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【6452005】中学受験諦めます

投稿者: のりこ   (ID:uTHfPT508Ug) 投稿日時:2021年 08月 21日 07:28

小学校5年生女子です。
中学受験のために塾へ通い頑張ってきました。しかし、頑張り屋で真面目な性格なのですが、自律した学習ができず親が付きっきりだったこと、本人の行きたい学校が見つからなかったこと、小学校で真面目に一生懸命頑張ってその後の塾が疲れてしまったことなどあり、中学受験を諦める方向でいます。このところ、成績は勉強量の割には上がらず、Y50くらいでした。
5月頃から体調を崩して、塾はお休みしており、家で少ないながら勉強しています。
クラスの昇降のないアットホームな塾なのですが、それでも塾へ行くことを拒否しているので、塾へは通わせていません。本人は中学受験すると言いますが、親の気持ちを汲んでの発言だと思います。
親として誘導の仕方を間違えてしまったようは気がして、残念でなりません。これからどうやって関わればいいのかと悩みます。友達はみな受験するのに、娘は公立中学かぁとちょっと凹みます。
という、母の嘆きでした。お付き合い頂きありがとうございました。

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  1. 【6472269】 投稿者: だって  (ID:D1onkySSD66) 投稿日時:2021年 09月 06日 14:16

    >無知なくせに上から目線で語りたがる、無理しない中学受験にそっくり。

    同じ人物なんだから、そりゃそうです。

  2. 【6472316】 投稿者: 提灯と太鼓  (ID:9p0tvtl/Vo2) 投稿日時:2021年 09月 06日 15:03

    無理しない中学受験氏が発言すると、必ず提灯持ちや太鼓持ちが表れる。

    エデュ、あるある。

  3. 【6472333】 投稿者: 似た話  (ID:l87vlJmtLJM) 投稿日時:2021年 09月 06日 15:21

    > 同じ人物なんだから、そりゃそうです。

    そのようですね。一長一短が出た後に無理しない中学受験のIDが変わり、無理しない中学受験が出た後に、一長一短のIDが変わってるし。
    こんなに見え見えの一人二役、本人はバレてないと思ってるのかな。

  4. 【6472370】 投稿者: 退職した理系教授  (ID:BUZL1GWVclU) 投稿日時:2021年 09月 06日 16:07

    中学受験の弊害様、皆々様

    多くの方々からご質問をいただき、返信が遅れておりますが、できるだけ全部にお答えするつもりです。順序通りになかなか行きませんがお許しください。今回の書き込みにも多くの論点がありますので、少しずつ分割いたします。

    その1

    >出来ない子供がどんなに苦しんでいるか、どれ程絶望感に苛まれるかいつも書いています。出来ない子にとってはあれは拷問です。

    私自身の学習体験、子供を育てた経験、また学生を指導した経験、そしてそれ以外にも、年齢を重ねて多くの例に接したこと・・・などから、私は次のように考えています。

    (1)人は風船が膨らむように等方的に成長するわけではない。
    その時々に異なる方向に芽を出し、異方性を持って成長する。
    (2)少なくとも外見的には、全体的な成長速度にも時間変化がある。
    成長著しい時期とそうでない時期が見られる。

    他の国々に比べ、日本の初等教育にはこれらの点に対する配慮が著しく欠けており、人間の多様性を生かせない社会になってしまったと思います。

    「出来ない子供」と書かれましたが、それはその時々に「学校で与えられたことが出来ない」のであって、しかも「これは誰でも出来なければいけない」「誰でも知らなければいけない」という(誰かが行った)標準化に則った判断です。

    「誰でも知らなければいけない」ことを知らぬ人は、低い評価を与えられ、「誰も良く知らない」知識を有していても評価は得られず、それに基づいた意見は異端と退けられる・・・

    その結果、日本人は、個人として蓄えている知識量は膨大ですが、殆どの人々が同じ知識を共有しているため、社会全体に蓄えられている知識(個人の知識の和集合)はその範囲でしかありません。これは、集団で誤った判断を下すリスクの大きい、脆弱な社会です。

    受験算数をやらせるか否かの前に、このような評価体質の抑圧から子供たちを解放することを、まず考える必要があると思います。前回、痛ましい事件について紹介いただきましたが、子供にとって最後の砦であるべき親が、社会と一緒になって子供を抑圧する・・・恐ろしい話です。

    「お国の為に立派に死になさい」と戦地に子供を送り出すことを余儀なくされた、戦前の親たちを思い起こします。この集団主義体質が見えない形で根強く残り、今の受験社会になったような気がしてなりません。

