在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
>自殺の原因には、さまざまの要因が絡んでいる
>あなたの言う「真実」とは、
>その要因のすべてを知りたいという意味ですか?
おっしゃるように、自殺の原因には様々の要因が絡み合っているのでしょう。そのひとつには家庭内の問題ということもあるのではないかと思っていました。わたしも子を持つ親ですので、身につまされる部分もあります。学校や社会構造の問題はもちろん大きいのでしょうが、それだけで説明されてしまうと、なにか落ち着かない気がしていました。文春の記事がすべて正しいとは思いませんが、ありうる話だと思いました。
一般の自殺事件であれば、遺族の心情を考慮しその原因を詮索すべきではないですが、
本件の事件では、公立高校教師の体罰が自殺の原因になったのか否か・・極めて重要な論点だと思うのですね。公立高校が加害者であるという点で公益性は高い・・だから報道される・・これが一般の自殺事件とは異なるところです。
プライバシーを最大限に保護すべきですが、公立高校の責任との関連から、自殺の原因をうやむやにすることはおかしいですよ。
誤解が無いようにですが、
公立高校教師に、自殺の原因がある・・
そう断定してるわけではありません。
責任が有るか、無いか・・
それは調査結果次第であって、どちらか分からないけれども、その公益性を鑑み、あいまいにする訳にはいかない・・
そのように、申しております。
いろいろな見方があるはずで、報道の自由は認められなければならない。
週間文春の記事が、正しいか、間違っているかは分からないですが、「あれは間違っている」と根拠無く否定するのは、ちょっとどうなのか・・と疑問を感じます。
まず始めに一番重要な事
「責任」と「原因」・・・
顧問教師は「暴行」事件をおこした事実から懲戒免職処分される
顧問による暴行は自殺の「原因」の一部だが、
顧問は自殺の「責任」は、問われていない
それから、
橋下さんは、顧問の暴行を「見過ごした」管理側の「責任」との認識から
この件に切り込んでいる
つまり、今回のキーワードは
「顧問の暴行」と、「管理者の責任」である
誰も、「自殺の責任」を問題にしてはいない
自殺の「責任」は「本人」にある
自分が自分を殺したんだから
でも、殺人者に情状酌量があるように、死んだ少年にだって自分を殺した原因はある
今回は、顧問の度重なる暴行が自殺の引き金を引いたのは明らか
それだけで十分情状酌量だ
それ以外の原因なんて、本人が死んだのだからすべて推測でしかない
さて、あら?さんや無常感さんの関心対象となった事だが
私の知っている限り、スポーツ推薦において顧問が一定の力を持っているのは事実
でもそれは、どこの学校でも存在するものだ
スポーツ系のクラブに所属するものは、必ず一度は考える事
「推薦をもらって大学にいけないかな?」
私の知る私立進学校でも、
毎年、運動部から何人も推薦枠を使って公立大や私立大に合格している
「運動部の方が推薦枠がとりやすい」
と先輩から代々言われているらしく
進学校において運動部活動継続のモチベーションの一つになっている
桜宮でも根本的な部分は同じ
真面目に3年間やって、戦績も良ければ
推薦枠を使って大学への進学を希望している生徒は
きっと数多くいる事だろう
実際、過去の進学実績を見てもその事は明らかだ
その事実に問題があるとは思えない
では、件の学校はどこに問題があったのか?
問題の暴行教師は、公立校であるにもかかわらず18年もこの学校に勤務していたのだ
なぜそれほど長く勤務できたのか?
学校長からは何度も異動を促さそうだから、学校の意向では無い
(私立なら進学実績問題が絡むので学校の意向が考えられるが、公立なのでそれは考えられない)
理由は、以下の二点
・生徒や保護者が留まって欲しかったから
・顧問がここにとどまりたかったから
これを許してしまった事で「ひずみ」が生じてきたのだろう
「ひずみ」とは、微妙な力関係、目に見えない利益(居心地の良さ)その他諸々・・・
そしてあらゆるところに「ひずみ」が表面化していった
体罰や闇寮問題や無免許運転停学問題・・・
問題は表面化されたものだけではないはずだ
何がどう問題かは、渦中の当事者でさえ気付かないかもしれない
自殺したのはあの少年だったけど
もしかしたら、別の少年だったかもしれない
皆気付いていないだけで・・・
しかし、これは顧問を交代し、新体制になれば解決する問題だろう
今更、この部分の真相を探る事に
意味があるのだろうか?
あら?さん
少年の家庭環境に興味をお持ちのようなので
報道された記事を紹介する(既読だったら失礼)
産經新聞 2013.1.8
生徒は自殺前日、練習試合を終えて帰宅した際、いつもよりも明るい声で「ただいま」と言った。「試合には負けた」「お弁当、おいしかったよ」。何気ない親子の会話の中で、生徒は顧問の体罰をこう打ち明けた。「今日もかなり殴られた」
この日夜、いつもなら入浴する時間帯になったが、生徒は「勉強する」と机に向かった。母親が最後に生徒を確認したのは自殺当日の午前1時ごろ。床にうつぶせになり、机には参考書とともにルーズリーフがあった。
自宅から見つかった遺書や、顧問宛の手紙にはルーズリーフが使われていた。手紙は数日前に書かれており、「ほかの生徒も同じこと(ミス)をしているが、自分だけがたたかれる。つらい」という趣旨の記載があった。遺書には親に対して「育ててくれてありがとう」と書かれていた。
抽象的に書きますと、
行政機関(公立高校)の行った行為(体罰)が、行政サービスの利用者(生徒)の自殺を誘導したと推定される場合の「行政責任(公立高校)の有無」を、有権者あるいは納税者(国民、住民)として「知る権利」がある
・・このようなことなんですね。
教師個人、生徒個人、遺族個人・・の問題とは、別の問題なんです。
もし、行政責任を問わず、個人の責任で整理しちゃうと、行政による遺族への賠償だって出来ないことになります。行政責任を闇に葬ってしまうと、地方自治、民主主義が機能しなくなる・・だから、報道機関は今回の問題を報道するわけです。
自殺の理由に行政が関与しているのか、責任は有るのか・・これは極めて重要なことなんですよ。




































