在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
サンデル教授の白熱教室も原発をテーマにしていて
観ました。
原発派も反原発派も議論を避けることなく
続けるべきだとおっしゃっていました。
どちらでも、その意見に一理あるなら
異論を唱えていても
ある部分で良い部分を考慮し取り入れて
よりよい道に歩める可能性があると思います。
ただ、議論の中で相手を冷笑したり
相手を尊重できない時点で
自分自身の正当性も失ってしまいます。
例えば
戦争賛成 反対か
私は、戦争反対です。
けれど正義の名において堂々と戦争している国だって
あるわけです。
戦争している国は、理解できないけれど
そうだからといって
その国は、馬鹿だといいきることはできないでしょう。
5月3日、灘校文化祭へ
内田樹氏の講演会を聴きに行って参りました。
講演のテーマは「次世代に望むこと」。
その結論を端的に言えば、
「目に見えないが重要なことへのセンサーを敏感にせよ」とのこと。
動機さんや遺伝さんが書かれている「結局は“勘”」というご意見と
まさに符合するお話です。
内田氏はこう語ります。
現代人は歴史書から、起こった出来事ばかりを読み取りがちだが、
実は「起こりそうだった災いを未然に防いできた」人がいたからこそ
今日まで生き延びてきたのではないか。
この「危険を察知する能力」を、昔はもっと重要視してきたのではないか。
たとえば、弁慶の武勲は数多く存在するが、
「戦いを未然に防いだ物語」である「安宅」「勧進帳」が
長く大切に語り継がれてきたことに注目したい。
また、日露戦争で日本を勝利に導いた東郷平八郎は
「運が良い男」だという理由で連合艦隊司令官に抜擢されたことも
見逃せないエピソードである。
この「運」や「察知力」は偶然ではなく、
日ごろからセンサーを敏感に研ぎ澄ませることで身につくもの。
しかし、現代の日本ではそのセンサーが、
合理主義が勝ちすぎてどんどん鈍くなっている、
と内田氏は指摘します。
センサーを磨くには、
子どものころから自然の中でボーッとする時間を持ち、
自然と一体化する経験を積んでおくべき。
また、英国のエリート校でラグビーやボートが励行されるのは
他者との無意識下での感覚の共有につながるからであり、
それが「己のなすべきことを察知するリーダーシップ」を養っている
とのお話でした。
いや、私の拙い要約よりも、内田樹氏のHPをご覧いただいたほうがいいですね。
http://のあとに
blog.tatsuru.com/をつけてください。
浜岡原発に対する意見もなかなか興味深いものがあります。
視点さん
お久しぶりです
いつぞやは点呼、ご苦労様でした
ところで、
>浜岡原発停止は菅さん唯一のグッジョブだね。
そうですか?
バッジョブでしょ?
管さんは「原発の安全が確保されるまで」と条件を付けて停止の「要請」をしたのですよ。
この点はス管ドプレーさんも指摘されてましたが、
これは、原発を「基本的に容認」する内容であって、判断を企業に「まかせた」ものです。
わたしはこの会見を聞いたときに、
ああ、これで、代価エネルギーへの人的、予算的シフトは起こりにくくなり、
海外の評価も落ちるだろうな、と感じました。
「安全が確保されるまで」の安全を誰が保証するのか?
上手いこと免責をつけるのはやめてほいしい。
自然 を相手に ひとが 保障する ことなどできるわけがないので、
どこかで線引きされて、2~3年で復活するのが関の山ではありませんかねぇ。
議論をすることで安全の完全保証を得られるのであれば、そのための議論の価値は大いにありますが、
そうでないなら、代価案の議論とその早期実行の上で原発廃止宣言をすることが、グッジョブだと思います。
>菅さんは「原発の安全が確保されるまで」と条件を付けて停止の「要請」をしたのですよ。
原発を廃炉にって言えば、中部電力は受け入れないでしょう?
