女子美の中高大連携授業
中学校内申は、本来はどうあるべきか。
内申は、こどもの意欲をそぐ不平等なものです。
わが子も受験生。その不条理に苦しめられています。
みなさんは、内申についてどのように思われますか。
>内申点制度に不満をもっていらっしゃる親御さんは定期テストや模試の成績さえ良ければ
授業態度や提出物の期限遵守、筆記の雑字はどうでもいいと考えているのでしょうか?
お答えになるかはわかりませんが。
わたしが紹介した海外の入試選抜制公立進学校の事例は、あくまでhigh achiever(高学力者)のための公立校ですので、高偏差値層から低偏差値層まで全員が受験する日本の公立高校入試はあてはまりません。
これら海外の公立進学校が内申書を全く用いず、学力テストだけで全生徒を選抜、あるいは数学と理科だけ、数学と英語だけの内申点と学力テストの総合点で全生徒を選抜、というシステムを取っている理由はあります。
学問的教科を重視する高校である以上、それ以外の要素は生徒の選抜に不要、というポリシーがあります。
そして、出身の公立中学(中高一貫進学校の場合は公立小学校)の相対的な内申点はあてにならないとしています。
ある一つの尺度、すなわち学力テストの結果のみで選抜というのは、高学力者だけを選抜して入学させる難関大学入試に通じるものがあります。
どこの中学で学んだかには関係なく、本人の努力と能力の結果(独学であろうと塾でテスト準備しようと、受験生本人の努力と能力を反映していることには変わりません)である客観的なの学力テストを、学校ごとの評価方法にばらつきのある内申書よりも信頼する・・・・そういうことではないでしょうか?
ここのスレで内申を選抜資料に用いることに反対している保護者や受験生は、評価が教師の個人的な好みで左右され、学校ごとの評価方法のばらつきもあり、かつ高校入試において選抜資料としての比重の高い今の内申書の扱いは、間違っていると考えています。
もちろん、わたしもその一人です。
>授業態度や提出物の期限遵守、筆記の雑字はどうでもいいと考えているのでしょうか?
通常の学習態度を、公立中学校の教師が評価しポイントをつけるのはかまいませんが、そういうことをきちんとして、なおかつテストの点は良いのにも関わらず内申点が高くつかない、あるいは個々の公立中学教師が好む生徒像と異なるならば内申点が低くつく、というのでは資料としては不適切です。
内申書の恣意的要素が強すぎて、選抜資料には不適当と言えます。
少なくとも勉強のできる生徒を選抜して、大学進学への準備教育を行う公立進学校は、海外先進国の事例のように、学力テスト一発勝負入試か、内申書の使用科目を限定する(数学と英語、あるいは数学と理科だけ)システムに変えるべきです。
どうして様
ここで内申制度の問題点に言及されている方々は
振ってわいた話ではないからこそ、
日本の公教育の危機を冷静に指摘されているのだと思いますよ。
言いたい事はおおむね「国立医学部の一般枠と地域枠」様が
言ってくださいましたが、少々瑣末な話になりますが
実体験から補足させていただきます。
ここで皆さんが問題にしているのは
公立中学の先生の中には、自分の授業、クラス運営=学校運営に最も重きをおき
生徒の将来性や才能といった、本来教師が最も大切に育ててくべきものを
ないがしろにしている方達があまりにも多いのではないか、ということです。
いわゆる勉強の能力や努力に合わない内申点を付けられている子の多くは
決して授業の妨害をしたり、あきらかに授業に参加する意志がなかったり
粗雑な提出物を出したりしてるわけではないのです。
先生方の多くはいわるゆる「ワル」には気を使います。
学校運営上その方が都合がいい(そうせざるを得ない?)からです。
内申制度の矛盾の犠牲になっているのは
もともと勉強の能力が高いか塾などに通い点数を上げる努力をしている
学校生活、行事では目立たない=学校運営上は影響力のないおとなしめの子達です。
先に挙げた息子の友達もその典型で
息子はいつもその子のことを
「授業の邪魔をしているわけでもなく、字ももともときれいじゃないからしょうがない。
テストの点数は抜群なのに成績が悪すぎる。
チョイワルのヤツはちょっと点数が上がるとすぐ成績が上がるのに。」
と言っておりました。
正直、「塾で先取りをしたり、自分達が通常想定している範疇を
越えてしまっている子に非常に不寛容だ」としか思えない評価だったと思います。
この、塾に通って先取りをすることに関しても
ゆとり教育に不安を感じたり、もともと勉強が得意な子に
より高い学力を得る機会を与えてやろうと親が思うのはごく自然な事だと思います。
知識欲の高い子、勉強の能力の高い子は国の宝です。
こういう層の子供たちも含めて全ての子供たちの能力を伸ばす
手助けをしてあげるのが学校教育の本来の目的ではないでしょうか?
