在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
親がすべきことは、自分の力で生きるための土台をしっかり作ること。
↓
私はこれは、やっていない。
私(親)が「すべき事」ではないと思うから。
うちの(子)が「すべき事」。
それを、「親がすべきことは、自分の力で生きるための土台をしっかり作ること。」と、親の方に力が入り過ぎるから、子供の思考、志向、嗜好に親が介入し、結果的に親が子供をスポイルしてしまうような状況が生まれるんじゃないかな?
自分の力で生きるための土台ぐらい、自分で作らなくてどうする?って感じです。
ただ、この私の強烈な意見は、どんな職業でもエエんです。
衣食住を自分でまかなえたらそれで良い。
人間が当然のように超えいかなければいけないハードル。の事です。
私は親業というものは、肩の力の抜けたゆる~いものでエエんちゃうか?って思ってます。
>スポーツもさせる。(これは、関係ないと思う)
うん、関係ないと私も思う。
一部入社試験とかで体育会出身者を評価するところもあるにはあるけど、
それは兵隊要員として。
マネージャー候補生としてなら、体育会にいました、それだけじゃ評価はされないよ。
キャプテンをやって、しかもそこそこ勝って、初めてプラスになる。
チームをまとめてきた人望とか指導力とか戦略立案力とかもろもろ、
そういったものが評価されるんだよ。
仕事でも何でも、ひとりぼっちではできないコトのほうが、世の中多いからね。
視点さんって、ちょっと世間知らずなところが、相変わらずお茶目!
>学校にとっては生徒の素行や価値観なんてどうでもいいことですね。
じゃなくって、価値観に関しては、10歳超えたらかなりの確率で遅いの。
細かいことは調べればでてくるよ。
時間がないから書かないけど、適切な時期を逃しちゃってるの。
文句があるなら、小学校へどうぞ!!!
ちょっとわかりやすい例すぎるのですが、
大リーガーイチロー選手
彼は、愛犬と奥さんと公園でなごむこと
が好きみたいなんですが、
これは息抜きみたいなものですよね。
なにより野球が大好き
努力家
仕事≒熱中できるもの ですよね。
開発者、研究者、その他の方々だって
雑用は、大変だけど
本業の仕事が好きで熱中しているのではないでしょうか?
地域、時代さんが
書かれていますが、
親は、ゆるい気持ちでの見守り
子供を信じる目を感じます。
なかなか悟れない私ですけど。
企業人さんは何千人もの優秀者(恐らく,東大京大クラスと各院)から面接で選び抜いた若者を採用したわけですよね。当然彼らはみな優れ者中の優れもの,日本ではスーパーエリートなわけですよね。しかし,彼らは国際的にみると全く評価できる代物ではないと。そういう状況を踏まえてなんですが,国際的な人材を育てるには,国内教育するよりも海外教育をさせるのが自然化と思うのですがいかがでしょうか。高2で高3全国模試1桁くらいの最低限の基礎学力を身につけたら海外の大学に出る,あるいは中学から海外に出て国際スタンダードを学ぶのがいいように思えますが,いかがでしょうか。アプリする場合のハードルは当然楽に越えられる場合の話ですが。そうルートにのって国際標準の力をつけた日本人か優秀な外国人だけが中枢で働くことになる。他は実質有意さなくその他大勢となる。現実このようになるのでしょうね。自分がどこに含まれるかは自己責任。もはや。中高大どうしましょうって言ってる場合じゃないってい7うことですね。
囲碁の話がありましたので、新聞では囲碁欄に目を通す下手の横好きの私も、
世界囲碁戦でかなり昔迄は強かった日本が、もはや中国、韓国の後塵を拝するようになったのはなぜか?
