最終更新:

48
Comment

【1394472】寝屋川市第5小学校、第6中学校って如何でしょうか?

投稿者: 通りすがり   (ID:70uhc2NgRjs) 投稿日時:2009年 08月 11日 01:29

今度、香里園に引っ越ししようと考えています。
今年の11月に子供が生まれるのですが、やはり将来的に気になるのが子供の教育環境です。
まだ気が早いかとも思うのですが、引っ越しするなら子供にとって環境のいいところを探しています。
現在、引っ越ししようと考えている場所の校区が寝屋川市立第5小学校、寝屋川市立第6中学校です。
どなたかご存知の方、評判を教えて頂けないでしょうか?宜しくお願い致します。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「関西地方に戻る」

現在のページ: 3 / 7

  1. 【1911159】 投稿者: 樟葉に住むものです  (ID:2OMuM8QQpY2) 投稿日時:2010年 11月 08日 00:05

    樟葉中学校には野球部がありません。野球部のある樟葉西中学校にこのままの住所で通学できますか?
    今年から無理になったとうわさをききました。市役所に尋ねたらよいものですか?
    知っている方いましたら、教えてください。

  2. 【1913034】 投稿者: モール好き  (ID:5GIvxgU50NQ) 投稿日時:2010年 11月 09日 13:45

    その噂は聞きました。
    でも少なくとも来春入学者は、まだ中学を選択できますよ。
    その次はどうなるかわかりませんが。

  3. 【1916258】 投稿者: 枚方  (ID:.T/n64XSF8.) 投稿日時:2010年 11月 11日 20:09

    枚方市の区域外中学への選択制度については、毎年なくなるとの噂がたちますが、大丈夫ですよ。
    昨年、枚方市の教育委員会の幹部が、約100名の保護者を前に、これからも制度を継続させ続けると宣言されました。
    ご安心あれ。

  4. 【1965692】 投稿者: 黒い猫  (ID:nVv0OXk/fK2) 投稿日時:2010年 12月 29日 11:36

    その2校を過去に卒業した30歳のおやじです。
    もう見てないと思いますが・・・なんかくやしいので・・・。
    私が在校していた時の6中は定期テスト・実力テストともに
    学年順位がでました。
    私は、実力テストで60番台だった記憶がありますが、
    そこから寝屋川高校→現役で国公立大学へ行きました。
    寝屋川高校では真ん中くらいでしたが(苦笑)

    これを考えると、公立としての学校レベルは低くないと思います。
    上位の人は、塾に通いながらだとは思いますが開成高校や灘高校に
    行ったみたいです。

    ガラが悪いのも確かにいましたが、公立であれば、
    どこにでもいると思います。
    要は、ガラが悪いのと付き合わなければいいところだと思います。

  5. 【2207119】 投稿者: z  (ID:S8VZxxUkPJs) 投稿日時:2011年 07月 17日 22:34

    私は現在6中に通ってるんですが、別に皆仲がよくて楽しい学校ですよ
    部活動には入ってる人と入ってない人がいますが・・・
    ガラはほかの中学に比べたらましな方だとおもいますよ
    最近は皆はじけまくってるんですけどね笑

  6. 【2210071】 投稿者: なんだかんだで寝屋川LOVE  (ID:/OvLJgM/3L.) 投稿日時:2011年 07月 20日 15:42

    現役六中生の現場の声、参考になりますw

    私は所謂、六中黄金期時代の卒業生です。
    当時は文武両道、近所に馬渕教室という塾があり、模試で偏差値80オーバーの異様なスコアを叩き出す努力家が多かった。
    当時の六中の校区から行ける公立進学校トップは四条畷、次いで寝屋川高校だった。
    校内の定期テストではどの子も100点満点だった為に相対的に内申が取りにくく、
    学力は十分でも、内申が10段階評価10点満点が要求されていた、
    四条畷行きを涙ながらに諦めて寝屋川高校に進学する子もいた(それは私のことか?w)

