在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「平和の少女像」撤去 あいちトリエンナーレ
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、元従軍慰安婦を題材とする韓国人作家の「平和の少女像」が出品され、同市の河村たかし市長が撤去を求めていた問題で、主催する実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事が3日記者会見し、像を展示していた「表現の不自由展・その後」コーナーを同日限りで中止すると発表した。
昨今の輸出管理強化の問題も影響していると思いますが、両国の関係はこのまま悪化し続けるのでしょうか。
落しどころはあるのでしょうか。皆さんはどう思われますか?
それのどこが問題?
法律上、問題があるなら堂々と糾弾なさって下さい。
チェチェ思想?ハエの仲間ですか?
今回の愛知トリエンナーレ全展示を見ましたが、微塵もその妙な思想を認識できませんでしたが、何の問題があったのか教えて頂けませんか?
北海道の「表現の不自由展」では、愛子内親王やケントギルバード、滝川クリステル、安倍晋三首相や菅義偉官房長官、ユダヤ人の写真、ベトナム戦争で逃げる子ども、被爆者などを燃やした作品が札幌市で昨年の12月21日に開催された。
差別作品を国民の税金で支援する必要は全く無い!
2000年の控訴審判決は、大浦氏原告の請求をすべて認めなかった。その後原告は最高裁へ上告したが棄却された。15年に及ぶ裁判闘争は終わったが、原告の腹いせにこの展示会にコラージュを燃やす画像を再度、しこも公費で展示させた。
燃やしたのは美術館サイドだと屁理屈を言ったところで、作家の真意は裁判闘争に負けた腹いせに大村知事が加担したと思います。
はい?
裁判結果への腹いせとは浅はか極まりない。
今回、大浦さんが「表現の不自由展・その後」会場で流した映像は『遠近を抱えてpart2』と題するもので、大浦さんの前作の映画『靖国・地霊・天皇』の映像と、来年公開予定の次の作品である映画『遠近を抱えた女』のごく一部を合わせたものだ。映画は、海外の映画祭で公開されており、オランダでは優秀作品賞を受賞し、カメラマンも撮影賞を受賞した。海外では純粋に作品として評価の対象になっているわけだ。
ただ日本においてはそうはいかないことが今回の騒動で明らかになった。やはり天皇というのがそれだけ日本人の内面に大きなイメージを残しているからだろう。大浦さんの制作意図を無視して、天皇のコラージュを含む大浦さんの版画『遠近を抱えて』が燃えているシーンだけが断片的に取り出されて攻撃の対象になっている。長い作品のごく一部が切り取られて、しかも政治的文脈の中で指弾されているのが現状。燃えているのは、彼自身の作品に他ならない。
大浦 「表現の不自由展・その後」に展示した20分の動画は、前作の映画『靖国・地霊・天皇』の映像を中心に、来年公開予定の『遠近を抱えた女』の映像を少し加えたものです。
それはさらに1986年に富山の美術展に出品した版画『遠近を抱えて』から続いている一つながりの作品なんです。同じ主題をずっと継続して描いてきたんですね。
登場するのは従軍看護婦の女性で、出征する前の日に母親に別れを告げ、次は靖国で会いましょうと語る。これは実話をもとにしたもので、前作『靖国・地霊・天皇』の映像です。次の作品である映画『遠近を抱えた女』は既に海外の映画祭に出品しているのですが、同じ従軍看護婦の女性が主人公です。
その女性に抱え込まれた「内なる天皇」、それを「昇華」させていくというのが、『遠近を抱えて』を燃やしていくシーンなんですね。そのシーンは1時間40分の映画の中ではごくわずかなのですが、今回の20分の動画にそこを含めたために、そこだけが取り出されて騒ぎになってしまいました。しかも、天皇制を批判するために燃やしたという全く誤った解釈がなされてしまったのですね。
僕自身には天皇を批判するとか冒涜する意図は全くありません。僕自身の「内なる天皇」を従軍看護婦の女性に託して祈りを捧げるということなんです。