10年位前でしょうか、当時の日本のタイトル保持者のコメントがうっすらと頭に残っています。
彼らは、日本人棋士が踏み込まないような手(多分、先の見通せない難解な強手)を打ってくる。
つまり、序盤の定石的な予定調和のような手ではなく、どんどん踏み込んでくる。
そのような日本棋士との感覚の違いがあるようなコメントだったと記憶しています。
企業さんが言われるように、実際、中国やインド等の新興国の優秀な若者が社会で活躍の場を得る機会が増えて来たと実感しています。今の仕事でも、多国籍な組織の中で、優秀な若手インド人や中国人が、目標に向かってのストレートなアプローチを取り、結果、集団の中で存在をアピールし評価を得ています。結局、このようなグローバル集団の中で必要なのは、個の力を発揮して信用を得ることなのです。それは、専門技術をコアにして、コミュニケーション能力、実行力、先見力、問題解決能力だとか様々な能力を発揮して、この仕事はその人に任せれば大丈夫だという評価を得ることです。会社員もまぁ年棒は大分違いますが野球選手のね契約に近づいてきたと感じています。先ずは仕事でポジションを得ることが認められるか。プロジェクトが動き出し問題があれば(責任を取って)軌道修正のために人の入れ替えは結構あるし、仕事遂行中の評価は次のプロジェクトで信任されるかの判断に使われます。これは顧客側の組織でも同様です。否もっと厳しいですね。グローバル化への対応は、向かないとか馴染まないとかいう問題ではなく、生き残りをかけてやっていかなければならないし、海外の前線では、既にそうしているのです。
私の子供の教育の目標は、そんな仕事のフィードバックもあり、グローバル社会で個がプロフェッショナルとしての信用を得て活躍するには何が必要かということをイメージしています。私立だろうが公立だろうが、学校で学ぶことは学校で学べばいいし、家庭で力を入れたいところは、子供が興味を持って継続するように、親は取り掛かりの方向付けを与えてきました。娘ということもあり本人が楽しく興味を持つことが必須条件です。うまく壷にはまれば、後は子供の力だけでどんどん前に進みました。我が家では、小中は読書による国語力。中高では英語の段階を経た多読や(同世代ではかなり読んでいると思います)英会話視聴によって国英の力をつけ、理数系科目は学校の勉強主体で、SやKの全国模試で上位0.01%のレベルをキープしています。でも、それは子供の進路決定とは関係は有りません。何に打ち込んで興味を持って仕事として打ち込めるか、本人その対象を思考中です。進路は子供の自由ですが、それを判断するような情報の獲得あるいは提供は学校も支援していますが、実際子供がどんな情報を知りたがっているのか(本人も良く分かっていない)を、子供の話を耳を済ませて聞いて汲み取り、的を得たサポートするのが、親の役目だと考えています。
外国への留学は、私は、おおいにアリ、と思います。
子供の高校の友人の中で、非常に意欲の高い何人かは、AFSなどを使って、高校時代に留学しています。某国のほうがよくなって、日本の高校を退学して、現地で卒業、大学に進んだ人も複数います。
しかし、私見では、一流大学の大学院にアプライするのが、いちばん効果があるように思えます。アメリカの大学院、修士課程では、日本と異なり、非常にタフなスクーリングがあります。合格しないと、博士課程に進めない(厳密ではありませんが)。ここで同じ釜の飯を食う人脈は、あなどれないものがあります。
で、日本の大学、どうなるんでしょうね。ユダヤ人は、ありとあらゆるアカデミアで活躍し、テルアビブ大学(これはこれでたいした大学ですが)が求心力にならなくても、縦横無尽のネットワークでやっていける、日本人は、こういうふうにはならないだろうなと。
外国人の採用を積極に行い(短期雇用含む)、TOEICで尻を叩き、少しずつ、成果が出てきているか、とは感じでいます。まだ、貝になる奴は多いけれど、いきなり国際会議の論文委員会に放り込んだり、標準化の修羅場に送り出したりして、1年目から立派な活動をする人が出てきました。両方とも、まる3日、とか、1週間、とか、缶詰状態で会議をやります。
従来の常識では、議論に加われるのは2年目からかな、という感じだったのですが、そう悠長なことも言っていられません。
こういう中から、何人か、グローバルに戦える人が育ってほしいと思っているのですが、まあ、20人に一人くらいかと思っています。
グローバルなプロジェクトで、いろいろな国籍の人とチームを組んだら、離陸さまのおっしゃるようにならざるを得ません。しかし、東大にひっかかるくらいの日本人の全員にそれを求めてもたぶん無理、という気もします。中国やインドとの人口比を考えると、もう少し、日本的なチーム戦があるのではないか、と考え続けているのですが、うまくいく自信ありません(10年ほど前、一度うまくいったのですが、その後、中国にやられたりしました)。
余談ですが、灘⇒東大理IIIのかたの投稿を読んで気づいたのですが、工学、ことに私の分野は、どんどん人気が低落して、相対的に、医学や法学やバイオをやる人よりもレベルが落ちているのだろう、と思った次第です。
自分が聞かれたわけじゃないけど。
>高2で高3全国模試1桁くらいの最低限の基礎学力を身につけたら
>海外の大学に出る,あるいは中学から海外に出て国際スタンダードを
>学ぶのがいいように思えますが,いかがでしょうか。
もしも日本に必ず帰ってきてほしいなら、
大学院からにしたほうが戻ってきてくれる可能性は高そう。
日本に帰ってこなくてもいいと思えるのなら、
それはそれでありでしょうね。
でも全国模試一桁とかでなくても、これという分野さえ作れれば、
十分やっていけると思いますが。
そうそう、海外名門大学への準備と東大へ行く準備は、
重なるところもあるけど、違うところが多々なので、
全国模試一桁といっても、ハーバードや準じる大学の学部に入るのは、
成績がかなりいいというだけならば、高確率で無理な予感。




