    他にも、部活に命を懸けて府のインターハイに出る子も結構いた。
    反面、漫画に出てきそうなヤンチャ坊主もボチボチが、学校内での喧嘩等はほとんど無く、人間関係は良好だったと思う。
    ヤンチャ坊主の言い分としては、他校の奴とは喧嘩するが、クラスの子達は
    仲間だ という彼らなりの熱い意見があった。

    その後、池田小事件の影響で日中は門が閉められ、
    窓ガラスが割られる等、一気に荒れたというネガティブな噂ばかり聞くようになった。

    時は過ぎ、親の立場となった今、六中に進学させるのは地元の人間として「No」ですw

    親の仕事として、この不況下、就職に有利になってもらう資格の一つとしてコマシな大学、せめて高校は出てもらうこととは思いますが、
    ゆとり教育のせいで大学進学レベルに遠く及ばない公立の薄いカリキュラムでは、塾、予備校に通わせるのは必須の現状で、(月謝の相場は4,5万くらい)
    ※中高6年での塾の費用=60万×6年=360万

    さらに私立に通わせるのは財政的に厳しく、基本は国公立で進めて行く戦略を取られると思います。
    (国公立大学の授業料は年間50万程度?)
    ※4年制大学=50万×4=200万程度

    ※その他、文房具、ランドセル、制服代、小学校の給食費、修学旅行等の積立金等で数10万の出費

    ※子供1人当たり、全てダブり、浪人無しのストレートで公立卒でも社会人になる為に計約600万程度の資金が必要


    そこで、めんどくさい子とのイザコザ等起きてしまったら、収拾がつけばいいのでしょうが、
    こと中学生の場合は大人に対する反抗期も重なり処理が複雑です。

    暴力沙汰のトラブル、事件の加害者や被害者になったり、挙句の果てに当事者の自殺等(相手方の場合も含む)、
    取り返しの付かない事になってしまったら目も当てられません。
    ならば、出来るだけその可能性を減らす為にも、もっと大人しい地域での展開を考えるのが建設的かと思います。

    寝屋川、香里園は駅近で一通り店が揃っており物価も安く(住民税は異様に高いけど…)大好きなんですが、
    枚方樟葉方面、奈良の学研都市方面等がおっとりしていると思います。
    お子様も生まれたばかりのようなので、公立をお考えの場合、
    お住まいの物件が現在賃貸であれば、進学される頃に引越を検討されるのもアリだと思います。

