校では、中高では、きちんと社会に対する知識と歴史(とくに世界史)を学び教養の基礎を身につけ、大学で教養として学ぶのでしょう。
昨夜被災地から戻りました。
恩師に挨拶してきました。
「すべきことは他にあるでしょう」
常に叱られっぱなしです。
あちらとこちらの違い、あらためて愕然としました。
目で見える光景の違いではありません。
ひとつは、切迫感。
ところで、
“総理批判を散々したあげく、不信任案には反対”
これは、大変おかしなことですね。
裏に隠された政治的かけひきなどという小事は何の理由にもならない。
俯瞰的に「変」なのです。
教育的には、好材料だと思います。
これが「おかしなことである」と自分で自然と判断できるように、
子供たちにきちんと教育しなければならないのではないか。
教科学習以外の教育で欠けている部分とは、
そういうことではあるまいか、
と認識しています。
これは、宗教、哲学、道徳とはちょっと違うものだと思います。
論語のようなものともちょっと違う。
>今の社会では、グローバル化を踏まえてからローカルへ。大局を踏まえて小局へ。多様性を踏まえて個性へ。という思考の流れれが必要
そのためには、子供らが、
視野を広げて学ぶ、考える、そして自分の意見を言う、互いに議論することでさらに視野を広げて学ぶ
この繰り返し、が大元になるものだと考えます。
全家庭でそれができればいうことはありませんが、
そうではないのが現状ですので、
特に小中の義務教育における学校教育が重要だと思います。
指導要綱に存在しなくとも、必要なことは、知恵を絞って、なんとかやらないと、
そう思います。
自分の家庭ではやっている、子供がお世話になっている学校ではやっている、
だけでは世の中成立しない、ということが、
震災と原発事故の莫大な犠牲と代償が、
わたしたちに示してくれたことの1つだとうけとめています。




































