将来の選択肢が広がる学部合同説明会
関西女子 中学ヒエラルキー
難易度、将来性、評判から。
御三家とかにこだわってる時代でもないと思いますし現実的なグルーピングをしたいと思います。格調と伝統も別に加味する必要ないかと思います。
最難関のRNは異論ナシとして2番手が難しい。
RN 洛南 西大和
5S 神戸女学院 四天王寺 須磨 神大附属 清風南海
あと入れるとしたら高槻と洛北くらい?
アスペルガーの場合、対人関係力は低く出てしまいますし、学力上位校の最優秀層こそ、それは例外として無視は出来ないくらいの割合かとと思いますが、どうでしょう。
まず、定義に違和感ありますね…。
>才能+勉強深度=成績
異なる指標を足し算する事に抵抗あり、『人間力』という曖昧な言葉を無視して、
才能×深度が、社会から必要とされる能力、と考えると、納得も出来ます。
社会で必要とされる能力=社会で対人的にもうまくやっていく能力、ではないかな。
>>人間力は、知的能力、対人関係力、自己制御力の3つの要素で成り立っています。
>このようにまとめてあるので、学力上位校の生徒にはそこそこ備わっているのではないでしょうか。
ここで論理が飛躍しましたね。
私は高い学力を維持するための自己制御力には目的を達成しようとする意志の強さや知的能力が必要だと思いますので学力上位校の生徒には「そこそこ備わっている」ことは否定しませんが、勉強していない生徒にもこれらが備わってる者は普通にいて、さらに価値観の異なる雑多な環境にいる分(失礼)、対人関係力は学力上位校より高い者もいたりするので、つまり人間力というくくりでいうとAでなければBでなしの関係は導けないのだろうと思っています。
おっしゃること、よくわかりますよ。
>社会で必要とされる能力=社会で対人的にもうまくやっていく能力、ではないかな。
私もこの要素が大きいのではないかと思います。
なので、まあ定義そのものに問題ありと感じますね。
なんで内閣府なの?文科省が語りなさいよとも思います。
おっしゃることに大きな異論はありません。
私も同じようなことを思いますよ。
定義がふわっとしているのでふわっとした結論を書いてしまいましたが、あまりにいい加減ですね。失礼しました。
どなたかが別の話でおっしゃっていましたが、異なる視点の要素を足し算することは不可解と。たしかに。となると、今回の三要素を掛け算するとして対人関係力がゼロなら解もゼロで済むけれど、マイナスならたちが悪いなととも思いました。
三角形のチャートにしたとしてもいびつな形になる子はいるかもしれませんね。学力上位校には。
内閣府で仕事している国家一種をクリアするような高偏差値純粋培養軍団が人間力を定義すればこんな感じになるんじゃないですか。と皮肉られても仕方がない、違和感ありありの内容ですよ。
なかなか、天才的なネーミングだなと感心しました。誰が発案したんでしょうね。文科省が二番煎じに続けて、「社会人基礎力」「就職基礎能力」と続けているのが少し笑ってしまいました。その後少し悲しい気分に。国はやっぱり社畜作りを大事に思っているんだなと。私は京大医学部飛び級女子の今後の活躍に期待したい。人間力なんて、はー?という感じで。突破力に期待します。
人間力 - 文部科学省www.mext.go.jp › __icsFiles › afieldfile › 2010/05/25PDF
Jan 30, 2009 — 資料:内閣府「人間力戦略研究会報告書」(平成15年4月).
すみません、人間力のような抽象的な話は興味ないので話題を戻します。
英語の多読ですが、多少は辞書引かないと、文章の前後で推察した言葉の正解が分からないと思うのですが、そんなの関係なく読み進めるのが大事ということでしょうか?
英文を読んだ後、日本語訳と照らし合わせて正解を確認することで初めて力がつくと思うのですが、日本語訳すら読んではダメなんでしょうか?
たとえば中国語、ロシア語を覚える場合でも多読しろって言われても、まったく意味が分からなければ、どうしようもないですよね。
そもそも、多読の目的が、英語を正しく和訳できるようになる事、ではなく、英語に慣れ親しみ、読むスピードを上げる事にあると思います。
多読の基本は、辞書をひかない、自分の英語レベルより簡単な本を選ぶ、和訳するのではなく、状況をイメージして英語を英語としてイメージできるようにする、という事と理解しています。
西大和の生徒が具体的にどのレベルの本を読んでらっしゃるのか、は分かりませんが、普通は最初は英語で書かれている小学生向けの本などを、単語が分からなくても、なんとなくイメージしながら読んでいく事から始める事が多いのではないでしょうか。
全くちんぷんかんぷんな本はそもそも多読の対象として適しておらず、ある程度理解できる、でも分からない言葉があっても辞書をひかずに読む、というのは、日本人が日本語の本を読む時に、知らない単語が出てきても一々辞書をひかないのと同じ感じなのではないか、と思います。






