以上これはわが子の通っていた中学での具体的な話ですが
もちろん先生によって評価の基準が異なっていましたし
ましてや学校間では評価基準や内申の事情がそれぞれ異なっているのが実情だと思います。
ことほどさように、各校、各先生の恣意的要素の高すぎる内申は
「国立医学部の一般枠と地域枠」様がおっしゃるように
選抜資料として問題が多すぎると私も考えます。
以前、大学の先生が調査したレポートで読んだのですが
関心や意欲をある基準にのっとって数値化して評価に入れるというのは
日本独特のものらしいですよ。
例えばアメリカのように多民族国家の場合、
ある民族は積極的に自分の能力をアピールすることで意欲を表し、
またある民族は相手の話をよく聞き協調することで意欲を表す…といったように
一つの基準で関心や意欲を測ることができないのだそうです。
民族や人種といった文化的背景や家庭環境、経済状況が
子どもの学習意欲に大きな影響があると考えられていて、
それを前提にそれぞれの能力に合った教育を、という視点が当たり前のようです。
それと比較して、日本の内申は非常に狭い範囲のタイプの子に有利なように思います。
それぞれの子どもの能力を全方位で評価していたら
高校受験には使えなくなってしまいますからね…。
生きる力を育てるといいながら、
実は日本限定の能力を育てようとしているのかもしれません。
今までのように経済成長が右肩上がりなら、
みんな同じ方向に向かって努力すればそれなりに報われたのでしょうが、
これからはどうなんでしょう。
様々な形で社会に貢献できる人材を育てるには、
それぞれの子どもの多様な能力を見つけられる評価であってほしいと思いますが、
高校受験と結びついている限りそれは難しいと感じます。
私が高校受験をした20数年前は相対評価で内申も定期テストの点重視。
けれど定期テストで上位の子達はテストだけでなく総合的に「出来る子」というイメージでした。
今、娘は中学1年生
数学に関して言えば90点代後半をとっても「4」です。
けれど2学期の期末70点台でも「4」がつきました。
親としては「???」
その他の教科でも「???」なことはあります。
1学期上位5番以内だったのに30番台の子とほぼ内申がいっしょだった娘
1学期の方が順位が良かったのに2学期の方が内申がいい・・・
まさに今の内申制度はそういうことなのだと思います。
1学期の内申を見て親子で考え
2学期は「見やすいノート作り」からはじめ
提出物も手を抜かないできちんと仕上げる等、地道にやっていきました。
その結果が2学期に表れたのだと思います。
でもねこの2つをやると試験前が楽だってことに気付いたんですよ
まとめなくていいしどこを勉強すればいいかわかるから・・
それに甘えてちょっと点数が下がったのは残念でしたが、
3学期はその調整が課題だと思ってます。
定期テストの順位は確かに大事だけど
中学生なのですから
テスト以外にも大切なことはやっぱりあるのではないでしょうか・・・
娘の塾(数学と英語)も1,2年の内は内申点をあげることを重視して行われます。
結果いわゆるトップ校に沢山合格しています。
今の内申制度がいいとは思いませんが
今の現状がそうである以上ある程度順応していくことも
大切なのではないでしょうか・・・
この手のスレッドは各論で議論が基本であることを承知で総論を言わせていただきます。
内申制度によって、学習意欲が増す生徒と、衰える生徒がいるはずです。
その数がどちらが多いかによって、この制度がいいものかどうかは決まるでしょう。
どうしてもこういう掲示板では優秀なのに内申点が取れない親の発言が多くなります。
しかし、もし、内申制度で学習意欲が増す(しかたなく頑張るというケースも含めて)生徒が、過半数を大きく超えていたら、なんだかんだ言っていい制度、ということになるのだと思います。
その場合、内申点が取れないけれど試験では成績のいい生徒は、もっと上位の高校を目指して、勉強量を増やすでしょうし。
つまり、総体として見た場合、全国の中学生の勉強量が増えていると言えるのであれば、制度として間違っているとは言えません(気持ちの問題は別として)。
逆に、内申点によって生徒の学習意欲がそがれて、内申点が取れないことからの諦めで全体の勉強量が減っているとしたら、制度は間違いです。
実際、どちらなのでしょうか?
