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【846364】地頭良く育てるには

投稿者: ミッキー   (ID:OI6JCKwZN6c) 投稿日時:2008年 02月 16日 21:03

掲示板でもよく話題になりますが、あまり勉強しなくても難関校にスルッと合格を頂けるお子様は地頭が良いと言われるようです。地頭には、遺伝と環境両方の要素があると思いますが、遺伝はどうにもならないとして、環境でなんとかするには何を気をつけるのが良いのでしょうか?うちは今度小一なのですが、ともかく色んな学習経験をさせたいと思っています。でも、それだけでは普通の気もして、話題の育脳とか右脳教育とかそういうものも必要なのか、と悩んでいます。例えばDSやゲームは脳に悪いという説もありますし、ソフトを選べばいいという説もあり、素人の私にはよくわかりません。地頭良くお育てになった皆様で何かこれが良かったというような教育法はありますでしょうか?

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  1. 【859262】 投稿者: 言語能力  (ID:11fL8pxTayo) 投稿日時:2008年 02月 27日 12:57

    乏しい経験から さんへ:
    -------------------------------------------------------
    こんにちは。
    呼びかけありがとうございます。
    理系の方を満足させられるだけの客観的根拠を挙げての説明ができるかどうか不安ですが、私のわかる範囲でよろしければ、経験を踏まえてお話させていただこうと思います。


    まず、理系(一応ここは中学受験板ですので、算数、という前提でお話させていただきますね)と比べて、
    国語の場合は「圧倒的」といえるほどの差はつかないようです。
    やはり、母国語として生まれてから10年前後、毎日使ってきたわけですから(帰国子女の方は除くとしても)最低限の得点は出来るわけです。
    算数で0点という話はよく聞きますが、国語の0点は、意図的にしない限りほとんどないでしょう。
    その中で、おそらく乏しい経験からさんがおっしゃるのは「特に時間を割いて勉強しなくても、読解問題などで正しい解答が出せる子」という意味だと思うのです。
    その前提でお話しますが、もし前提が違っているようでしたら、ご指摘くださいね。


    最初のお断りしておきますが、トレーニング・努力によらないで国語がよく出来る、という表現は誤解から生じていると思います。
    確かに、読解力、想像力は、トレーニングや努力より、長い時間をかけて培われた言語能力(私は「家庭力」といってもいいと思います)に左右されます。
    しかし、確実にトレーニングや努力が必要となる分野も国語にはあるのです。
    いわゆる、言語事項、といわれるものですね。
    漢字やことわざ慣用句、文法がそれです。これらは手作業を繰り返して覚える、という作業が、どんなに言語能力に長けた子でも必要です。
    私も漢字書き取りはしましたし、高校になってからは古典文法や単語の記憶には多少悩まされました。
    ただ、用語を覚えなくてはならない文法においても、たとえば文節、単語に分ける問題などは、理論で説明する前に、体でとしか言いようのない力で、何の苦もなく区切れる子もいるのは確かです。
    そういう子は、私は「言葉のセンスがある」といっておりますが、やはり言語能力が優れているといっていいと思います。


    抽象的な説明でわかりにくくてもうしわけないのですが、「言葉のつかみ方がうまい」とでも申しましょうか。
    私が長年指導してきて、「この子は国語が出来る」と思う子の特徴は、この「言葉のつかみ方」にあります。
    具体例を挙げてみましょう。
    朗読をさせてみると、その子の言語能力のレベルがよくわかります。
    乏しい経験からさんは、漢字とひらがな、どちらが読むのに難しいと思いますか?
    あなたなら、きっとおわかりですよね。普通考えられるのは漢字の読みですが、実はひらがなのほうが難しいのです。
    ひらがなばかりの文ほど読みにくいものはありません。どこが単語や文節の切れ目かわかりにくいのです。
    「ははははははとわらった」これが一度でさっと読める子は、少ないと思いますよ。
    私の生徒でも、朗読が上手な子は、ほとんど国語の成績がよいです。怠け者で漢字などで取りこぼしているため、現在の評価がそれほど高くなくても、必ず花開くものです。


    もうひとつは「想像力」ですね。特に小説の読解などには必要となります。
    難関校になるほど、特殊な設定(年齢や立場、環境など)であったり、大人が主人公である場合が多いです。
    そこで、自分と異なる立場の人の考え方、気持ちを想像する力が必要です。


    もちろん、入試などの問題には客観問題も多いです。
    先生方の中には「解答はすべて問題用紙にある。客観的に解けない問題はない」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
    確かに、ほとんどの学校では、その客観的な解き方で、合格点は取れるでしょう。
    そして、この客観的分析力、論理的思考も当然ながら必要です。
    ただ、それだけではだめな学校も少数ながらあるのは事実ですし、またどうしても理数が苦手だから、国語でアドバンテージを取りたい、
    点数や入試合格にこだわらず、生きていく上で言語能力を大切にしたい、ということであれば、やはり客観思考にとどまらない、主観的な引き出しを増やしていきたいと思うのです。


