女子美の中高大連携授業
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
地域・時代さん
有難うございます。-m( 。。)m- (進歩のあとかたもありませんがお許しを)
いえいえ,できてないから,わからないので,一生懸命努力して,考えたいのです。
言葉の意味の理解こそ 人間にしかできないことですから, たとえ 呪縛があるとしても
知るためには やらねばならんのです。
外から見れば 異常でしょうけど・・・・ 少しは自覚しています
老眼様~!!!!!
-m( 。。)m-
↑
こっ、このっ絵文字の目ぇえ~!!
初めて見ました。
蟹??
私の感性ど真ん中、直撃です。
あきません~。。。ごめんなさい、、パソコン前で大爆笑してしまいました~!
いえいえ、異常なんて思いません。
おそらく、人ってそういう疑問を長年持ち続けて生活するからこそ、生きている事の喜びを感じられるのではないかな?と思う時があります。
私もそういった自分で解釈出来ない言葉はがあります。
私の場合は、考えないといけないんだと思います。
-m( 。。)m-
ちょっと目をズラすと この蟹生きてます? ぜんぜんお辞儀じゃないですね・・・。
以前は「偶然/必然」と「意識」でした これはシルバースプーンさんのおかげでスーッとしました。
今は「かかわり」 あと「自由」 そして 「法」です,知りたいこと。
中学受験情報板でこんなスレ見つけました…。
>【633883】東大野球部に20年ぶり医学部生
投稿者: 凡人のタメ息 (ID:IadIfZDzUM.)07年 05月 12日 14:59
(中学受験とは別の話題で恐縮ですが)
理科3類に所属する新入部員が一挙、3人も入部していたことが分かった。
理3トリオは安原崇哲投手、福井大和投手(ともに灘)、中野秀比古捕手(甲陽学院)。
3人そろって現役合格だ。
福井は左手首を故障して高1の冬にサッカー部に転部したが、高3の6月まで在籍。
4番・エースの安原、5番・捕手の中野はそれぞれ主将を務め、中心選手として
最後の夏まで部活をやり通した。その後、受験勉強を開始。
安原選手は宝塚リトルに所属していた小5時に全国大会出場経験もある。
(以上、スポーツ報知より抜粋)
う〜ん・・・本当にできる人間というのはそういうものなんでしょうね・・・(ハア・・・)。 <
後日談として、灘出身の2人は、練習時間のねん出に苦労しながらも
4年間勉強と部活を両立させたそうです。
視点さんとしては、この学生たちは認めるんでしょうか?
それとも中高一貫校出身というだけでだめなんでしょうか?
さらに社会人になって結果出さないとダメ、なんてハードルをどんどん上げないでくださいね。
私立だろうと公立だろうと、評価すべきところは評価するという姿勢でないと、
真のリーダーを見極めるどころか、候補者がだーれもいなくなってしまいますよ。
こんばんは。
やはり感覚の差を感じますね。
以前も記したのですが、
必要かどうか、ということではなく、
もうそこにあるのが当たり前かどうか、という感覚の違いを感じます。
頼るかどうかというよりも、
それが現実の一部としてとらえているかどうかという感覚の差。
IDばれそうなものがというのも、
個人的にはやはり感覚の差を感じます。
ばれそうというよりは、ばれて当たり前だろうと、
そのように感じるのは僕だけではないはずですから。
営業が多いのは理屈から考えればそうでしょうね。
面倒ですし、IDさらしてなんぼの仕事でしょうから。
それにしても、ここまでこのスレッドが伸びるのが個人的にはとても不思議です。
学生はどう思ってるんでしょうか。
ちょっと聞いてみたい気もします。
■視点さん
>>視点さんは凡人じゃなくて天才なんですか?