とにかく「浜岡原発を止める」ためには、条件付きはやむを得ないでしょう。
今後脱原発にするのか、あらゆる事象を想定して原発の安全性を確実なものにする方向になるのかは知りませんが、後者になるなら、「確実な安全性」については、専門家がしっかり詰めてもらわないといけませんね。
それに、各電力会社は、自社が負える範囲でリスクを負ってもらわないと。
穴だらけのリスク管理で負いきれないリスクを負って、それが顕在化した時に、国民に負担を押し付けるのは問題外です。
シルバースプーンさん お久しぶりです。
内田樹先生講演会ですか・・それなら
雑誌『ダ・ヴィンチ』新連載「価値観再生道場 これなんぼや?」
内田樹 × 名越康文 + 橋口いくよ
今回は「原発と鎮魂」です。
も是非。
内容は、原発推進派と原発反対派が共同して、今回の結果を招いた原因を作っているということ。
どっちが悪いのではなく。などなど・・
■センサーについて
講演の「センサー(感度)」の話は、以前から、比喩として、内田先生使いますね。
内田先生の言葉で・・確か・・
人は「イヤな仕事、嫌いな人間、不快な空間」を「我慢する」ために、みずから「感度」を下げるのである。
というのがあって・・
これは体験的に凄く納得できることで、「他を見ない、自分を消す」という方法をとります。
これは防衛本能的ものなので、しょうがないことですし。
鈍感力ではないですが、必要ともいえるでしょう。
でも、驚きや、感動や、幸せは、感度の高い状態じゃないと難しい。
だから一度は、「好きな事、好きな人、快適な空間」で 感度を一度上げて欲しいのです。
教育にも、望む部分ですね。
つまり、学校でも、常に、物理的な時間や制約の強すぎたり、選択肢が少ないのは、「感度」を下げる。
まあ、バランスなので「型にはめる部分」の効果も知った上なんですけどね。
■ついでに、原発と理系 について・・思うとこを。
「ス管ドプレー」さん
私は、文系ですが・・
理系ね・・感情ではなく、
判断において、現時点を収集可能な「データ」から、科学的に、適切な、判断をするということでしょうかね。私も、非常に大切だと思いますよ。
しかし・・
「通りすがり」さんの
>ス管ドプレーさんとのやり取り拝見する限りでは、あなたは理系の思考回路
>をお持ちでないようですし、
>企業人を自称されていますが、経営レベルのリスクも理解しておられないようですね。
>残念です。
「ス管ドプレー」さんの
>通りすがりの企業人さんは、自称理系だそうですが、
>どういう理系なんだかとおもいます
>理系です、と自己表明されたので、最初に結論ありきの話をしない方だと思いました。
>私の今現在の判断は書いた通りですが、暫定的判断でしかありません。
>もちろん人間の決断には論理 感情 直感があってどれも重要ですが、
>論理的判断は相互批評が可能なので質問したまでです。
理系、理系・・(あなたが思う)理系の人間だと、「正しい」判断ができるということでしょうかね?
数値化しないと、比較、判断できないハズですよね。
しかし、経済性と、安全性をどう数値化して比較するのですか?基本的にできないですよね。
結局、判断する人が、何に「重きを置いて」判断するかということですよ。
原子力発電所に、重大にダメージのある地震が、今後100年起きない可能性もありますよね。
そうであるなら、防波堤も、何もかも、意味がない話です。お金がかかるだけです。
「わからないこと」も含めてを判断するということでしょ。
政治的判断と、数値的判断は、一緒にならんでしょ。
科学的問題で「わからないこと」をできるだけ少なくするのが、理系の力だとは、思うけどね。
ス管ドプレーさん の
>最初に結論ありき、のこのスレの特徴がよく表現されたレス、ありがとうございました。
誰でも、それなりの意見を出せば、それなりの「その人の結論」になるだけで、このスレの特徴なんでしょうかね?原発反対なら、結論ありきなんですか?
>黙れ、なんて一言も言ってないのに「黙れ」と言われたと錯覚する。似たような有名人がいますね。
これは、「黙れ」なんて一言も言ってないのは、本当だけど。
通りすがりの企業人さんを「自称理系だそうですが・・・どういう理系なんだかとおもいます」と揶揄してる時点で、「聞くに値しない」意見と言ってるのだから・・『黙れ』に相当しますよ。
それぐらい、わからんのですか?
皆さん、そう感じてるようだから、私だけの、錯覚でもないでしょ。
まあ、そんなつもりはないと、言ってもいいのですけど。
「本当、なんも、わかってねーなー」という気持ちは、(これも一言も書いてないですが)伝わってきますよ。
私は、通りすがりさん、ス管ドプレーさんの、「内容」「意見」については問題にしてません。
「その分野」で、自分の方が、知的リソースがあるなら、それを、足りない人に、与えればいいだけなのに。なぜ「お前は、ダメだ、理系じゃない」から話を始めるのかな?
知識がない人がリスクを100してるが、本当は1なのであれば、「1だよ」と言えばいい。
別に、ディベートしてるわけではないのだから。
議論の定義
適性さんのディベートしているという訳ではないということで
考えてみました。
単なる議論では、通常、主題の特定は必要ないし、それが公的なものである必要もない。また、意見の対立が前提されない議論も、議論と呼びうる。以上のことから、ディベートは、ディスカッションの一種であり、議論の一種でもあるともいえる。
こうゆうことですよね。
>とにかく「浜岡原発を止める」ためには、条件付きはやむを得ないでしょう。
政治的駆け引きっていうやつですね。
でも、内外世論は、そういうものではない解決法を望んでると思うのですが。
気のせいですかね。
視点さん、落書きにお付き合い下さりありがとう。
ところで、
根本的さんは?
>この「運」や「察知力」は偶然ではなく、
>日ごろからセンサーを敏感に研ぎ澄ませることで身につくもの。
>しかし、現代の日本ではそのセンサーが、
>合理主義が勝ちすぎてどんどん鈍くなっている、
>と内田氏は指摘します。
>センサーを磨くには、
>子どものころから自然の中でボーッとする時間を持ち、
>自然と一体化する経験を積んでおくべき。
自然の中でボーッとする時間を持つことの大切さは、動機さんが言っていることだよね。
対極にある集団にあえてその必要性を説いたのかな。
>また、英国のエリート校でラグビーやボートが励行されるのは
>他者との無意識下での感覚の共有につながるからであり、
>それが「己のなすべきことを察知するリーダーシップ」を養っている
>とのお話でした。
リーダーシップの話をするなら、医者を目指す集団じゃなくて、官僚や起業家や企業での活躍を目指す集団にした方がいいね。




































