在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
■視点さん
>そんなすばらしい選手が入りながら高校時代1勝もできないって・・・・。
あれ???最近は・・
>ベンチに入らない生徒にもチームのための役割はある。
>べつに全国行けなくても、チームが勝つために真剣にやってた奴
>は社会に出てその経験が生きてくる。
ベンチでもOK、勝ち負けよりもって話だった・・はずじゃなかったのか??
何勝以上とか、全国大会 とか基準あるのか?
全国に行ってないであろう、視点さん。
>これ以上はやめときます。
って、言うだけ言った後だからなー。
さて、どうしてこうなったんだろう?・・・・・・・・・・・・・・
ある日の、視点少年。
砂場で・・女の子に
「おい、ブス、デブ」
お母さん
「だめよ、そんなこと言っちゃ、そんなことないわよ、かわいいじゃない」
視点
「ホントのこと言った『だけ』だ!!悪くない」
視点、逃げ出す。
お母さん
「昨日、○○医院の息子さんと、あの子が遊んでたからかしら・・・」
お父さん
「いや、逆恨みっての、けっこう、生きるエネルギーになるんだ!!
○○医院?・・あいつの子か?あいつもそうだった・・」
お母さん
「あなた・・・・・まだ、うらんでるの?
あなたも小さい時も、私に、ブス、デブって言ったわね・・
いいじゃない、私が結婚してあげたんだから・・」
お父さん
「○○医院の奥さん、すごく、きれいなんだ・・・・」
お母さん
「 ムカッ (゙ `-´)/ 」
なんて、ことでもあったのかなー。
>家族は無事だったものの、避難所、仮設住宅、復興住宅と点々とし、
>3つも小学校を変わったそうです。
なんでそんな状態で公立に行かなかったのだろうと思うけど・・それはそれとして。
今回の震災でも、震災にあった子供達が、志を新たに、地震研究や原子力研究、復興活動等、様々な分野で羽ばたいてほしいものです。
>ここでは「理Ⅲ(あるいは灘をはじめとする難関私立)を出て
>スポーツのプロになれるか?」がお題ではなく、
>理Ⅲの学生の中にもリーダーシップ、スポーツマンシップを身につけ
>ている学生がいるということがわかればいいだけでしょう。
私は、大学でも体育会ならリーダーシップもスポーツマンシップも身につくが、楽しければそれでいいテニスサークルじゃつかないという考えなんですよ。
だから就職活動でも、体育会とサークルじゃ評価が違うわけです。
■老眼さん
私のコメント
>「レール」を『環境』と、「洗脳」を『精神的サポート』と読み替えてみてください。
>あら不思議、突然、話かかわるでしょ。そんなもんです。言葉って。
老眼さんのコメント
>「かかわりをもたない」というのはあり得ない,とすれば前提が違う。
>で,その先は・・・適性さんが仰るようなところ,そこに落としどころが
>あるのはわかります。
>ただですね,自分の頭にあるものがたとえ「限定レール」ではないものだ
>としても,また,言葉を入れ替えたとしても,「言葉」に隠された「その
>意味」を考えますと,【「限定レール」を洗脳すること】との本質的な違
>いを明確にできないんです,自分の中で。
>今は「かかわり」 あと「自由」 そして 「法」です,知りたいこと。
えー「かかわり」についてですが・・・
大前提として、親は、ある種の「強制力」を持っている事実です。
「強制力」の使い方、は、一応、親が「判断」するのです。
「しつけ」の場合、「強制力」使いますよね。ある程度。
しかし・・親が「強制力」を行使したと認識しなくても、
全ての親の発言や行動(かかわり)が「強制的」な意味合いが含まれる可能性があり。
そこから逃れることはできない。
ここらへんですよね。たぶん・・違います?