>もちろん凡人ですよ。
>だから凡人だって言われてもなんとも思いません。
視点さんは、なんとも思わないかもしれないな・・でも
「おはよう、『凡人』視点さん」
て挨拶されたことあったか?ないだろー。
あなたが、凡人だと、皆分かってるのに。いわないだろ。
皆、視点さんみたいに、「悪意」のある言葉を、言わないだけだよ。
もしかしたら、毎日言われてる?奥さんに。
■面白い論理 さん
>やはり視点様の書き込みには「愛」がないと思います。
好きなもの(部活とか)への「愛」はありますね。
そこが、好きすぎるのか、嫌いなものには 『憎悪』 になってしまってます。
なぜ、「そこまで」なのかは、わかりませんけど。
問題は、『憎悪』を隠せないというか・・それを言うのが、気分かよくなってしまうのでしょうね。止まらないのですよ。自分を制御できないのです。
だって、常軌を逸してますからね。方法が。
>こういう感情を持つのは、私がナイーブ過ぎるからでしょうか?
いえいえ、そういう感情をもってもらうことを、「目的」としているのですから当然です。視点さんは、認めませんけど。
視点さんは、すぐに、
>私の自分の意見を言っているだけ。
とか言うじゃないですか。
それは、書かれていないが、言いたいのは、「何か問題でも?」
ってことでしょ。
この『だけ』ってのは・・くせもんなんですよ。
「なんで、この子は転んで骨折したんだ?おまえか?」
の質問に・・
「私は自分の足を(わざと)出した『だけ』。」
と答えたり
「ちょっと、通れないので、どいてもらえます?」
に
「おれは、立ってる『だけ』だ。」
と答えるたりするのと、同じ。
もしかして、武士にあるまじき、責任のがれ?脅し?
の『だけ』ですよ。
「面白い論理 さんが気分を害してる?俺には関係ない、意見を言ってるだけだ。」
という「逃げ」ですね。
勝手に、骨折した、勝手に困ってる、勝手に気分を害している。という論理。
「隣に視点さんが住んでなくてよかたー」って思ってくださいね。(笑)
s2さんが登場しているのでその感覚の違いを私の側から書いてみます。
決定的に違うのはITを当たり前に便利なツールとして受け入れている世代と「何か違うよな」と生理的に違和感を覚える世代との皮膚感覚の差かと思います。
例えば電子黒板。一部の企業家は一生懸命普及を図っているが昔ながらの「チョークで板書されたものを手書きするので脳にくっきりと強い印象が残る」という反対論を強く訴える人たちがいます。学習論としてはどちらが正解なんでしょうか?
私は極力パワーポイントは使いません。照明を落とすと聴衆が寝てしまうからです。
それに相手の反応を見て話しの展開に応じて板書を変えられる自由さがパワーポイントにはありません。
それから・・・・・・見ているだけでは頭を素通りしてしまいます。やはり原始的に体を動かして目で見て手を動かしてノートに書いてそれを見て覚える過程は眺めているだけよりはるかに脳の色々な部分を活性化しているのでしょう。
運動部でよく言う「体が覚えるまでやる」ということが勉強にも当てはまるのではないかと感じています。数学も自分で鉛筆動かして図を書いたり立体なら模型を作ったりしてイメージが湧くまでやる。
あと・・・・これはもっと感覚的なことなんですが手触り、音、響きなんてことも重要な要素を占めているんですよ。
今のご時世ネット碁が流行っています。インターネットで世界中の人と対戦できます。確かに重宝するしリアルタイムで本因坊戦なども見られます。手触りとはなんだ?音とはなんだ?・・・・・・・・・それは碁盤に向かった時に感じる一種の構えというか伝統に触れる喜びというかきりりと精神が引き締まるというか・・・・本物をやっているという「ゆめ疎かにはできない」という感覚なんですね。
碁盤に石を打ちつけた時の「カン」となる乾いた音の響き。碁盤の木目の美しさと綺麗にひかれた盤線。ただの遊びではなく伝統芸の一端に触れているという折り目正しさ。
そんなものがまるでないネット碁では私はいい手が浮かばずすぐ頭が疲れてしまいます。ゲームなんだから何でもいいそんな道具立ては関係ないというのが若い世代だとするなら碁にまつわる様々な物語、伝統やたたずまいを感じてしまう私は適性さんいうノスタルジー爺なのでしょう。




