    では、そういう、「言葉のつかみ方がうまい子」「想像力豊かな子」(感性豊かな子と言い換えてもいいかもしれません)を育てるにはどうしたらいいか。
    私は、一にも二にも、親の責任が大きいと思います。特に、長い時間を子どもとともに過ごす母親の言葉への意識ですね。
    私たち指導者が関わるよりはるかに長い時間、子どもに言葉を聞かせるのです。私たちの出来ることには限界があるのです。
    たとえば、若い子ならいざ知らず、子どもを育てている母親ともあろうものが、平気でいわゆるら抜き言葉(方言の場合は除きます)や「ゎ」とか「ぁ」といった小文字を使っているのを見ると、そういう母親に育てられた子どもがかわいそうで、胸が痛くなります。
    そのような、言葉への感性が鈍い母親に語りかけられた子どもの言語能力は、やはり鈍いものになるでしょう。
    少なくとも、ある程度の年齢になって、自分で使うべきでない言葉が取捨選択できるようになるまで、正しい言葉遣いで語りかけるべきだと思います。
    興味深い教材がありましたので、かいつまんでお話します。
    フランスのある家庭で、客としていった男性がそこの家族の前で正しくない言葉遣い、乱暴な口調で話したそうです。
    その場に子どももいて、母親が毅然と「子どもが聞いておりますので、そういう言葉は使わないようにお願いいたします」とおっしゃった。
    客に対しての礼、という問題は別として、子育て中の母親はこれくらいの気持ちを持って欲しい、という論説文でした。


    国語が出来る子どもは語彙が豊かです。たくさんの言葉を知っていて、その場に応じて使いこなせる子は言語能力が豊かといってもいいでしょう。
    そして、その語彙はなるべく多岐の分野に及んでいたほうがいいと思います。受験に必要であるかどうかではなく。
    そのためには、小さいときから周囲の大人が豊かな言葉(正しい言葉遣いであることは言うまでもありません)で話しかけること、TVやビデオという一方的な語りかけより肉声による相互交流が大切です。
    手前味噌ですが、私は子どもを育てる上で、最初から幼児語は使いませんでした。もちろん大人と同じ用語ではありませんが「ワンワン」「ニャンニャン」「〜〜でちゅよ〜」という言い方はなるべく避けてきました。
    子どもの吸収力は大人が考えているよりずっと大きく優れているものです。
    それから、話題も子ども向きのものだけでなく、早くから時事問題、国際問題などについても、家庭内で日常として話し合ってきました。
    書物も、童話だけでなく週刊誌(女性週刊誌ではありません。「週刊新○」や「週刊○春」の類です)も子どもの目の前にあり、小学生時代から読んでいましたね。


    それから、素読と作文。素読は韻文や論語を意味がわからなくても声を出して読み、俳句の暗誦もしました。
    作文は字が書けるようになってから(3歳くらいでひらがなはすべて書けました)子どもの呟きを親が形にして口述筆記させるところからはじめました。
    小学生時代までは二人三脚で、よりよい表現を求めて親子で推敲に推敲を重ねましたね。もちろん下敷きは子どもの感想、思考であることは言うまでもありません。


    世間でもよく言われていますが、国語の試験、とくに中学入試では「大人度」が問われるようです。つまりは「年齢と比べた精神年齢が上である」ことを要求されるのです。
    その点で、やはり精神的成長が男の子より女の子の方が早いので、国語では女の子の方が成績がいいという事実も、理解できますね。
    この「大人度」を高めるためには、親が子どもを必要以上に「子ども扱い」しないことが大切だと思います。
    「まだうちの子は幼いから」と甘えた言葉遣いで語りかけたり、読む本も子ども向きの本しか与えなかったりでは、大人度は高まりません。
    特にこちらでもよく見かけますが、男児のお母様は「男の子は幼いから」の言葉のもとに、いつまでも我が子を子ども扱いする方が多いようですので、ご注意いただければと思います。
    「そんな本読ませたくないわ」とおっしゃる方も多いかもしれませんが、山田詠美さんの著書や重松清さんの性的ないじめシーンを含む著作が出題される時代なのです。


    同業者を含む方々からの反論もあることとは思います。言語能力の育て方について補足があればお願いいたします。
    ただ、私は上記の方針で自分の子どもを育ててきて、少なくとも言語能力の面では満足する結果を得ております。
    また、指導したご家庭からも評価されることも多く、それなりの結果も出しております。
    何かの参考になれば幸いです。


