日大の学部訪問で広がる将来の選択肢
留学や行き過ぎた英語教育のメリットが良くわからない2
留学や行き過ぎた英語教育のメリットが良くわからない
のスレ続編
英語が大切だということは誰も異論はないと思うのですが、留学や行き過ぎた英語教育にどういったメリットがあるのか、さっぱりわかりません。
国語力と言っていいのかどうかわかりませんが、ロジカルに明解な文章を書く能力は必須です。文人のような流麗な文章を書く能力はいらない。
それかはプレゼンの能力。聴衆の人数、知りたいこと、制限時間などを加味して内容を吟味する力。
英語を英語のまま理解し表現することと全く矛盾しません。
英検準一級から、試験問題に全く日本語がないのをご存知てしょうか。
>英語を母国語としていない国の人でも、高度な抽象概念は英語で学んでいる人は多いですけどね。
貧しい教育環境など何らかの原因により母国語での高度な抽象概念を学ぶ機会を逸したけれど、その後、英語による学校教育を受け学ぶことのできた場合はそうなることがあるような。
それでも文字化されていないような抽象概念は母国語で育まれているのかもしれないけれどね(よく知らないけど)。
たとえばインド人のエリートは、母国語より英語の方が語彙が豊富です。
昔は、日本人が日本語で高度な学問を学べるのはメリットでしたが、今や逆に世界標準語である英語を使いこなせないというデメリットの方が大きくなっている。
日本も中学からは全科目英語授業にするべきだと思います。グローバル化の中で、英語を使えないコストはとてつもなく大きい。
英語による教育は、将来社会がどう変わっても、全員を対象にするのは無理。
理系の場合、専門隣接分野は大学からは全英語でいいかと思います。
昔々ですが、私の育った地域の自動車学校の話です。
入学のために、国語の試験がありました。漢字の読み、踏切とか、電柱とか、横断歩道、とか、高速道路とか、口頭試問で20問くらい読まされる。8割できれば入学を許されるんだけれど、推定3割くらいの入学希望者は不合格なんですよね。
英語どころの話ではない。
じゃ、インド流のエリートの線をどこに引くか。たぶん、ドイツ流の早期選抜(ギムナジウム)も、フランス流の超超エリート教育(グランゼコール)も、日本にはなじまない。
トップクラスの高校で一部やるのかな、という気はします。
しかし、自分のことで恐縮ですが、大学教養までの科目は日本語で良かったと思っています。何を専門にするか決まっていないし、私は文系寄りの理系で、宗教学とか社会学とか日本語でやってくれて良かった。英語じゃ訳わからなかったと思います。
専門については、専門の物性物理は2年後期か3年からは英語教科書を使いました。ベースとなる量子力学も。日本語講義だったけれどね。
専門を日本人と議論することが多いか外国人と議論することが多いか、で効率が決まるんだけれど、これは英語に倒してよかつたかと思います。
大学院では、コロキウムと題する外国人研究者の講演が毎週のようにあり、彼ら、研究室にやってきて、院生は研究を紹介して議論しました。
また、国際会議のプレゼンは、立ち位置、抑揚、目線、手の動きまで徹底的に指導されました。これは、良かった。
契約交渉なんかで、話がこじれてくると、ブレイクを要求し、自分の頭をあえて英語から日本語に切り替え、頭を冷やして論理を構築し直す、という流儀を取って来ました。契約交渉が抽象概念か分からないけれど、この辺が私の限界でした。






























