在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「平和の少女像」撤去 あいちトリエンナーレ
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、元従軍慰安婦を題材とする韓国人作家の「平和の少女像」が出品され、同市の河村たかし市長が撤去を求めていた問題で、主催する実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事が3日記者会見し、像を展示していた「表現の不自由展・その後」コーナーを同日限りで中止すると発表した。
昨今の輸出管理強化の問題も影響していると思いますが、両国の関係はこのまま悪化し続けるのでしょうか。
落しどころはあるのでしょうか。皆さんはどう思われますか?
梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」俳句不掲載では、東京高裁 原告女性訴え認めています。「東京高裁(白石史子裁判長)は、さいたま地裁の判決に続いて俳句不掲載は違法だと認め、市に5000円の支払いを命じる判決を下しました」
えっ5000円?
これって公民館と結託して自作自演での話題作りかもって、うがったみかたしちゃうな
作品のビデオの途中に菊の紋と戦国武将の兜とをまとった集合写真はなんの意味があるの?
中央の戦国武将の周りには、骨だけの人間、上部の部分には、白い服をまとったチマチョゴリのような服のヤジロベエ凧のようなものが何個も釣り下がっていて、下部にはドクロの絵、バックミュージックは韓国の民謡?みたいなものが流れていました。昭和天皇の顔は4枚その中でバーナーで焼かれて足で踏み踏みしているビデオでしたね。
インパール作戦に派遣されたのは、日本人と台湾人です。
台湾の兵隊には台湾の看護婦が付き添い、日本兵には日本人の看護婦が付き添いました。韓国の音楽を使うよりも台湾の音楽を使うべきです。
そして砂浜から少女が現れる桜の枝の画像の鎧とチマチョゴリは恐らく豊臣秀吉の朝鮮出兵でしょう。オランダでは昭和天皇が訪問した際、魔法瓶を投げられるくらい嫌われていたので、オランダで受賞されたのは納得できるものです。
豊臣秀吉の家紋は菊じゃないし、その時の天皇は朝鮮出兵に反対していました。
おそらく朝鮮学校で従軍看護婦に多くの朝鮮人女性が犠牲になったとデマでも教育された方らしい作品だったなという印象です。
芸術品に対して感想を述べるのは自由ですよね。
作家さんは、史実を知らずにお育ちになった哀れな日本作家なのでしょう。
これからも海外向けに昭和天皇は利用されるでしょう。
昭和天皇は知名度があります。
知名度を利用した芸術作品に価値を見出すほど、日本国民が劣化したということですね。さすが日教組の教育
白馬事件を裁いたオランダ軍事法廷のBC級戦犯裁判も開かれたし、オランダ人が血をみるとこの裁判を思い出すのでしょう。
オランダ人はインド領を統治していた。
日本が南方作戦をきっかけに、インドが独立してしまった。
白馬事件に領土を失った。結果昭和天皇恨まれる。
魔法瓶ぐらい投げられる。
大浦信行の作品が受賞をした理由の一つでもあると思います。
インド国民軍が結成されて、日本軍と協同して、ビルマからインド東北部のインパールを目指して進撃しています。ビルマは英国が占領していたし、オランダが占領していたインド国民軍がインパール作戦で日本軍に協力したことを教えられることは絶対無いから・・・・
貴方方韓国の方と違い、先の大戦を根に持って、80年経ってもウジウジ遺恨を残すような事はしないのですのよ。
オランダのお知り合いがいらっしゃらない様ですし、民族的に「恨」が大好きな国民性ではご理解が困難なのでしょうが。
オランダは鎖国時代の日本が、西洋で唯一交流した国。江戸時代の日用品や道具類、陶磁器、漆器、浮世絵、そして民家の模型など様々な物資が持ち帰られたといいます。
オランダ人、フィンセント・ファン・ゴッホと日本との関係も有名ですよね。安藤広重の浮世絵を真似て書いた絵は、ゴッホ美術館にも展示されています。
ゴッホは400枚もの浮世絵を所有していたといいますが、浮世絵がゴッホに与えた影響は計り知れないでしょう。
2000年に世界遺産に登録された、オランダのユトレヒトにある「シュレーダー邸」。
建築家兼家具デザイナーであるヘリット・トーマス・リートフェルトによるものです。
1923年、日本の大正時代に建てられた、デステイルを体現したような、モダンで現代的なこの邸宅は、当時にしては至る所に斬新な処理が見られます。特に2階が特徴的。一つの広い空間がスライディングウォールによって、最大4つの個室を生み出せるようになっています。
この、季節、気温、風や天候により可変する家、スライディングウォールによる空間の変化を可能にした作りは、日本の民家の「明かり障子」「ついたて」「ふすま」などから着想を得ていると言われています。
リートフェルトは、晩年、ゴッホ美術館を手がけています。
そして、リートフェルト没後、ゴッホ美術館の増築棟(1999)を東海高校卒、黒川紀章が手がけています。
日本とオランダの、浅からぬ「縁」を感じずにはいられません。
オランダ人にとって、東洋の小さな国の文化は極めて新鮮であったことは容易に想像できます。
そして、それをインスピレーションに新たな創造に繋がっているのだと思います。結果、想像されたゴッホの作品は、日本で絶大な人気を博している。
そこにはお互いの文化に対する尊敬が確実に存在しています。
物事の対立軸、相手の欠点を突く事にしか注力しない民族も、悲しいかな隣国に存在します。
が、そうでない未来志向、融和に着眼する民族同士においては、そういう国の方が想像しえない、深い結びつき、相互理解が可能なのです。
未だに戦後から抜けられないなんて、可愛そうですね。
北ビルマのミートキーナ(現ミチナ)の慰安所には、日本人、台湾人、朝鮮人に加えてビルマ人の慰安婦がいたと言われています。
ビルマの慰安所の慰安婦の収入報告書を軍に提出していたのは朝鮮人です。
その朝鮮人がポイポイ懐に入れてたかどうかは知りませんけどね




