内申点をつける方法に、教師の恣意的なものが介入する可能性があることなど、問題点はあると思いますが、本当に問題がある制度なのかは、上記のようなことを総合的に考える必要があると思います。
ちなみに、うちの場合は、内申の関係のない高校を選びました。
個人的な思いで言うと、内申制度が高校受験にかかわらなければ、もう少し選択肢が広がったようにも思いますが、100%満足なことはないでしょうから、満足度が50%をこえればそれでいい、ぐらいの気持ちでした。
>総体として見た場合、全国の中学生の勉強量が増えていると言えるのであれば、制度として間違っているとは言えません
内申書があっても、実は中学生(おもに公立校)の勉強量は増えていません。
数年前、東大教育学部の苅谷教授らが報告したリポートでは、高校入試を控えた公立中学生の学習量は両極分解しており、少数の学力上位層はさらに学習量を増やし、それ以外の生徒の学習量は以前よりも減少しているという内容でした。
また、保護者の収入の高いほど、公立中学生の学習量が増えており、収入が高くない保護者をもつ生徒の学習量は、以前よりもずっと減っているという点も報告されていました。
これは費用のかかる受験塾で試験準備しているかどうかも関係しています。
最近、発表されたPISAテストの結果でも、数学と科学(理科の)ランキング上位国のなかで日本は際立って最上位層が少なく、反対に下位層が他国とくらべて厚い(失笑)ということが分析結果になっていました。
ごく少数の最上位層が日本の平均点をあげていた、とも言い換えられます。
高校入試での内申点があっても、大多数の生徒は勉強していないし、国際的な学力調査でもそれが反映されています。
>本当に問題がある制度なのかは、上記のようなことを総合的に考える必要がある
日本の場合、難関大学進学を目標としていて、かつpotentialもある高学力層が公立高校入試に臨む際、必ずしも学力どおり(偏差値通り)に選抜されているわけではない、といことが内申書を選抜資料に使用することへの是非の議論となっています。
それが内申書使用反対派の根拠でもあります。
実際は高学力なのに内申点が低くて、公立進学校入試で不利になる、というのが不満ないし不信につながっています。
そしてそれが、高学力層が公立中・高を敬遠する理由にもなっており(テスト一発勝負の中高一貫私学に流れる)、公立進学校の難関大学進学実績が振るわない原因でもあります。
もちろん、それだけではなく公立高校の学習プログラムや教師の教科指導力にも原因があるでしょうが、入口段階で見たらです。
おそらく、日本の公立高校行政には海外の先進国にあるようなGifted and Talented Programの一環としての公立進学校入試にあるような学力テスト重視が思いつかないのでしょう。
high achieverと、その他大勢は、それぞれ異なった選抜、異なった教育、が必要であるという視点の欠如ではないでしょうか?
日本がアジアの島国ということもあるかもしれませんが、韓国やシンガポールなどは、日本とは異なった公立進学校入試を採用しています。
極端に高学力の生徒のための公立進学校というきらいはありますが。
私見ですが、紹介したような海外に先進国なみのhigh acieverだけの入試選抜制公立進学校を日本も設置したとしたら、難度の高い学力テスト一発勝負入試になるかもしれません。
現状において、日本の公立校行政は、あっちにいい顔、そっちもいい顔、のようなone fits allの八方美人的な選抜方式しか、できていないのが現状でしょう。
追記です。
いままで紹介した事例以外でも、海外の入試選抜制公立進学校があります。
入試としての難度の高い学力テストのほかに、州ないし国が規定して全生徒が受験する学力到達度を測る目的の標準的な学力テストの得点を内申書かわりにもちいる場合もあります。
米国シカゴ市のSelectice Enrollment High School(http://www.cps.edu/Schools/High_schools/Pages/Selectiveenrollment.aspx)、米国カリフォルニア州で州第1位の学力パフォーマンスを示すWhitney High School(http://www.whitneyhs.org/index2.jsp)、おなじく州2位のOxford Acedemy(http://www.auhsd.k12.ca.us/42-oxford/)があります。
シカゴ市の場合、イリノイ州が実施する中学時代の標準テスト(学問的教科のみ)、カリフォルニアの場合も州の標準テスト(CST)を用います。
また、シンガポール国立大学付属高校の中学1年でのentry pointの場合も、シンガポールの小学校卒業共通テストをselection test受験のためのscreeningとして使用します。
難度の高いselection testを受ける前の一次選抜にもちたり、その点数とselection testの総合点で合格判定したり、というように使用法は異なりますが。
日本でも学力到達度を見るための英数国理社ないし数学と英語のtestを内申書がわりに用いたら、すくなくとも教師の評価による内申点の恣意性からは脱却できるでしょう。
千葉大の教授が、日本は平均的な人間を作る事を大義名分としてきた。千葉大には飛び級もあるが出る杭はうたれるので、うまく機能していない。 勉強だけできてもその他がついてこなければなんにもならないという意見がつきまとう。 ところがそういうことをいって出る杭を打ち、上を目指させずに平均を志向しているのは世界の中でも日本だけだといっています。 そんな国、他にはないんです。
内申制度があるのだからその範囲内で精一杯順応しよう、ノートを工夫すれば定期テストもいい結果がでてくるというのはそれはとてもいいことだとは思いますが、茲で論じられているのはその範疇を超える子供に対する議論なのです。
みんなが超先端の技術を開発する職業に就くわけではない、でも、人の能力こそが日本の生命線だとしたらその少数の頭脳をしっかり育成する事はとても大事なのになぜかないがしろにされているのです。
こういった風潮を見ないように考えないようにしているうちにどんどん日本の知の地位が下がっていると言う現実をもっと教育に携わる人は危機感を持ってほしいと思います。
内申をがんばってあげて、高校受験でトップ校に入っても出口では私立に大きく負けてしまう。 どうしてか? 広い視野で考えないといけないと思います。




































