女子美の中高大連携授業
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
イギリスのボーディングスクールのこどですが、
私が調べたところは、年間学費およびガ―ディナー(日本からだと保証人がいるので)
の費用を含めて800万
それに諸費用がいると思います。
ざっくり1千万くらいは必要でしょう。
(音楽にしても個人レッスンなどのオプションなどには別途費用)
夏休みなどには当然、自国に帰ったりバカンスに行ったりと周りがしているので
そういったことも考慮しなければなりません。
私が通っていたコレッジの横はボーディングスクールで
よく観察してました。(←憧れてましたので)
20年前は、白人系以外は、1割ぐらいいたかな。
習ってたいた教授の娘さんはボーディングスクールで
貴族とか特権階級の子弟だけではなく
それだけの費用を払えるかどうか
となってくる部分が増えてもいるようです。
現在は白人以外の比率が増えてインド以外にも、中国の方々が多くなっている
ようです。
日本からなら、勇気(本人の)と資金があれば門は開いていると
みています。
(国籍的に問題なし)
大学においては、オックスホード、ケンブリッジをあたりを除けば
それほど敷居が高いものではないですが、
もちろん成績が優秀であることと学費などが必要です。
庶民感覚では、日本のように誰もかれもが進学するという
感覚ではないですね。
それこそ大学でたからといって就職があるわけではないですから。
(日本もこれに近づいています)
20年前にスペイン人の友達がスペインでは大学をでてホテルのポーターをしてる
って別に特別じゃないっていう話が出ていました。。(余談)
(個人的感想です。)
教えてくださいなさん
オックスブリッジは面接重視の入試であり、
やはり「パブリックスクール卒業生であること」が有利に働く
と聞いたことがあります。
つまり…
年400万円以上×6年分の学費
(私立の幼稚園や小学校も計算に入れるとその倍以上?)が
名門大学への切符になるということ。
そう聞けば、
「英国生まれのMr.視点」は“義憤”を感じるだろうと思う次第です。
ところで、エリート教育を目指す私学といえば、
イートン校をモデルにしたという海陽学園があると思うのですが
実際のところ評判などはどうなのでしょうか。
ご無沙汰です。
担当プロジェクトも設計、製作を終えて、世界の各拠点でシステム毎の建設にフェーズが移り、
出張先が、欧米先進国からアジア新興国へと変わりました。
今滞在している国は、20年ほど前から数年に一度は出張をしているのですが、
やはり、この数年のインフラ、都市環境、そして人材の成長は著しいです。
規模的には日本には及ばないものの、生活に何の不自由も感じませんし、何といっても物価が安い。
ここは、グローバル化により恩恵を受け、成長ベクトルが上を向く社会の勢い、活気があります。
そいえば、ヨーロッパ滞在中に、現地出向中の大手会社の研究員数人が話していました。
本社から、日本に研究者ポストのオファーがあったが、結局日本人ではなく東南アジアの若手研究者がそのポストを得た。
日本の研究者にもグローバル化による競争の波が押し寄せ、厳しい環境になっていると。
これからは、集団の中で力を発揮出来る個の力を鍛えないと、仕事で活躍の場を見出すのが難しい環境が増えていくのでしょう。私の仕事でも、国際JVで次回の契約を睨んだ評価がなされています。単価の高い日本人は、技術的なバックグランドを主とするデスクワークはコスト競争力の高いインド、中国人等を雇うことにより、必然的に、プロジェクト全体の最適化を提案してリードする人材、集団の中で円滑なコミュニケーションを取り、問題解決能力、実行力のある人材がポストに求められます。今までの日本が恵まれた環境にいたのであって、これからはグローバル化した平場での競争を念頭に置かねばなりません。高い、学業 プラス 人としての総合能力 が必要なのです。
子供達には、学力だけではなく上記の能力も鍛えるような環境をアレンジしています。
はっきり言って、私立ー公立の学校2元論は無意味です。
学校での授業、教育で足らないと思う部分は、各家庭での考えに応じて補強すればいいのです。
そして、ブレークスルーのためには、まずは考えを実行に移すことでしょう。
子供の教育に関しては、考えに基づいて実行し、うまくいかないこともあれば、子供が成長を示してうまくいくことも有ります。実際は、親の出来ることは限定的で、道の選択肢を示す、環境のアレンジのサポート程度です。実際に行動をするのは子供です。お金が学校がどうのこうのではなく、予算で出来ることを考えるのです。
子供達は中高での学業という点では、まず申し分有りません。子供達もそれが将来の担保に成るとは思っていませんし、それで別に医者になろうと考えてもいません。将来、何の職業を選択するかについて真摯に考えています。まずは自分が社会で活躍、社会貢献出来る場を見つけて、そこに立つことです。それに必要なことを今することが大切なのです。私は、長期単身赴任で、先月の一時帰国時に、子供達と勉強、将来の話をしたのはせいぜい30分程度でした。それ以外の時間は、家族団欒であり、出張先からの電話もメールも日常会話です。ですが、考えに基づく方向付けはそれなりに子供達に受け入れられて、成長で具体的な成果も出しています。モットーは「大切なことは、明日からではない、今この場で始めろ。」です。
