在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
神戸大学は、本当に旧帝早慶一工レベルに迫る難関大学であると言えるのか。
神戸大学を、スレタイのような難関大学と同列に語る人が多いように思いますが、実際のレベルはどうなの?
確かに医学部はレベルが高いみたいだけど、それ以外は大したことないし総合的には筑波とか外大とかと同レベルなのでは?
いい「鴨」に見えてしまったのだろうか。
私自身は、当時の「東洋哲学研究会」「国防研究会」の学生たちが一介の高校生に過ぎぬ私ごときに真剣に議論の相手になってくれ、とても好印象だった。とくに前者で、宗教の欺瞞性を指摘した私に対し、相手の学生たちが困ったような顔をしたことが気になっていた。その後、彼等は信濃町の「イケダ教」の学生部であったと知った。
いずれにせよ、それがきっかけになり今日に至ったわけである。あらためて、あのときの優しかったー名も知らぬ―先輩方は息災であろうか、との思いに耽る。
「人間の意識がかれらの存在を規定するのではなくて、人間の社会的存在こそがかれらの意識を規定する」のである。また、フォイエルバッハも「人間は意識されない根底の上に、意識を以て立っている。人間は自分自身の中で一個のよそ者なのだ」と指摘する。
すなわち、意識する存在の底に意識されない存在があるということだ。したがって、それが行動として現れるとき、その行動の場としての社会的存在は個々の人間の自由意思だけで勝手に変更できるものではないのである。
それゆえに『早稲田』との社会存在が、そこに集う学生の意識を規定するのである。そうであるからこそ学部で迷わず、まずは「早大生」になること自体を最優先にすべきだと私は訴える。一の橋を渡らずして、二の橋はないからだ。その意味で、次の校歌三番は意義深い。
三.
あれ見よかしこの 常磐の森は
心のふるさと われらが母校
集り散じて 人は変れど
仰ぐは同じき 理想の光
いざ声そろへて 空もとどろに
われらが母校の 名をばたたへん
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ
> あなたにとっては5教科受験が優秀という定義?
何を5教科受験といっているのかわからないが、高等教育を受けるのならば、中等教育で履修したどの科目も基礎レベルに到達していることが求められるんじゃないか。土台ができていないのにものを上に積み上げてもね。
> それゆえに『早稲田』との社会存在が、そこに集う学生の意識を規定するのである。
立場がその人を作るとでも言いたいのだろうが、一歩間違えればブランドバックと同じだよ。中身が伴っていないのに、それを持っているだけで自分はそれなりの人と勘違いしてしまう。バブルのころは猫も杓子もブランドバックを持っていたが、同じ品質のものが安く手に入るようになってからは一般の人が持つことが少なくなった。結局その人の能力と持っているものの価値が釣り合っていなければ、釣り合う方向に収斂していくんだよ。
「立場」のような人間的個々人の意識が、それぞれの存在を規定するのではない。その逆だ、早稲田大学という社会的存在が、そこに属する人間の個別的=社会的意識を規定するということだ。唯物史観の公式である。また、それゆえに早稲田は政治やマスコミに強みを発揮する。そして東大法学部は官僚に、中大のそれは実務法曹に、さらに慶應が実業界なら、青山はCA、アナウンサー等に実績有するのであろう。
それすなわち、「私立大学は、国等や地方公共団体ではなく、『学校法人』が設置し、運営しています。創設者(私人)の強い想いと、その想いに共感した人々の支援によって設立された、私的(private)な学校です。/全ての私立大学は、創設者の想いを『建学の精神』として脈々と受け継ぎ、その精神に基づく個性豊かで多様な教育を行ってい(『私立大学連盟)』HP)」ることの表れである。




































