女子美の中高大連携授業
公立高校の最低迷期、1900年代を語る
超伝統公立校、日比谷高校の東京大学合格者数
1990年 8人
1991年 7人
1992年 8人
1993年 1人 ←まさにこの人のおかげで日比谷の連続性が守られた
1994年 7人
1995年 4人
1996年 3人
1997年 6人
1998年 2人
1999年 2人
1990年代に都立トップを卒業と思われる方の経験談のコピペ
当時の都立トップは桐蔭理数科より完全に格下だったけど、桐蔭理数科蹴りは結構いたよ
当時の都立トップは中大杉並とかにも滑り止めにされてて入試本番は欠席だらけでガラガラだったけど、難関私立蹴りも普通に多かった
早慶附属以上蹴りは稀少(同学年であくまでも知る限りだけど8名くらいかな)
高校入学直後のテストで上位1/4程度の成績の人でも桐蔭理数科・マーチ附属上位・巣鴨・城北・明治学院女子(いずれも、当時は今よりずっと難しくて、蹴る蹴られるは置いておいて都立トップより難易度的には完全に格上だった)
早慶附属蹴り(あと海城蹴りも。早慶附属や海城蹴りはスゲーってリアクションされていた)はやっぱ大学受験でも良好で東京一工とか国医に行ったのが多かったな
桐蔭理数科・マーチ附属・巣鴨・城北・明治学院女子あたり蹴った人たちは私大医・早慶・北大・横国大・千葉大・東京理科大あたりが多かった気が(一工合格も複数いた)。明治学院蹴った女子は東大前期現役合格が1人いた
豊島岡女子も当時は中大杉並とかと大差ない入試難易度だった記憶があるけど、豊島岡蹴りは知る限りいない。実際はいたかも
「蹴った私立は最高でも成城(成城学園じゃなくて、当時高校募集していた新宿区の成城高校)」とかってタイプは入学時は中位くらいだろうなあというイメージ
国学院・農大一・郁文館・本郷みたいな易しい私立しか受けないタイプも多かった。でも、併願合格は国学院とかしかないってタイプでも一橋受かった人、2人知ってる
意外と言っては失礼だが、高校に推薦入学で入って来た人達は東京一工国医に受かった人、結構いた。ちなみに当時も内申44以上じゃないと推薦は厳しいって言われていた
早慶附属落ちは凄まじく多かった(たいてい記念受験だったと思う)
早実普通科に本人曰く記念受験で受けて落ちた人(70前後クラスの難関私立は蹴ってた)が京大に受かってた
同じく早実普通科に本人曰く記念受験で受けて落ちた人(60前半クラスの私立蹴り)は早大法に受かってた
早慶附属全滅(多数受けたみたいだから記念じゃなくてそこそこガチ受験か?)で早慶理工もいた
※各人がどこの私立高を蹴ったかは、本人の弁・難関高校合格者の氏名を載せた塾の新聞チラシ・某大手通信添削の難関高校合格者一覧冊子(当時はあった) などから知りました




































