在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
>どんな正当な反対があっても、ユダヤ人虐殺は中止されなかったのと同じ。
そう意味で書いたんじゃない
教師の暴力で自殺した
調査したら、在校生や保護者の意識は信じられないほど学校擁護ばかり
他にも,様々な問題が浮かび上がる
このような状況だとわかれば
いくら教育委員を辞めさせても
状況は同じだと言う事
私が時間軸を書いて
教育委員が何をした?と地域・時代さんに書いたのは
橋下さんが生徒への説明をすっ飛ばしてメディアを通じて生徒に訴えた事を
地域・時代さんが批判していたからだよ
>調査したら、在校生や保護者の意識は信じられないほど学校擁護ばかり
>他にも,様々な問題が浮かび上がる
>このような状況だとわかれば
>いくら教育委員を辞めさせても
>状況は同じだと言う事
具体的なデータだしなよ。
データも出さずに人を批判するものじゃない。
市長のこんな大ざっぱな議論のおかげで、学生が袋叩きにあっている。
その人がたとえ刑務所に入っても、世話になった人への感謝を忘れない。
まともな人間とはそういうもの。
「道徳と欲望と自由と責任」
2つの道がある。
右に行くと「興味をそそるものがある。でも、そちらに行くと他人に迷惑をかけることがわかっている。」
左に行くと「他人に迷惑をかけることはないが、興味をそそるものはない。」
面白いものを見たいという「自己の欲望(右の道)」を取るか、他人に迷惑をかけてはいけないという「道徳(左の道)」を取るか?
ある人間は、どちらの道を選択すべきか、迷っている。
その人間が、論理的に物事を考えることができる人間ならば、社会生活を円滑に進めるためにはやはり「道徳(左の道)」を選ぶべきだと結論づけると思われる。
この人間は、論理(理屈)としては、確かに「道徳(左の道)」を選ぶべきだと理解した。
でも、世の中には、理屈ではわかっていても、それを実行できない人がいる。
まだ心が幼く、強い「自己の欲望」を「道徳」心で抑えるきることができないのである。
なんとかして、「自己の欲望」を満たしたい、とそう考える。
そして、「自己の欲望」を優先できる(屁)理屈を模索した。
そして、思いつく。
人間には自由権があるではないか、と。
「自己の欲望(右の道)」に行くのも、「道徳(左の道)」を行くのも自由ではないか。
だったら、自由権を行使し、「自己の欲望(右の道)」に行こうではないか、とその人間は決めた。
確かに、人間には自分の道を自由に選択できる権利がある。
でも、その自由には、常に責任がつきまとう、ことをよく理解していないのだ。
社会生活で自由を遂行する際には、その行為に落ち度があり、その結果、他人に不利益を与えれば、責任を取らなければいけない。
これが自由と責任というものである。
今回、この人間が「自己の欲望(右の道)」を選んだがゆえに負う責任とは、一体どういうものなのか?
大きな責任を取らされるか、小さな責任ですむのか、それはわからない。
我々のすべきことは、その人間にしっかりと、「道徳と欲望と自由と責任」を教えてあげることである。
そして、その人間が、選択と失敗を繰り返しながら、いつか我々のいう事を理解してくれると信じることである。
我々は、ずーっと、その日が来るのを待っている。
そして、今回の「ある人間」とは、、、、
数年前のうちの子供です。
誰かさんに似てるなんて言わないでね。
>暴力指導を受けた生徒たちが、相手の体罰教師に、ってこと?
その教師だって、体罰をしたことは悪いけど、他にいろんないい面もあるんじゃないの。
人にはいろいろな面があるからね。
世の中、過ちが1つあるとその人を極悪非道な人にしないと気が済まない人がたくさんいるようだけど。




