    社会に出て力を発揮するのは、自分の方向性をもって自己を磨いた人たちです。他人に方向を決めさせるべきではありません。強いて言えば、親だけがその立場に立つことを許されますが、親の示す方向が親自身の判断でなく、知らぬ間に社会の抑圧から生じる可能性があることも、十分に警戒する必要があると思います。

    最も大切なのは、子供が自分自身で、自分が何者であるかを知り、自分の方向性を見出すこと、親としては、子供がその方向へ踏み出したときに、それを支援することではないでしょうか。その時こそが、大人への第一歩だと思いますので。

  5. 【6472514】 投稿者: お察しください。  (ID:9TB87pY8I/M) 投稿日時:2021年 09月 06日 18:50

    既に数回なりすましがバレているので、同じ轍を踏むまいと必死なのです。
    IDの一致さえ無ければ、何を言われても別人で通せますから。

    PC、スマホ、タブレットを駆使してコンビニなどのWiFiをハシゴしたり、電源オフなどあらゆる手を尽くすのがライフワークです。

    IDだけは・・・IDだけは・・・

    そして今日も新しいスレを一つ立て、自分のスレに自分で親身に相談に乗っています。

    無理しないライフワーク。

  6. 【6472539】 投稿者: 無理しない中学受験  (ID:VOCwy652Nw2) 投稿日時:2021年 09月 06日 19:17

    退職した理系教授様

    いつも掲示板には書かれることが無い新しい概念や思想があり、大変興味深く、感心して拝読させていただきました。

    「人の能力は多次元空間で表現される」というような概念は大学入学直後に寮の友人と話していました。それが、様々な方向に均等に育つわけでは無いのは、その通りでしょう。育つ時期の違い、個人差もある。そこで、過大な要求をしないように集団授業をするには、やや控えめな要求レベルをノルマとしたうえで、ノルマをこなした後に残る余力で自主的に学ぶ機運が求められると思います。

    入試問題は、様々な思惑で作られていると思います。

    ①集団授業のノルマを高めに設定するため当たり前のレベルを上げたい。
     このとき「誰でも知らなければいけない」ことや基本問題を課すと考えます。
     公立高校の共通問題や国立大学の共通試験など、(失礼ながら)凡人を対象にした入試ほど、この傾向が強いわけです。しかし、東大を筆頭に難関大学は、これで充分と考えていないので、二次試験比率を高く設定しています。東大理系で言えば、合格ラインは5-6割と低く「みんな同じことを知っている。同じことができる。」という合格者ではないと思います。

    ②自主的に学ぶ、論理的に考える人を評価したい。
     このとき、ややマニアックな知識や論理的に難しい問題を問うでしょう。
     中学受験で変な知識を問う問題や難問があり、難関大学にも難問が出ます。
     個々の問題は、見様によって「変な問題」かもしれないが、他に良い試験方法があれば変わるのでしょうね。「誰でも知らなければいけない」ことだけで測れない個性を評価するために難問が必要悪として存在していると考えます。

  7. 【6472549】 投稿者: 無理しない中学受験  (ID:VOCwy652Nw2) 投稿日時:2021年 09月 06日 19:30

    (続きです)

    >「誰でも知らなければいけない」ことだけで測れない個性を評価するために難問が必要悪として存在していると考えます。

    今の受験で、難問の存在意義を考えるなら、中学受験も大学受験も「初見で考えて解く能力」を見たかったはずなのに「膨大な出題パターンを知っている」者が勝つ試験になってしまったという現状をどう考えるかだと思います。

    私自身の経験から、数学の先取りは、膨大な出題パターンを学び体系化するための時間を作るためのものと思っています。自分で考えて前に進むなら良いのですが、今は塾で教え込む、それが教育として正しいのかという疑問はどうしてもあります。(自分の子供は塾で教え込んでもらって合格させるわけですが・・・)

  8. 【6472560】 投稿者: 無理しない中学受験  (ID:VOCwy652Nw2) 投稿日時:2021年 09月 06日 19:41

    体験的反論様

    月田先生のお話、ありがとうございます。

    京都の名門私立中高一貫校、洛星とか最低ラインは高くないけれど上位層のレベルが高くて、東京の人は羨ましいところでしょう。受験産業を批判しつつ、とりあえず自分の子供は希望の大学へ、どこの親も考えることは似ています。

    当時、灘に入るのが簡単だったことは無いと思いますが、灘の教育が他校に対して絶大なアドバンテージがあった時代だったと思います。今の受験産業を批判しつつ、自分自身が当時の受験産業の絶大な恩恵を受けて理3に入ったという自覚はあまり感じませんでした。

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