アートの才能を伸ばす女子教育
慶應中等部は最強?(女子も男子も)
そもそも募集数が少なく、偏差値が高い割に意外に目立たない。
御三家とは別の立ち上がりで世の中を席巻する人材を産出。
一方では、狭き門をくぐったあと、もう受験なしで学力的には深海魚化?
サピックスでも中等部第一希望はなぜかマイナー感があります。
実際のところどうなんですかね?
最強なんて思ってないですよ。
マジレスすると、受験勉強から解放されて、好きなことに思いっきり時間を使えて、学歴を得られて(個人的にはあまり意味を感じないけど)、社会が認めてくれること(個人的にはどうでもいいけど)、各方面に散らばっている優秀な先輩や様々なバックグラウンドの学友から社会というものを教えてもらえることかな。あと、福澤先生の教えは、現代でもばっちり通用するよ。
そしてデメリットは叩かれやすいこと(笑)
「受験から解放」とか
「好きなことに思いっきり」とかの言葉に
イメージコントロールされなければ、本質はどうかってこと。
「各方面に散らばって」いるのは、伝統校ならどこでもそうでしょうと。
論点は、附属小中高と大学の関係が癒着している点。これは、例えば、広告代理店を必ず博報堂と決めるのがいいか、コンペで決めるのがいいかというのと同じ。一長一短あるものの、関係の固定化は相互に馴れ合い、努力しなくなり、質の低下を招くわけです。
大学受験の是非についてが最大の論点で、「大学受験は自由でなく、悪いもの」「より素晴らしい好きなことに思いっきり」という前提について、次に考察してみる。
子供と接してきた経験からして、12歳~18歳という年齢の若者というより子供は見た目や体の成熟とは比較にならないほど未熟で幼く、自分でやりたいこととやるべきことが一致してるというには程遠い。
それでも市川團十郎の息子や娘ならば、将来歌舞伎俳優になるために必要な修行を「思いっきり」やるために附属に行くのは合理的かもしれないね。将来の職業を固定化し、保障する家元なんて制度の是非はさておきね。
そうでなく、就職などによって、自ら職業選択していくマス層の場合、中高生がどれだけ自らの人生に合理的な時間の使い方を自ら選択できるか、他方、大学受験勉強がどれだけ合理的な時間の使い方からずれてるかと言えるのか。
大学受験の受験方法、科目からして、既に相当幅広く、自由に選べるわけだけど、ある程度の「枠」はあるから、その「枠」のせいで、「自由に」「やりたいことが思いっきり」できないなんてあるのかね。
そら、成人の準備としての勉強である以上、ゲームやLINEを思いっきり自由にやられても困るわけだけど、大学受験科目というのはその年代の学生が習得するのに適切な題材を専門家が選んでるわけだよね。そこには当然、悪意はなくて、日本人の大人としての親心として、例えば、「カノッサの屈辱」なんて事件を知っておくと、中世の教皇と皇帝の関係性を理解するのに役立つよってことだ。
それを「自由に思いっきり」スルーして、6年間自由に時間の使い方選びましょうって枠を外して有意義に使える生徒が多いなんて思えないけどね。
ダイエットなんかでも、自由になんてことじゃ効果ないからわざわざお金払ってライザップでコミットしたりするのに、「自由に思いっきり」なんてあんのかね?
結局、大学受験批判なんて、勉強からの逃げだろってことだし、親がその逃げに加担すんのかと。
逃げとは思わない。逃げ、の意味がわからない。
個人的には附属は反対です。
12歳の変わりやすい時期に、今後10年の学校を固定すべきでないと考えるためです。
附属でも進学校でも、本人の意思を尊重しても、実際には親の影響を相当受けている。また、受けざるを得ない。12歳では情報を集めるのも集めた情報を元に志望を決めるのも限界がある。
18の成長した本人に、18の時点で選択の機会を与える。12歳から10年は長すぎる。
外部受験は最後の手段。外部受験の選択肢もある、は親の無責任だと思います。





