    > ご意見をいつも興味深く、拝見しています。少しご教示いただければ幸いです。所謂国語の教科で圧倒的に出来るお子さんの特徴は、どういうところにあるとお考えでしょうか。また、トレーニング・努力によらないで国語が良く出来るという部分を少しくわしくおしえていただけるとありがたいのですが。
    >


  2. 【859283】 投稿者: 言語能力  (ID:11fL8pxTayo) 投稿日時:2008年 02月 27日 13:10

    それこそ さんへ:
    -------------------------------------------------------
    私が長文を打ち込んでいる間に、フォローいただいたようでありがとうございます。


    おっしゃるとおり、数的なものも言語能力も「もって生まれたセンス」があるのは確かだと思います。最後の数%はそれが左右するとも思っております。
    ただ、「だからどんなに努力しても無理なのよ」と言ってしまっては身もふたもありませんし、指導者としては無責任かとも思い、後天的に出来ることを書かせていただきました。


    それから、国語で高偏差値を取ることは理数より難しいですよね。
    得点にあまりばらつきがない教科ですから。
    偏差値75が出ることは少ないようです。
    私自身も理数で78だの80だのという偏差値を出したこともありますが、
    国語では75以上はとったことがないような覚えがあります。
    生徒の偏差値でも、75以上はほとんど見たことがありませんね。
    その分、30台もめったにないようですが(笑)

  3. 【859328】 投稿者: それこそ  (ID:W05lPXIf8XE) 投稿日時:2008年 02月 27日 13:39

    言語能力様


    わざわざ私宛にお返事有難うございます。
    私は「圧倒的」という言葉に対して反応しただけです。
    深い意味は全くありません。
    掲示板では実際に証明できませんが、高校及び大学受験時(第2児ベビーブーム世代です)の国語の偏差値は、
    75以上(代ゼミや駿台の模試ですが)は何度もありますし、個人記録は偏差値81です(自慢では有りません)。
    今は判りませんが、冊子に科目毎にも名前が載る時代でした。
    逆に英語や数学は、満点取っても70未満も経験しています。
    私の経験では、国語が一番個人差の出る科目と認識しております。


    努力は勿論大切です。
    無駄の意味で言いたかったのでは有りません。

  4. 【859410】 投稿者: 睡眠時間  (ID:aP.HsKo.vV6) 投稿日時:2008年 02月 27日 15:01

    地頭が良い子の睡眠時間は、どれ位なのでしょうか。
    京都辺りの教育委員会の報告に寝すぎの子は、学力が少し下がるみたいな記事がありましたが、
    可能な限り能力を引き出す睡眠時間ってあるのでしょうか?

  5. 【860980】 投稿者: 乏しい経験から  (ID:hkKscXx0m6o) 投稿日時:2008年 02月 28日 21:39

    言語能力様、
    丁寧なご返答、有難うございます。(珍しく)仕事が忙しく没頭していてお礼が遅れました。すみません。お話でだいぶイメージが沸きました。少し、学力の内容を分けてお考えだったりするのも宗だと思いますし、音読が有効であるとかも大変、納得できます。


    ところで、最近、英語の学力について、少し考えてみています。英語の学力というのも、いろいろ要素がありますよね。長文を区も無く読める能力、精密に読む能力、読んだものを意味ある日本語に訳す、能力文法問題ができる能力、要約する能力、プレゼンテーションのスライドを作る能力、人前でプレゼンテーションをする能力、人に行為をもたれるような会話が出来る能力、長文を区も無くかける能力、所謂聞取りの能力、お書きになった内容を考えて見ると、日本語の能力も全く同じですね。多様な要素が一教科にあると思います。大学入試で必要な学力は氷山の一角だと思います。


    最近、これらの学力の"要素"が脳味噌の使い方と密接に関わっているのを感じます。その辺に興味を持っています。

  6. 【860988】 投稿者: 乏しい経験から  (ID:hkKscXx0m6o) 投稿日時:2008年 02月 28日 21:48

    それこそ さんへ:
    大変、参考になります。「分母が1万人規模で平均偏差値75以上(凡そ50番若しくは上位0.5%以内)のことでよろしいですか?」については、そういうイメージです。

    それこそさんの書かれた内容は、非常に興味があります。さて、わたしが疑問に思っていることのひとつは、「深い読解を要する文章にあたると、ボロは出てしまいます。」という部分なのですが、少しくわしく教えていただけないでしょうか。


    それから、さらに一点、難解な文章は、(本文に書いてはいない)背景となることを知っているとか、考えているかどうかで決定的に違うような気がしていますが、それでも公的な要素ではなく、先天的な要素が決定なのはどういうことがあるのでしょうか?
    併せて教えていただければ幸いです。