だから撮影中もみんな真剣でした。今回のような騒動を予想しなかったし、映画全体を見てもらえばもう少しわかってもらえると思うのです。燃えているシーンだけを取り出して天皇批判の映像だという政治的文脈で捉えられるというのは、制作側の意図と全く違った伝わり方をしているとしか思えません。今までの僕の作品を見てくれていればもう少し理解してくれると思ったのですが。
というのが大浦氏の弁。
私は狭いスペースで見出した場面から、見出した場面まで20分間映像を全て見たが、その裁判の腹いせという感想は微塵も感じなかった。美術館に対する批判は内包しているだろうなとは、経緯を知っているから考えはしたが、従軍看護婦という、命を救う側で戦地に赴く人々までも、お国の為に、陛下に自らの命を捧げ、次は靖国でという思いで出征していったのだという事実の方が胸を衝いた。
大浦氏の言う
「あくまでも自分の中にある「内なる天皇」を表現する、自画像を作るのがそもそもの動機ですから。自分の外へ外へと拡散していく想像力と、天皇の中心へ向かって収れんされていくエネルギー。この相反するエネルギーを一つにまとめた時に見えてくるだろう自画像ということなんですね。」
「戦前はみなお国のために死んでいくという考え方を吹き込まれて育ったわけじゃないですか。その一人一人の内側に抱え込まれた「内なる天皇」ですよね。それを自分の中で意識した時に燃やすという行為が出てくるわけです。だから「祈り」なんですね。
それは映像に出てくる特攻隊の人たちも同じだし、靖国の空に舞っている慰安婦たちも同じですよね。あの人たちも皇民化教育を受けてきたわけだから。その「内なる天皇」を見つめようということなんです。
もともとは僕自身の「内なる天皇」を見つめようというのが一連の作品のテーマなんですが、この映像では従軍看護婦の女性にそれを託しているのです。『遠近を抱えた女』は1時間40分の映画ですが、その女性のシーンがほとんどです。」
そこまでの深いメッセージは正直、1回の視聴では得られなかったが、少なくとも裁判の腹いせとは全く的外れも良いところ。
そもそも、貴方は遠近を抱えてPart2を見たの?
会場では入り口のキャプションすらほとんど誰も読んでいなかったし、映像も20分間全編見ていそうな方は我々含めて3組ぐらいしかいなかったけど。
貴方は最初、再開時どちらで見たの?
というかその浅い感想の時点で見てないのは丸わかりだけど。
>しこも公費で展示させた。
大浦氏が公費で展示させたかの様な文脈ですね。日本語もおかしいし、アチラの方ですか?
昭和天皇と頭蓋骨をモチーフにした絵もありました。作家さんは、反天連の思想の持主みたいね。私はその絵を見たとき、一瞬、体が凍り付きました。
第2次大戦最中の1944年、5月22日付のライフ誌に女性が頭蓋骨を眺めている写真が掲載されたことをネットで知っていたからです。日本と戦っている恋人の米兵からプレゼントとして贈られた日本人の頭蓋骨を眺めている写真です。英語でトロフィー・スカルと呼ぶが、頭蓋骨を勝利のトロフィーとして贈ったというものでした。
昭和天皇と頭蓋骨を一緒に載せるなら、ルーズベルト大統領と頭蓋骨をモチーフにした作品の方がこの史実に一石を投下できて良かったのにと思いました。 民主党ルーズベルト大統領に人骨製ペーパーナイフを寄贈されています。大統領に贈ったペーパーナイフは日本兵の上腕骨で作られていたものです。
そして今この21世紀にウイグル人の毛髪を集めたカツラを大量に輸出しアメリカで強制収容所から集められた毛髪かもしれないという事で問題になっています。
昭和天皇とドクロの絵
なんの背景も見いだせないし、ただ単に昭和天皇を貶めたい絵だという印象しかありません。
オランダで賛美されているとしたら、かなりショックです。
天皇は日本の象徴です。象徴を貶めるということは、日本国民を貶められているという感覚を覚えます。
公費で展示するものではありません。
表現の不自由展は、もろに政治イシューの作品に未知溢れていたわ。
色紙に毛筆で
梅雨空に九条守れの女性デモ
と書かれていたわ
作者非公開
さいたま市の公民館でサークルで1位に選ばれたのに、公民館が拒否したからですって!
