女子美の中高大連携授業
やはり不公平な内申点
3年前期内申42
満点とっても・・・
学年末は無視して後期受験に絞ることにします。
↑さん、別に意識して上を目指している訳ではないのですが、環境が上を目指す人が多いトコにいます。
そんな中なので勉強が嫌いでもやらなくてはならないので作業的にこなしているようです。
勉強が好きじゃなくても生きる手段としての準備としてやっている者もいる事は別に悪い事ではない
はず。理想と現実は違う点も多い。内申制度は私は嫌いですが。
戦線離脱さん、レスありがとうございます。
戦線離脱さんのおっしゃることに異存はありません。
勉強が好きでなくてもかまわないと思います。
その上で学力の高い学校に行くのはつらいようには思いますが。
↑さん、フォローありがとうございます。
確かに私の主張は「上を目指す子」向きの話ですね。
それにしても戦線離脱さんのレスは大変興味深いものでした。
よろしければ、純粋に質問をさせてください。
質問は4つです。批判ではありません。
言うまでもありませんが、お答えいただく義務はありません。
質問1
以前のレスで公立高校受験を「残った層での戦いですよ」と言ってますよね。
そして、お子さんは「上を目指す人が多い」私立に行かれている。
しかし、お子さんは「勉強が嫌い」で「作業的に勉強をして」いて、
戦線離脱さんご自身「生きていくのに困らない程度できればいいと思っている」。
この流れに、私は、微妙に矛盾のようなものを感じるのですが、違いますか?
(答えにくいと思いますが、「感想をおっしゃっていただければ」という意味です。)
質問2
お子さんについて「なぜなら勉強が嫌いだからです」と断言され、「親である私も
勉強が嫌いなので」とおっしゃっています。
お子さんは、本当に勉強が嫌いだと思いますか?
むしろ「勉強もどきの作業」の方が嫌いということはありませんか?
質問3
私が申し上げたのは、「本人が勉強しているつもりでも勉強になっていない作業」で
あり、戦線離脱さんの発言は「作業のように勉強する」です。
ここに齟齬があるような気もします。
戦線離脱さんは、「作業のように勉強しても学力があがるからいいじゃないか」と
お考えなのではないでしょうか。
(それなら、私の言葉では、それは「勉強」です。
私がやめるべきだと思うのは「学力があまり上がらない勉強に見える作業」です。)
質問4
上の質問の続きですが、齟齬がなかったとしましょう。
すると、戦線離脱さんは、「学力のあまり上がらない作業」を子供がしていても
それでもかまわないと考えていることになります。
その場合、お子さんも同様に考えていると思いますか?つまり、
・今やっていることは勉強ではなくただの作業であると考えている。
・その結果あまり学力が上がらなくてもよいと考えている。
補足です。
私は勉強が好きです(笑)が、勉強ならなんでも好きというわけではありません。
受験のため、嫌いな科目も勉強しました。
それは「生きていくのに困らない程度(つまり、志望校である東大に受かる程度)に、
作業のように(つまり、いやいや)勉強していた」とも言えます。
だから、そういうことを全否定しているわけではありません。
横です さん
おっしゃる通りです。
私の論点はまとめると以下のようになります。
(1)文部科学省・教育委員会が学力以外の基準、たとえば、「関心・意欲・態度」を
評価基準に据え、教員に評価を求める。
(2)上記を受けた教員は、「関心・意欲・態度」等を評価するための課題を生徒に課す。
公務員である中学校の教員がそれに逆らうことは、ほぼ有り得ない。
(君が代で起立しない先生と同じくらいレアでしょう。)
それは個性の問題ではないと思う。
(3)そのような課題は、「学力以外の評価」が前提であるため、必然的に「学力を
向上させない、勉強に見える作業」になってしまう。
(4)「勉強に見える作業」をさせられる生徒は、それを「勉強」と考えるようになる。
あるいは、そうでなくても、「本当の勉強」の仕方を学ぶことができない。
(5)その結果、公立中学出身者の多くは、学力が低い。
高校に入ってから「勉強」をはじめても、「勉強をするための基本的態度」が身について
いないため、その後学力を伸ばすことが難しい。
私はこの仕組みに適応してしまった子供を「内申美人」などといってさげすむ気には
なれません。みんな、自分の人生を切り開くために一生懸命なのだと思います。
子供は、大人に要求された範囲でがんばるのが普通だと思います。
「成績で5を取るために必要な学力」というものがありますが、一般には、それを超えた
学力は、公立中学校では計測されません。
それ以上の「高い学力」は、誰にも知られない「隠し芸」のようなものです。
たとえば、駿台模試で高偏差値を出す生徒が公立中学の教室にいたとしても、
先生も同級生も誰もその事実を知らないでしょうし、気づきもしないでしょう。
つまり、その生徒に対して「優秀である」という評価はつかないのです。
実際、駿台模試では高偏差値でも、学校の成績は4という生徒はたくさんいます。
そういう子に4をつける先生はどう考えているのか、想像するしかありませんが、
たぶん、「こいつは高い学力を持っているが、俺の言うことをきかない。
こらしめのために成績を下げてやれ」と思っている人は少ないのではないかと
思います。それはあまりに非人間的ですから。
それより、たぶん、素で彼らの高い学力には気が付かず、それより、「授業中眠そうに