全ての親の発言や行動(子供に向かっていないものも含め)それは、親自身の価値観に従っているものですよね。(親自身が強制されていない限り)
私はですが、親の価値観は、子供に提示する「べき」?べきというか、提示しても「いい」と思うのです。
発言で言えば
「●●が嫌い」「●●は許せない」「●●は、非常識だ」などなど・・
逆に「○○は凄い」「○○は偉い」
さらに、子供への直接的な誘導的な発言の可能性が否定できない
「どこどこに行こう」「これやってみれば」「こうするべきじゃない」などもね。
私は、子供は、親の価値観を、なんとなくでも「認識」しても、いいんだと思うのですよ。
子供は、子供なりの価値観をもっていると思いますし、そこで「反発」したり「共感」したりするわけですよね。
そこは、子供の逃げられない「試練」の一つではないでしょうか。
そういう価値観を持った親の、子供という。
価値観を、まったく提示しない、全ての選択と判断は、子供に任すってのありかもしれません。
「レール」を敷いてないという意味での責任は回避できるように思えます。
でも「反発」したり「共感」したりしながら、子供の価値観がじょじょに形成されるのだから、いいのではないかと思っているのです。
で、子供の人生は子供のものだと思って、最終的な、選択と判断を奪わなければ、いいんじゃないのではないか?と・・
ただ、提示の仕方やタイミングは、きっと大切なんでしょうけど・・・
実際、親も「言い過ぎたかな?」「もっと厳しく言っとけばよかったかな」「ほっとけばよかったかな」とか、失敗か成功かも、わからない、ことを、繰り返してるわけで・・
親の価値観に「共感」して子供が行動したときが、一番、サポートと、子供のモチベーションが一体になるんだと思います。
逆に、子供の価値観に親が「共感」してもいいわけだし。
しかし、自分のことを思い出せば、子供の頃は、小、中、高と親の価値観と逆に行く力も結構強いですよね。とくに、表面的?価値観に関しては・・
うーん、あまり、うまくかけません・・・が、今は、こんなとこです。
■視点さん
>なんでそんな状態で公立に行かなかったのだろうと思うけど・・それはそれとして。
どんな、話でも、「いちゃもん」つけないと、気がすまないようだな。・・
>私は、大学でも体育会ならリーダーシップもスポーツマンシップも身につくが、
視点さんは大学で体育会なのに全然「スポーツマンシップ」なんか「ない」じゃん。
全然、男らしくもないし、さわやかでもないぞ。
6月のはじめの数日、それから、本日午前中までの数日、関西で、カンファレンスをやりまして、日本人の国際化について考えさせられてしまいました。
日本人、特に若い人の英語も、プレゼンも、どんどん酷くなっていて、まったく、中国人、韓国人、パキスタン人、イラン人、、、、に、太刀打ちできていない。これは、前から感じていたことですが、今回、日本の若い人は、それを特段問題と感じていないのではないか、という感じすらしました。
今回は、私は運営側だったのですが、技術経営的なプログラムを混ぜて、名だたるグローバル企業のCTOや役員クラスと、若い人が、フラットに議論できる場をつくりました。しかし、残念ながら、日本人の若い人は、英語力のみならず、準備不足が目立ちました。それに比較して、中国人その他のアグレッシブなこと、ビッグネームがプレゼンすると、修士課程の学生デモ、雨あられと質問する、名刺を持って突進していく、ロビー囲んでディスカッションを仕掛ける。ビッグネームも、まったく苦にせず、冗談をまじえながら、気さくに答えている。じゃ、サンドイッチ食いながら続きをやるか、というようになる。
日本人は、話しかけられたらどうしようと逃げ回っていて、少なくとも若い人は、輪に一人も居ない。
ずいぶん前に、Tiger Momの記事を紹介してくださった方がいらっしゃいました。中国系の、イェール大学の女性教授の子育て論で、徹底したスパルタで子供を鍛え上げる、というものです。好むと好まざるとにかかわらず、日本が沈まないようにするためには、こういう人たちと渡り合っていかないと、日本が沈下する速度をゆるめることはできません。
ちょっと、私も、我々も、考え方を変えないといけないかも知れません。
もう、ボトムを救っている暇は無いのか、と殺伐とした気持ちで新幹線に乗っています。
私は、今まで、他ぶん2000人くらい、採用面接をやっていますが、体育会かどうかを勘案したのは、オリンピック強化選手がボーダーにあがったとき一例のみです。入社したときに基礎知識に欠ける人が大成する確率はほとんどゼロ、という経験値があります。ただし、修士以上の採用なので、学部まで体育会を頑張って、卒業研究や修士課程で死ぬほど勉強して取り戻したと思われる人は、もちろん居ます。
これは、技術開発という、ある意味特殊な部隊だから、だったのだと思います。しかし、今後、企業でも、上級ノンマニュアルを目指すなら、文系的分野でも、いっそう、基礎学力重視にならざるを得ないか、と感じました。
超超大グローバル企業のVPに、グローバリゼーションが一番必要のセクションは何か、と聞いたら、驚くことに、Finance、Accounting、Information Systemという答えが返ってきました。(Information systemは、グローバル企業で世界を結ぶ社内システムのことです。)