未来様
お話本当にありがとうございます。
すごく勉強になりました。
私は教育の内容が全然わからないので、親父さんのお薦め本読んでみます。
企業人様
先日、京都に行く用事があったので、企業人様に飛雲閣が見れると聞いて、書院と飛雲閣を見てきました。
書院の方は、前回は仕事のからみで入れて貰ったので、ほとんど全てに近い部屋を見る事が出来たのですが、一般公開する時は、ここまでしか入れて貰えないのか、、と見られる部屋数の少なさが少し残念だったのですが、それ以外はやはり、魂を吸いこまれるような美しさ。
部屋ごとのテーマ。
天井の猫の絵の遊び、床の音、計算しつくされているのに、遊び心のある「粋」な建築物。
素晴らしいとしか言えません。(文章での表現力に乏しい私(笑))
飛雲閣に入る前に唐門がありましたよね。
一緒に行動してた中に一人アメリカ人の方がいたのですが、(彼は芸術に全く関心なし)私が「書院作りと唐様の違いはど~こだ?」って質問をしたら、本気で「え?違いがあるの?わからない」と。。
「色の違いはわかるよね?」と聞いても「え?」と。
色彩の違いそのものに気がつかないのにはびっくり。
すごく感動してたから、「君はどこに感動してるのだ?」と、おかしく可愛く思えました。
日本人は一目瞭然で違いがわかるんですけどね(笑)。
飛雲閣も素晴らしかった。
ポンと目に平安調の絵が飛び込んでくるのは素晴らしかった。
一見調和してないように見せて、見事に建築物と調和させている。
一つだけ残念だったのは、新しく修繕された釣鐘の柱の金があまりに新しすぎて、もう少し周囲の素材と調和させながら修繕すれば良いのに、と私と同じ業種の者はみな残念がっておりました。
時が経てば気にならなくなる、、のですけどね。
お金がなければ入れなかったのは日本の旧制高校も同じですね。貧しい時代には郷党の援護会(旧藩の育英事業)や出世した親戚の援助を仰がねば進学できなかった。
知人の父親は貧しい農家の長男で家にお金を入れるために頭が良くても中学に進学できず小学校を出ると大阪に奉公に出た。戦前は職人や百姓の家に生まれて旧制中学に進める人はほんの一握りだった。地主や素封家、酒造りなどの自営業か官吏、役人の息子や大学教授、裁判官などの知識階級の子供たちしかそもそも旧制高校を経て帝国大学に入れなかった。
金がなくても頭のいい子は軍学校や師範学校に行ったといいます。旧制高校生のバカ騒ぎは同じ境遇にあるものからは稚気ととられますがかなわぬ夢だった人たちからは妬みと悔しさの入り混じった複雑な目で見られたようです。
さて、「リーダーは教育で産まれるのか?」という問題は難しい。どんなことを教え込めばいいのか? 教育による知識があってもリーダーにはなれない人は沢山います。やっぱりお山の大将は子供の時から顕れてますよね?
逆にお山の大将たちが受験制度によってスポイル(中学受験)されて小さくなっているのが日本の現状ではないでしょうか? 大体あんな勉強や塾通いなんて面倒くさくて「親の言うことなんて大人しく聞いてられない」と仲間を集めて野山を遊びまわっている子のほうがリーダーとしての将来性はあるでしょう。
親から洗脳されて「中学受験でいい学校に入らなければいい大学に入れない」なんて素直に受け入れている時点で親や「現在の価値観」に隷属している。世の中が固定化して出世ルートができると元気のいい暴れん坊は弾き出されてしまう。
そういう意味で受験など関係ない小中高一貫の大学付属などを出た人のほうがリーダーシップをとれる気質が温存されるかもしれない。親が社長で社長業を見ていると人に立つうえでの心のようなものは分かるでしょう。
中学受験勉強やらされている織田信長や坂本竜馬なんて想像できないし勝海舟なども「おいらこんなこと馬鹿らしくてやってらんねえよ。剣術のほうがよっぽど胆ができる。勉強なんて本人がやりたくなってからやるもんよ。親にあれこれ言われてやるもんじゃねえ。」と言うだろう。
明治維新後学校制度が整うにつれテクノクラートは増えたけれど世の中を変えるような偉人が出ないのは肝っ玉や太っ腹では入試に通らないことも大いに関係していそうだ。
閑話休題
水路に7羽の雛を抱えた母親と4羽のチビをつれたカルガモを発見。奥の池にはほかの一家がいるかもしれない。普段は逃げる鴨が水路の上の草の庵に雛を守って動かない。近づくとくわっくわっと警戒音を小さく出すだけでじっとこちらを見ている。水草は緑のグラデュエーションで美しく数匹の鯉がじっと木陰にうずくまっている。小学生たちよ小賢しい勉強するより自然にでて生命の営みをじっと眺めよう。その数時間は塾での時間よりはるかに豊かなものを君たちの心に与えるだろう。




































