女子美の中高大連携授業
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
英語の議論ですが、わたしは専門ではないので、
http://foreignlanguages.blog29[削除しました].com/blog-category-8.html
などをたまに見て参考にしています。
削除分: 9[削除しました]
「真の英語力」と言われるのも、結局、「英語を使って自分のやりたいこと・必要なことができる」という英語力だと思います。それは人によって違うわけで、タクシー運転手の英語力、ホテルフロント係の英語、理系の研究者の英語、外交官の英語、同時通訳の英語・・一つとして同じ英語力ではないわけです。
逆に言えば、「自分に必要のないものは捨てる」ということも必要です。タクシー運転手が英語で論文を読める力をつける必要はないのです。理系の研究者は映画が字幕なしでわかるようになる必要はありません。
つまり、修行の目的とするほどの「高い文化価値」はそこにはないということです。
もちろん、そういう高度な言語能力があってのみ理解できる文学作品などを研究するとしたら、また話は別です。そういう「英文学道」はあり得るのです。「英語学道」もあるでしょう。しかしそれは「英語道」とは違います。
言語は手段です。「道」の対象にはなりません。
ですから、むしろ、「努力を惜しめ!」なのです。
________________________________
量的様
ご紹介して下さったHP,私も同意する部分が多いです。
私が強く同意した部分を抜粋してみました。
地域、時代さん、
英語への取り組みのセンス、というか、向き合い方ですよね。
わたしが「銅メダル英語」光文社新書を、以前広く薦めた理由も同じなのですが、知的世界で活躍擦るための素養を具体的に考えたときに、
英語は確かに重要なところがありますが、 「基礎単語6000単語暗記すれば、大学入試なんてなんてこと無いさ。それで結果オーライ」 は最悪の発想としても、ピンからキリまで様々な、戦略の可能性が、”未開の荒野”を前にした中高生と親子の前には広がっている訳ですよね。それをどう、意識して取り組めるか、ですね。
<地域、時代さんの引用部分 >
「真の英語力」と言われるのも、結局、「英語を使って自分のやりたいこと・必要なことができる」という英語力だと思います。それは人によって違うわけで、タクシー運転手の英語力、ホテルフロント係の英語、理系の研究者の英語、外交官の英語、同時通訳の英語・・一つとして同じ英語力ではないわけです。 逆に言えば、「自分に必要のないものは捨てる」ということも必要です。タクシー運転手が英語で論文を読める力をつける必要はないのです。理系の研究者は映画が字幕なしでわかるようになる必要はありません。 つまり、修行の目的とするほどの「高い文化価値」はそこにはないということです。
もちろん、そういう高度な言語能力があってのみ理解できる文学作品などを研究するとしたら、また話は別です。そういう「英文学道」はあり得るのです。「英語学道」もあるでしょう。しかしそれは「英語道」とは違います。
言語は手段です。「道」の対象にはなりません。 ですから、むしろ、「努力を惜しめ!」なのです。
量的様
そうですね。
ですので、量的様の一人一人に適した、、丁寧に子供達の学びを考えよう、というお題は、他の方達からのお話もたくさん出てきて、すごく学ぶ事が多いです。
今の所みなさんが重要だな、、と感じてらっしゃるのは「動機が大事」って事ですよね。
私の英語に対する興味は、、動機が、ちと’刺激的’でしたか?(笑)
まったり書かせていただきます。
動機を本人に見いださせる(=与えるのではなく)、というのは、小学生、中学生、高校生で、具体的に違うと思っていますし、絶対にそこが大事。でも、そこに気づかない教育指南も数多いと思っています。。ひとことで言えば雑なアドバイスというモノ(*)。
わたし自信手探りですが、トライアルとして、英語に関わる下ごしらえの準備を少しずつさせた上で、Europeの街歩きをした話をずいぶん前に書いたと思いますが、(→古すぎてどこに書いたか、忘れてしまいました。)これも実は英語絡みの一部です。それから、日本人がほとんどいない英国のサマースクールにいかせましたが、「街歩き」よりは小学生には一般的なやり方ではなかったかもしれません。金も掛かりますし。でも、子供の場合で言えば、5手ひと組くらいの対策の一部でした。
子供を、今、観察すると、英語は得意なモノのその中で得意・不得意が、様々あります。
(長文読解とリスニングは得意なようです。)これを、親が手を掛けすぎずに、あくまでも、自分のコントロール下で、どのように改善していくようにできるのか、見ています。。
こどもの受容性を注意深くコーチできるひとがいれば、多くのこどもにとり、国語とか、英語とか、は言語能力ですので、やればやるだけ伸びると思っています。
そうそう、わたしが久しぶりに聴きに行った先日の予備校の講演会では、この部分を実にうまく表現していました。「東大入試で問われている国語能力とは、多様な視座から物事を見る見方ができ、言語で表現できるかである。つまり、論理的な思考をして、かつレトリックをうまく使いこなせるか、」だと。「だから、傍線部の答えがどこにあるか、探すレベルの問題ばかりではない」と。これを補えるのは、普段の言語環境だ。・・・これほどクリアなことが言えるのが、予備校の先生だというところが、実に、日本の教育の皮肉で面白いところ。
英語を中途半端にやると、国語能力が落ちることがある、という筋も「王手飛車」の筋と同様で、「英語」を伸ばすときに警戒が注意が必要です。英語を伸ばして、国語で討ち取られては良くありません。言語能力とは、その言語で考えるということなので、とくに重要な時期で、言語環境がぐしゃぐしゃになると、ひどいことになる。帰国子女で兄弟が家族でいかれた場合に、どちらかの子供に特有の悪影響がある、というのが賢者の言葉と聞きていますが、そういうことも関わりがあることでしょう。
(*)
因みに、「本たくさん読めばいいんだよ」というのは、「必要条件」と「十分条件」を判っていない人の言い草であることが多く、本は読んでいるという上で、どう”自分で”頭の中の言語世界を作り上げられるのか、が多くの場合にメインのポイントです。




