サークルで選ばれたのに~公民館が拒否~腹立つ~応援団が結成されたのに作者は非公開だって
作家の意図を全く汲み取る気が無いのでしょうか。
貴方の言っているのはコラージュの遠近を抱えての方ですね。おそらく他の方と違い、実際にトリエンナーレの会場に足を運ばれた方でしょう。
貴方の見たものは、昭和天皇と人体解剖図のコラージュです。骸骨ではありません。
貴方の挙げたトロフィースカルと根本的に違うのは、それが単なる解剖学という学問の範疇にある単なる学術的図解と、実際に生きていた人間の死の結果生じた遺骨という、そこに命、人生の有無という決定的差異がある事。
「死体」という文字も、実際に殺された人間の死体そのものも、表すものは同じでも全く違うという事を理解できないだろうか?
骸骨というモチーフは多くのアーティストが用いる。そこには勿論、「死」という直接的メッセージを込める事もある。が、皮膚を剥ぎ取り、骨になったら人間は皆区別のつかない骸骨になる=肌の色や外見で人を差別する事の愚かしさを骸骨に込めるアーティストも多数いる。
ただの骸骨を見て、表層的に死のみにフォーカスしたり、短絡的にトロフィースカルと結びつけるのは、ロックを悪魔の音楽と非難する宗教団体同様、余りに浅はかと言わざるを得ない。
が、見る側に全てを託された芸術作品に於いて、どういう解釈をするかは自由、鳩が飛ぶ姿を見て、戦争を想起したとしても、それを責める事はできないだろう。
しかし、貴方がトロフィースカルに強烈なトラウマを感じ、その様な作品を見たくないのなら、当時のあいトリの会場には、一応注意書きもあった。それを見落としたのなら、貴方のミス。
>そして今この21世紀にウイグル人の毛髪を集めたカツラを大量に輸出しアメリカで強制収容所から集められた毛髪かもしれないという事で問題になっています。
これは完全に蛇足。どこかの隣国のイチャモンレベルのお話。今回のあいちトリエンナーレとは無関係な話。
>天皇は日本の象徴です。象徴を貶めるということは、日本国民を貶められているという感覚を覚えます。
今回の大浦さんの作品に取り上げられているのは、昭和天皇です。最初からずっと象徴天皇であった人ではありません。
大戦中は、帝国日本の統帥権を持った絶対的存在であり、日米開戦後は明らかに、好戦的に戦争を支持していた方。
最初からずっとその前から象徴天皇と向き合い、まだ反天皇制の集団の勢いの有った時期に命を賭して、沖縄の地に足を踏み入れ、実際に火炎瓶まで投げつけられた上皇陛下とは明らかに、違う。
大浦氏には全く反天皇という意図が無かったのは、あの美しいコラージュ作品を見れば一目瞭然。彼の内なる魂の自画像たる心象風景にあれだけ昭和天皇の像が重なるというのは、彼の「内なる天皇」の存在としての大きさを感じずにはいられない。1949年生まれで、戦後世代とはいえ、まだ傷の癒えない日本と共に生きた彼の皮膚感覚だろう。30代の私の感覚とは明らかに、異なる。
昭和天皇は息子が命を賭して足を踏み入れた沖縄の地に、ついぞ足を踏み入れる事は無かった。
>天皇は日本の象徴です。象徴を貶めるということは、日本国民を貶められているという感覚を覚えます。
公費で展示するものではありません。
強い違和感と浅はかさを禁じ得ない。
私は天皇制賛成だし、むしろかなり右寄りの人間だが、昭和天皇は受け入れられない。自分が平成生まれという事もあるだろうが、裁判上決着がついていようとも、戦争責任ゼロとは全く納得出来ない。
が、税金はおそらく標準以上収めているし愛国者だと思っている。中には天皇制反対だけど、愛国者で税金を多額収めている方もいる。
公費での展示がまかり通らないというなら、その論拠をお聞かせ願いたい。




