これに比べると、技術開発は、ローカルマーケットに合わせるという要素がある、とのこと。
日本企業で、経理のグローバル化を言っている人は、まだ、少数でしょうし、私も、恥ずかしながら、あまり考えていませんでした。
もちろん、決算を米国会計基準に合わせる(合わせた数値も発表する)ために、けっこうな苦労をしているのですが。
東洋経済の7月2日号に、グローバルエリートを育成せよ、という特集があります。Tiger Motherも登場しています。日本の大学や高校の取り組みもあります。
ご興味あれば一読を。
混乱状態で乱文失礼しました。少し考えがまとまったら、また書かせていただきます。
■適性さん ペコ―っ -m(- -)m- (神妙さを現わしたつもりです)
>大前提として、親は、ある種の「強制力」を持っている事実です。 「強制力」の使い方、は、一応、親が「判断」するのです。 「しつけ」の場合、「強制力」使いますよね。ある程度。 ・・・ふむふむ。
>しかし・・親が「強制力」を行使したと認識しなくても、 全ての親の発言や行動(かかわり)が「強制的」な意味合いが含まれる可能性があり。 そこから逃れることはできない。ここらへんですよね。たぶん・・違います? ・・・ビンゴ
>全ての親の発言や行動(子供に向かっていないものも含め)それは、親自身の価値観に従っているものですよね。(親自身が強制されていない限り)
・・・ 否定しようがないですね、これは。
>私はですが、親の価値観は、子供に提示する「べき」?べきというか、提示しても「いい」と思うのです。
・・・そう、回避しようたって、無理ですよね、ふつう そうなりますね。でも、なぜ いいと思うのか、ですよ。
>発言で言えば 「●●が嫌い」「●●は許せない」「●●は、非常識だ」などなど・・ 逆に「○○は凄い」「○○は偉い」 さらに、子供への直接的な誘導的な発言の可能性が否定できない 「どこどこに行こう」「これやってみれば」「こうするべきじゃない」などもね。
・・・核心にせまることば達がでてきましたね-。
>私は、子供は、親の価値観を、なんとなくでも「認識」しても、いいんだと思うのですよ。
・・・ えっ! そうきましたか・・。 飛んでませんか? 「なぜ」 が。
>子供は、子供なりの価値観をもっていると思いますし、そこで「反発」したり「共感」したりするわけですよね。 そこは、子供の逃げられない「試練」の一つではないでしょうか。
・・・あっ! ここに ありましたね。 その「なぜ」が。 親子の価値観がぶつかるわけですね。 ふむふむ。 それは 「試練」であると。 ってことは、ここいら辺で、こどもの責任というのが発生しちゃったりするわけですね。 責任というのは言い過ぎかもしれませんが・・・。となると、「なぜ」の向かう先は、こども にある?
>そういう価値観を持った親の、子供という。 価値観を、まったく提示しない、全ての選択と判断は、子供に任すってのありかもしれません。 「レール」を敷いてないという意味での責任は回避できるように思えます。
・・・ちょっと前の話に戻ったようで、 おっと、 戻ってない。 第2の設定ですね、普通はあり得ない・・場面の。
>でも「反発」したり「共感」したりしながら、子供の価値観がじょじょに形成されるのだから、いいのではないかと思っているのです。
・・・ そうですね。それは わかります。
>で、子供の人生は子供のものだと思って、最終的な、選択と判断を奪わなければ、いいんじゃないのではないか?と・・
・・・ これも わかります。
>ただ、提示の仕方やタイミングは、きっと大切なんでしょうけど・・・ 実際、親も「言い過ぎたかな?」「もっと厳しく言っとけばよかったかな」「ほっとけばよかったかな」とか、失敗か成功かも、わからない、ことを、繰り返してるわけで・・
・・・子供に向かう「なぜ」も、実は、親にも向けられているっていうことですね。
>親の価値観に「共感」して子供が行動したときが、一番、サポートと、子供のモチベーションが一体になるんだと思います。 逆に、子供の価値観に親が「共感」してもいいわけだし。
・・・はあ-。 親⇔子 であって、 親→子 ではない ってことですね。 こう処理すればパラドックスから抜け出せる? 親⇔子 なら 確かにね-。
>しかし、自分のことを思い出せば、子供の頃は、小、中、高と親の価値観と逆に行く力も結構強いですよね。とくに、表面的?価値観に関しては・・
うーん、あまり、うまくかけません・・・が、今は、こんなとこです。
・・・え! ここにきて、 う~ん、ですか!?・・・ (Q Q)
適性さんが う~ん なら もうちょっと彷徨う価値がある ということ、かな。
■ 企業人さん 再び -m(- -)m-
続きを是非是非宜しくお願い申し上げます。
幼いころから基本的な価値観を身につけさせる。
それさえ身につけたら、将来どういう進路に進むかは、子供に判断させる。
子供が自分で考え選ぶということが大切ですね。
自分で選んだものだから他人のせいにはできない。
自分が責任を負うわけです。




































