女子美の中高大連携授業
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
私自身は、一人も、中学時代の友人とつきあっていませんし、つきあいたいとも思っていません。
あのころ、私は生意気だったと思いますが、何人かの教師より私のほうがまともな学力を持っていた自信もあります。
小林秀雄で0点をもらった直後、社会科の授業で公害問題がテーマになり、教師が、五日市喘息、といっている、私が、四日市喘息です、というと、風光明媚な伊勢の四日市に公害があると思うか、と、日本地図をたたいて怒鳴られ、いや、五日市は東京都だけれど山の中で、というと、問答無用で殴られました。
0点の後なので、アホらしくなって反論をやめてしまいましたが、そういう社会科の授業を受け、教育大附属にはいって、いきなり、東大史料編纂所の出版している原著を読まされる、そのギャップには目を回しました。
五日市喘息という教師と、古文書の原著にあたる教師と、両方につきあう暇が無いなら、今でも、前者とはつきあいたくありません。
そのころの国立は、確か、年間の授業料が9800円だったと思います。現在は無料になっています。私立によくある先取り学習もいっさいやられていません(都立の受験重点校にはありますよ)。それで、筑駒とか学芸とかいうと目の敵にされるのは、悲しいです。
学費の問題は大きいけれど、教育内容と経営母体(国立か公立か私立か)は関係ありません。生徒の質と求めるもの、そして、教師の質、教育方針で決まります。
>生き物を沢山捕まえて自然の不思議に浸っていた時代
動機様
動機さまはいつも、子どもに思春期が訪れる前の、
純粋に、子どもである時代=ギャングエイジ での、自然の中での探求、のお話しをされますね。
私は、その部分に、いつも強く共感するんです。
確かに、今は子ども達の周りに、豊かな自然はなく、日がな野山で遊ぶ環境からほど遠いけれど。
私は「自然で遊べるかどうか」の議論の向こうに、もっと本質的なものがあるように、
思えてならないんです。
あのギャングエイジの頃の特殊性・・・
人生の中で唯一、have to ~しなければならない のではなく
時間の感覚が無限で・・・それこそ「時を忘れて」
誰からも言われることなく純粋に自発的な好奇心で対象に向かい・・・
対象・・・例えばそれが自然であったり、密かな実験であったり、本の中の世界であったり・・・に没入し、対象と一体化し
脳細胞が触手を伸ばして、対象からあらゆるものをまなび取っていくような喜び。
「教えられて学ぶ」のとは違う、能動的な探求のプロセス。
純粋に、子どもだった時代の、純粋に自発的な動機に導かれての、探求の経験は、
一生を通した「学びと探求」に、大きな影響を与えるように思えてならないのです。
通りすがりの企業人様
こんばんは。
そうですね、そう言う理不尽な事は、社会のどこでも見かけますね。
本来は、触ってよい相手と決して触れては良くない相手の見極めが必要ですが、最近はこの様な判断が出来ない子が
多いと思います。通りすがりの企業人様みたいにこれは危ないからと止めておけば良いのですが、止められずに行く
ところまで行ってしまう人が多いと思います。
自分がすべて正しいと思っている人が、少しでも減る様な教育が目指せれば理想だと思いますが、少なくとも現在の
上と言われている教育母体は、なかなかそのジレンマから抜け出す方法が見つかっていないと思います。
ですので、その様な理不尽にあった時に自分が学習する事で、自分の殻を打ち破ると言う事を一人一人がやっていく
事で変わって行くのではないかと思います。
本当に千差万別なんて言葉があるくらいですら、急な方向転換は悪影響しか及ぼさないかも知れませんね。
スプリングさん
動機さんは、スプリングさんがお書きになっているような「学びと探究」が
中学受験することで失われると主張されています。
私は、「学びと探究」を深めていけるかどうかは、
受験や学校の種類でわかりやすく区分けできるものではなく
個人的なものが大きいと思っています。
前のレスに書きましたが、受験したことや通った学校が価値あるものだったかは
その人自身にしかわからないことです。
それを他人が良い、悪いと言い切ることなどできないのでは?
私には、動機さんの主張は普遍的なものでなく、
ご自分の経験からの限定された見方に感じてしまいます。
>公立名門などは復活しても数がしれているし、厳しい高校入試、内申審査もある、 自転車通学圏内にせめて1校公立一貫が出来れば、中学時代は高校受験を意識せず伸び伸び できるmeritもある。
公立一貫さんお久しぶりです。公立伝統校の復権は重要ですよ。多くの方が書かれているように公立一貫は倍率が高く落ちるほうが遥かに多い。
落ちた後にどうするか?
地元のトップ校から好きな道に進める(東大、京大、国立医)ようになっていれば普通に公立中から公立高校の道を選べます。
つまり公立一貫駄目なら公立中から地域トップ校を目指すというルートが開かれます。私立併願する必要など無い。小学校6年一年間ぐらいの受験勉強で済ませられます。
愛知や大阪に見られるように公立高校からの進路が確保されていれば何も中学受験する必要はありません。それが駄目な神奈川や兵庫が受験熱が盛んなのではありませんか?
埼玉でも浦和高校を筆頭に公立中からの頑張りで十分いわゆる一流大学には入れます。高校入試の勉強のみで中学受験は必要ない。
少子化の原因は都会における教育費の高騰も大きな原因と考えています。3人目を躊躇するのは・・・・・もし全員が私立理系大学などに進んだ時の教育費を考えてのことが大きいと思います。
ですから公立一貫が増えることとトップ校が復活して公立中から公立高校への進学が当たり前になることはなんら矛盾することではありません。
両者の充実が教育費の低減ひいては少子化の阻止につながると考えます。
この話題はうん年前にやったと思いますので・・・・・・・繰り返すほどの物ではありませんが猪瀬知事が石原都政を引き継いでいるので東京の方針は守られるでしょう。
今年はまだまだトップ校の復活は無理でも・・・・・・公立一貫不合格から都立トップ校への流れが強まれば学習意欲の高い子供が公立中に進み都立のレベルを押し上げるでしょう。
>猪瀬知事が石原都政を引き継いでいるので東京の方針は守られるでしょう。
残念ながら、世の中、都立だけではありません。
公教育で犠牲となった子が沢山います。関わり合いを断ち切る為に、お金が無くても中学受験に走ります。精神的、身体的安全を求める為です。
公立小中の改革、教師トップ(校長、副校長、教育委員会、文科省)のことなかれ主義の性格が変わらない限り・・・無理でしょう。
野山を駆け巡った郷愁? ゆとり世代はゲーム、ゲームです。貧乏でゲーム機など所持していなかった我が家の娘ですら、「ゲーム脳」の子達の攻撃の犠牲になりました。社会勉強というのは名ばかりの、犯罪予備軍との身体を張った関わり合いはうんざりです。
スレチですのでもう消えます。
公立の復権といいますが、公立自体の改革、変革案ではなく、
優秀な子がこっちに来てくれるといいなという話ですよね。具体的に公立に移動してもらうアイデアが、トップ国立大学に行けますよということ?
では、誰がその実績を出すのですか?
公立一貫を落ちる子の中には学力優秀者もいるかもしれませんが、
ちょっと受けてみようという子も多く含まれるのでは。
そういう子が東大などに進学する方法が通常の公立ルートにあるということでしょうか。




































