在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
神戸大学は、本当に旧帝早慶一工レベルに迫る難関大学であると言えるのか。
神戸大学を、スレタイのような難関大学と同列に語る人が多いように思いますが、実際のレベルはどうなの?
確かに医学部はレベルが高いみたいだけど、それ以外は大したことないし総合的には筑波とか外大とかと同レベルなのでは?
キミのような素朴な御仁が、ある意味でこの国の科学の現実を象徴する。
同時に、広島に原爆投下された直後、今後の対策として国民に「白系統の服を着ること※」を悪びれず新聞紙上で開陳したどこかの旧帝国大学(当時)のセンセイを思いだした。爆心地では、地表の温度が3,000~4,000℃に達したほどの熱量だったともいうのに。
以下、私の書き込みからの転載
「唯物論哲学は、自然科学と全く土台を同じくする。すなわち物質を根源的な実体と認め、感覚や意識、恣意を二次的なものとする。そして、科学の進歩によっても未決定なものについてはどこまでも謙虚である。したがって『分らぬもの』の空間に勝手な神秘的世界を幻想しない。もしその節度を失えば、その『限界のかなた』は、野放図な妄想の巣と化するからである。
西欧の科学に比べ、日本のそれが決定的に立ち遅れているのは、そうした人文科学的知見の欠如乃至軽視である。それゆえにこうして迷走を繰り返し、日本の科学はその都度蹉跌をきたすのである。残念だが、今般のコロナ禍騒動もその例外ではないようだ。大阪での『雨合羽』や『イソジン』騒ぎも、その文脈上にあったといえる」
※もっとも、それから70余年後になっても、総選挙で勝ちたいとアベ前首相が「北朝鮮からの脅威」を煽ったとき、田舎の老婆にまで「核ミサイルが飛んで来たら、木の陰にしゃがむ」ことを大真面目に演習させた。アベにそれを吹き込んだ「(御用)科学者」の神経を疑う。
「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である(An unending dialogue between the present and the past。)」E.H.カー Edward Hallett Carr(『歴史とは何か』岩波新書)40頁。
この歴史家にして外交官たる英国の碩学による、あまりに有名なこの言葉を知らぬらしい。私はこの本を高校生諸君にお勧めしてきた。いずれにせよ、キミの言い草にこの国の理系社会に致命的に欠落しているものが凝縮されているといえる。




