    -------------------------------------------------------
    > 言語能力さんではありませんが。
    >
    > 圧倒的がどれくらいかは難しいですが、相対的な評価の偏差値で言わせてもらうと、
    > 分母が1万人規模で平均偏差値75以上(凡そ50番若しくは上位0.5%以内)のことでよろしいですか?
    > 以上の条件で言うなれば、国語及び算数が圧倒的に出来るということは、
    > 先天的なものであり、後天的なものではありません。
    > 私が受験生の頃に言っていた言葉で言えば、生まれ持った「センス」です。
    > 中受をゴールで見た場合、普通の子が努力(読書量、暗記等)して辿り着ける世界ではないです。
    > 精神的に成長した大学入試で言うなれば、70位は努力で何とかなると思いますが、
    > 深い読解を要する文章にあたると、ボロは出てしまいます。
    > まぐれ当たりで出た偏差値は、対象外なのは言わずもがなですよね。
    >
    >
    > 例えて言うなら、そこそこ能力が高い位では、努力しても100mを10秒をきれないのと同じと考えればよいと思います。
    > 自分の器の範囲内での限界を見極める必要があるのでしょう。

  7. 【861044】 投稿者: それこそ  (ID:WKpxfX9PLmc) 投稿日時:2008年 02月 28日 22:48

    セキュリティの関係でIDが変わっております。
    乏しい経験 様 へ


    私は、言語能力さんのような国語教師では有りませんので、
    経験則でしか言えないことはご容赦下さい。
    また、少し言葉足らずな点も有ったと思います。
    以下「文章」の後に「問題」を追加します。


    ダラダラ記述するような問題は、ただの作業なので差はでませんが、
    深い読解を要する文章問題(所謂難関校)において、何故差が出るかと申しあげると字面しか読めない人、
    文章を読めたような気になっている人、文章は読めたけど出題者の意図が読めていない人、
    文章も出題者の意図も読めたのに正確な論理的処理をミスった人、完璧に対応する人と別れるからであります。

    上位0.5%の人は、短い試験時間の中で、設問の背景にある出題者の意図や要求を過不足なく把握し、
    本文中の言葉では表現しきれないところを自分の言葉で補って答案を書いたり、
    選択肢に惑わされること無く対応する余裕があると思います。

    私の言いたい「ボロ」とは、(主観を入れない)正確な論理的根拠に基づく回答が出来ないことを言いたかったのです。
    回答に主観を入れ、減点される方って結構いますよ。
    また、それに気づいていないのです。



  8. 【861114】 投稿者: 愚母  (ID:eFjq7b2pDaE) 投稿日時:2008年 02月 29日 00:05

    難しいお話になってますね…
    我が家の息子は、今年、いわゆる最難関校に合格しましたが、
    地頭が良いとも、何か突出した才能があったとも思えません。
    かと言って、幼い頃から死に物狂いで勉強させた訳でもありませんが、
    中学受験を成功させるためだけなら、地頭は必要ない、と私は感じています。


    私は言語能力さまと違って、どちらかと言うと幼児語保存派です。
    子供がオトナな言葉遣いをし始めると、それがなんだか寂しくて、
    例えば「たかましや(高島屋)」「もしもし(電話)」「チョキチョキ(美容室)」
    なんて幼児語をいまだにあえて使ったりしてる愚かな母です^^;


    中学受験の国語は、大人の読む文章を、大人の感性で読み、
    大人の言葉で答える必要があると、早い時期から塾でも教わりましたが、
    子供が読みたがりもしないのに、大人向けの本を読ませる気にはなれませんでした。
    日能研の本を参考に、中学受験によく出ると言われる本も揃えましたが、
    重松清も与える本を選びましたし、山田詠美は今でも読ませたくないですね。


    我が家は例外なのかもしれませんが、子供は読みたい本しか読まないし、
    興味もない分野の本を、無理に読ませる必要もないように思います。
    年末に「今年試験に出そうな本!」と雑誌に出ていた本も片っ端から買って、
    一応勧めましたが、ほとんど私が読んだだけで終わりました。
    重松清の「小学5年生」だけは読んでいましたが、
    「よかった〜俺の受けた学校では出なくて。読んだことある文章じゃ、
    試験の時の楽しみがなくなるもんな」と言っていました。
    子供が、出会う試験の問題を楽しみにすることができる…
    そういう取り組み方ができるように仕向けるのが、秘訣かもしれません。


    それと、それこそ様のおっしゃることに関連しますが、
    本好きな子は、主観が入りすぎると塾からも指摘されたことがあります。
    「自分がどう思うか」ではなく、「出題者がどう思うか」を考えないといけないと。
    ただ、これは上位0.5%の子でなくても、訓練でどうにかなると思います。

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