  7. 【2235433】 投稿者: 昔のこと  (ID:okVDuVKhFYw) 投稿日時:2011年 08月 14日 03:30

     私は、確か昭和57年度の(寝屋五小→)寝屋六中(1学年12学級!)の卒業生です。他の方が言及されている「枚方に近い地区」(実際、隣接しています)に住んでいました。確かに大きな家は多いし、そこに住む同級生も多く知っています。しかし、それら多くの家々は、世代交代がうまく進んでないのか、たまに帰省してみても若い人達の気配が余り感じられません。建て替えられたという様子もないのです。つまり街並みに活気が感じられない。昔の風景が20年以上の時を経ても余り変わらない。立派な家は、そのままに古色のみを重ねている。これをどう評価するか。私の故郷は、良きも悪しくもこの街なので、変わらず、懐かしくてよろしいということなら良いのですが。
     斯く言う私は高齢の父母を残すのみで、寝屋川(大阪)を離れて既に20年以上が経過しています。そんな人間の感想が果たして役に立つかどうか・・・。
     柄が悪くなったとのことですが、私の時代にも悪いグループは存在し、正常な授業の成立を妨害していました。
     しかし、私の友人達(その交友関係は、主として私の居住地区の近隣を中心として構成されていました。)は、その相互関係において、学業成績を上昇する方向に強く作用しました。
     つまり、競争意識が芽生え、各人の実践を促したということ。これは事実です。
     当時、不確かですがおよそ60人ほど学区トップの四條畷高校に進学しました。当時の四條畷高校は、1学年570名ほど(1学年12学級、564名と記憶している)の定員でしたので、公立中学校では特異な進学率といえるでしょう。石を投げれば寝屋六中出身者に当たるとまで言われていました。私もその一員でした。
     当時、寝屋五小→寝屋六中→四條畷高校という進学パタンは1つのモデルケースとして一定の評価を得ていたということは事実でしょう。
     しかし、上述のとおり現在の街並みに活気が無いのです。果たして以前のように子どもは居るのか?校区は決して狭くはありませんが、学業成績向上に好ましい効果を発揮する交友関係や競争意識等を生産する可能性が比較的高いと一般に想定されている地域、その地域が今では一種の空洞化をきたしているのではないか・・・?
     寝屋川市は典型的な衛星都市でした。大阪市のベッドタウンです。住宅街としての本格的な開発は昭和40年以降でしょうか。
     経済の高度成長と歩調を合わせるように、多様な人々が住むようになりました。
     いわゆる企業戦士も居たし、成金(失礼)の不動産業者も居た。医者や研究者も居たし、官僚や教師も居た。
     他にも多様な人々が居ましたが、共通する部分は見出せる。
     その1つが、強い勤勉意識と高い教育意識だったのかもしれません。
     寝屋川市北部は元々、丘陵地帯ですので、私の幼年期にはまだまだ遊べる自然が残っていました。
     ところが、昭和50年代後半から平成期にかけて開発が一気に進行し、残っていた丘や池はなくなりました。皆、住宅になりました。細かく区画分けされた間口の狭い住宅、種差性を見つけるのが難しい住宅、購入はしやすいのかもしれません・・・が、この開発は先に述べた開発とは趣を異にしていたといわざるを得ません.
     そういった住宅への入居者と私は関わったことはありません。既に成長していましたし、その後大阪を離れましたので。
     しかし、古くなるばかりで再生しない旧来の住宅地区と新たな住宅開発の進行、この並存状態が、私の時代との環境の違いを生むとしてもそれは無理からぬことのように思えます。
     ところで、件の四條畷高校ですが近年の大学進学実績の凋落振りには目を覆いたくなるばかりです。当時から現役合格生の比率は非常に低かったですが、浪人すれば何とかなっていました。
     元来、大阪は私学不毛の地というか、結果が同じなら安く済ませたほうが絶対良いという発想が根強かったものです。絶対東大というのなら別かもしれませんが、公立高校から京大等に行くルートはある程度確立されていたように思います。状況は一変していますね。
     論点がずれていますので、寝屋六中に戻します。
     私の同級では四條畷高校へ60人ほど進学しましたが、実は彼らの大学進学実績は芳しくありません。なぜかは分かりません。ただそういう噂はありました。つまり、寝屋六中出身者は高校ではだめになるぞという噂です。実際、同級で東大や京大への進学は、知る限り3人程度でした(四條畷高校としては70人くらいの実績をあげていたと思います)。一介の公立中学校ですので、3人京大に行けば十分なのでしょうか?でも比率の低さはこれも異常ですね。
     ところで最後に、寝屋六中の校歌ですが、構成が面白いというか、結構先進的だと今になって感じています。
     単に思い出話をしているだけになってしまいました。仕事が盆休みなので長々と書き込んでしまい、恐縮です。申し訳ありませんでした。
     
     

  8. 【2262299】 投稿者: 寝屋川市民  (ID:qIXE0Bjpupc) 投稿日時:2011年 09月 10日 09:56

    寝屋川ゎ全部荒れてるとか思わないでくれませんか~?

    人によりますけど。

    それにヤンママ多くてもそぅゆう人のほうが
    まっぢめ~な人よりしゃべりやすいので
    親子でなかよしだし、寝屋川サイコーですょーー(^^♪

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す