しているから、意欲や関心がないんだな」と思っているのではないでしょうか。
ところで、高い学力の子供のモチベーションは何でしょう。
それを「高い意識」などと言う人もいますが、私は賛成できません。
もちろんそう言ってもいいですが、彼らもしょせんは子供です。
彼らは何らかの事情によって、学力競争の存在を知り、それに参加しているだけです。
どうやって学力競争の存在を知ったかというと、ケースバイケースでしょうが、
たぶん親がそういう指向を持っていたのでしょう。
一方、「内申美人」の子供たちは、学力競争どころか、「駿台模試で計測され
るような学力」の存在すら知らされず、「君たちは優秀だ」と言われて育つわけです。
私は、これはとても気の毒な気がします。
しかしまた、学力競争に踏み込んでしまった子供たちも、学校と学力を競う場
(たぶん、塾)で二重生活を強いられるわけです。
これもまた大変でしょう。
このような問題を引き起こしているのは、「学力を重視しない内申と内申を重視する
高校入試」という制度であると思うわけです。
私自身、今思うと内申美人だったと思います。
神奈川県で公立高校で進学校を目指していたので当然内申は重要です。
まさに職員室に先生に質問に行っていました。(ひざかっくんはしていないでが)
塾に行っていなかったので分からないところは先生に聞くしかなかったということもあるのですが、やる気や授業態度という漠然としたものも込みでの評価と公言されているのだから、やる気を見せる事も重要なことだと認識して職員室に質問に行っていました。
同じクラスにどう頑張っても越えられない学力の男子がいました。
特に数学は教科書レベルをはるかに越えた理解力で、先生にも時々教科書の範囲を越えた内容のことを言うので、先生もその能力には気付いたと思います。
でも、成績は私の方が常に上でした。一度も抜かされたことはないと思います。
(意外と仲良くしていてオープンに話していました)
その時は、私は彼と同じレベルの学力だと認識していました。
周りからの評価もそうだったと思います。
しかし、同じ高校に行きその後の人生はだいぶ違います。
本当の学力だけの勝負になった時、彼は現役で東工大にいきましたが、私は全くそのレベルに届かず悩んだ末自分の実力を認めて、ある程度聞こえの良い女子大に進学しました。
社会に出て仕事をするようになってから、私はその経験を生かし、所謂大手企業は避け小回りのきくサービス業を選びました。
相変わらず人が望むことを無意識に感じ取り行動に移すことが得意なので、社会的地位も収入もそう高い仕事はないですが、それなりの評価を得ています。
東工大を出た彼は、大学院に進み今は大手企業の研究職で海外赴任をしています。
彼は彼なりに、社内の人間関係などで多少苦労することはあるようですが、極力そのようなことに引きづり込まれない職種を選んだと話しておりました。
結局どんな制度であれ、いつか本当の学力・実力に気付くときがある訳で、逆に学力・実力以外の評価の目を持てたことも有意義だったのかなと思います。
けれどそれはとりあえず今を肯定できる自分でいられるからであって、そうでない同級生の方がむしろ多いかもしれません。
そんな私は子供には中学受験を進めております。
東大OBさん
お答えになっているかわかりませんが…
質問1)うちの子供のような勉強以外に興味のある子にとっては勉強は二の次なんです。
ですが学生である限りやはり勉強する事が第一になってしまいます。しかし公立小での
勉強は子供にとっては物足りなかったようで、先生によっては他の子が取り組む教材より
難易度の高いものを下さる事もありました。または宿題を余計に出されたりと、良い面でも
悪い面でも人と違う扱いを受けていたので、子供が普通でいられる場所を求めて私立中を
受験しました。これは好きでやるというよりは受かる為の手段としての勉強ですよね。
そもそも高校や大学受験を突破するのも好きでやる学問ではないと思います。
他にもそういうお子さんいましたよ。その子も明らかに浮いていましたが、
やはり中学受験されて難関校に通われています。
私立中へ行く子が必ずしも勉強好きという訳ではありません。
居心地のいい場所を求めて受験する子も多いと思います。
先に>「残った層での戦いですよ」と書きましたが、文字通り、他意はありません。
一人一人の背景が見えないと矛盾を感じられるかもしれません。すみません。
質問2)>お子さんは、本当に勉強が嫌いだと思いますか?
>むしろ「勉強もどきの作業」の方が嫌いということはありませんか?
どうなんでしょう。本人は嫌いと申しています。今は学業から何か熱中できるものは見つかって
いません。手先を使う細かい作業が好きなので、実は職人タイプだと思っています。
なので昔なら中学卒業してどこか弟子入りして働いた方がいい子だと思いますよね。
質問3・4)>私がやめるべきだと思うのは「学力があまり上がらない勉強に見える作業」です。)
確かにうちの子は受験に関しては結果的には成果がある作業だったかもしれません。 その辺は取り違えていました。失礼しました。そもそも具体的な成果がないと効果も見えません。
そういう意味では中学受験は明瞭でした。
それに引き替え高校受験は入試が簡単なうえ、内申があるが為その成果が非常に見えにくく
誤解を生じる残念な制度です。
*内申美人さんの書かれている事が非常に潔く、共感できました。
さすが内申美人です!(嫌味ではありませんので、)




































