将来の選択肢が広がる学部合同説明会
ラサール か、北嶺か
首都圏からの受験組です。
ラサールと北嶺(寮コース)を運良く合格できました。
老舗の名門・ラサールの寮は8人部屋とのことですが、医学部・東大ともに浪人(多浪)組が多い点が非常に気になります。
新興の北嶺は数年来、医学部医学科(国公立)現役合格率ランキングは断トツの全国1位で、昨年は理三も3名輩出しています。
また、昨年末にホテルライクな寮も新たに出来て、同学年の2人部屋で過ごせることに、息子は魅力を感じています。
学生時代にラサールの名声を見てきた親世代としては、どちらに進ませるべきか、なかなか結論を出せずに悶々としています。。。
塾は教育機関ではなく営利企業ですから。と、「2月の勝者」で言ってましたね!
優秀者に附設に行っていただき、短期間とはいえもし東進でもなんでも受講してもらえたら、難関大学に合格して塾の実績としてカウントできますからね。
ラ・サールに行かれたら、それで塾は完全に卒業しちゃいます。
それと純粋に経営者の母校を全国区にしたい使命感があるのかもしれませんね。
優秀者はどこに行っても結局希望の大学に進学できるでしょうから、大切な6年間を過ごす生徒の気持ちや適性も考えていただけたらいいのに、と切に思います。
挙げれがきりがないのですが。
ひとつはこのコロナ禍でも様々な行事が感染対策を取りつつ、実施されたことです。
文化祭、有名な体育祭、クリスマスバスケットバザー、桜島一周遠行、登山などなど今年度もありました。
それらの行事が実施かどうか、保護者が参加できるのかリモートなのかなどの決断が早めに行われ、予定が立てやすいよう配慮されていると感じます。
部活動も時短や感染対策をとりつつ、行われています。おかげさまで、日々気持ちがリフレッシュしてメリハリのある生活が送れ、息子は腹筋が割れ逞しくなりました。。。
寮生活での限られた時間で要領よく予習復習する習慣もしっかり身についているようです。
自習時間にチューターなどは配置されていませんが、それには理由があると思っています。授業を大切にすることや、互いに教え合う友人も沢山居ますし、自分で解決の糸口へたどり着くチカラが養われています。
離れていても生徒の成長を一番に、日々考えて下さっていることが分かり、いつも感謝しております。
息子がラ・サールにお世話になりもうすぐ一年の保護者です。
トピ主さんは、すでに進学先は決められたことと思いますが、おそらくラ・サールではない選択をされたのではないかと思います。ふと、この質問への違和感がなんなのか、その理由が自分なりに分かりましたので、書かせていただきますね。興味のある方はお付き合い下さい。
ラ・サールのホームページのトップを見ても明らかなのですが、当校の理念は、「信頼 兄弟愛 奉仕の心」です。その意味は校長先生が入学式で詳しく教えてくださいました。学校教育を通して社会の改革を目指している学園です。結果としての進学校という側面が注目されがちですが、有名大学や医学部進学はどこにもうたっていませんし、トップページには表示すらされていません。
学校の本当の目的が、現役で難関大学や国立医学部へ合格されることではなく、もっと先を見据えた教育がなされているのです。
ですから、奇問難問の少ないオーソドックスな入試問題は変わらないでしょうし、希望する学校別の授業などはこの先も実施されないと思います。
ただただ出口の進学実績を一番に重視するご家庭には、入学されても、様々な違和感があるでしょうから、他の学校のほうが良いのではないかなと思います。
長い修学旅行と思って息子を送り出し、その予想をはるかに上回る成長に日々驚き、感謝している一保護者の意見でした。違うお考えの方もいらっしゃると思います。長文失礼いたしました。
あまり、知りませんでしたので、wikiで調べてみました。
歴史のある学校なのですね。
以下、wikiより。
愛光中学校・愛光高等学校
愛光中学校・高等学校(あいこうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、愛媛県松山市衣山(きぬやま)五丁目にある私立中高一貫校。
高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間において、第2学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校である。
概要
スペインで発足したカトリックのドミニコ会により、「愛 (Amor) と光 (Lumen) の使徒」たる「世界的教養人」の育成を目指して1953年(昭和28年)に愛光中学校設立、3年後の1956年(昭和31年)に愛光高等学校が設立された。開校以来、中高一貫教育で、寮を設置している。トップレベルの学力の育成、大学進学指導の重視をコンセプトとし、1期生から東大10名、京大10名を輩出した。創立から20年くらいは愛媛県内出身者でほとんど占められ、「愛光寮」と「トマス寮」の寮生も、東予や南予の県内者で占められていた。そのうち全国から志願者も出てきて、全国へ「国内留学」を呼びかけるようになった。その後、関西などからも多くの生徒が受験・入学するようになり、灘中学・高校、ラ・サール中学・高校と共に「西の御三家」に数えられている。
開校以来男子校であったが、創立50周年に当たる2002年度より共学化となる。現時点では女子は自宅(または親戚など)からの通学者のみを受け入れている。
中学は、定員200名で、2019年より本校会場と東京・大阪・福岡会場で実施、合格最低点が異なる。県外からの方が合格最低点が高い傾向があった。
高校入試は専願と併願があり併せて50名募集している。
入試結果として入学者の男女比が中学は約2:1、高校は約3:1の構成となっている。以前は関西からの進学者が多かったが、現在は関東、中京圏からの進学者も増えている。
2011年度から中学も4クラスから5クラス編成となり、2013年現在、中学は1学級40名の1学年200名、高校は1学級50名(外進生は1年E組)の1学年250名となっている。
創立時の経緯
創立当時、松山市にはすでにドミニコ会により松山女子商業高等学校(現:聖カタリナ学園高校、1925年設立)が設立されている。1951年(昭和26年)5月12日、スペインのアビラにおけるドミニコ会ロザリオ管区会議にて「四国に男子校を設立したい」という管区長の提案に、初代校長となる田中忠夫(旧制松山高等商業学校第3代校長)は、難関大学進学のための中等教育の学校であるなら東京か大阪が望ましいと返答したが、四国のドミニコ会士たちの意向により松山に設立することになった。ドミニコ会は1904年(明治37年)より四国で宣教しており、地元のアカデミックな若者の育成と文化に貢献し、特有の学校を創ることを望んでいたのである。当時、私立校の新設は困難な状況下にあったが、松山市宮西町に所在した学校法人城西学園(松山城西高校、旧:松山技芸女学校、1903年-1955年)との売買契約および法人名変更により、学校の実質的な創立に至った。
校名は「愛と光」との意味が込められていて、これらの漢字はキリスト教の教えと符合する。校章には、愛と光の意味の「Amor Lumen」と記されていた。元々の意味は、愛媛県に光をということからであったが、これが、キリスト教の教義に似通っていると、50周年誌にある。現在の愛光生のアドミッションポリシーといえる「われらの信条」は、初代校長となる田中が愛光中学第1回の入試当日にめずらしく降る大雪で純白の景色のグラウンドを眺めながら書き上げた。
創立時は松山市内の市街地である宮西(みやにし)(現在はスーパーマーケットチェーンのフジ・リテイリング本社が所在している)に所在していたが、創立20周年の1972年(昭和47年)を期に現在地の衣山(きぬやま)に移転した。






























