女子美の中高大連携授業
古文漢文要らない
大学入試の科目(東大など科目数が多いケース)
文系でも統計などで数学は使うので、最低限の数学は必要。
理系でも現代文が読めて書けなければ話にならないので、現国は必要。
グローバル社会の中で、英語はどの分野に行くにも当然必要。
文系の人でも、理科的思考はある程度経験した方がいい。
理系の人でも、世界の地理や歴史の基本的なことは、たしなみとして知らなければ恥ずかしい。
ところで、古文、漢文、大学入試にある意義はなんでしょうか?
東大なんか、理系の2次でも古文、漢文ありますが、その後の人生でほぼ何にも役に立ちません。
ここから改革してほしいです。
皆さんどう思われますか?
文系・理系とて、求められる勉強量に本来差異はない(法の想定でも)はず。ただ一部を除きその性質上、理系の学びの多くがラボ等での実験・観察等であるのに対し、文系はそれが必ずしも教室という物理的場に限らないということだ(あえて二項対立的に比較すれば)。また1日における形式的勉強時間においても、国家試験を志す法学部生ならば、毎日ほぼ休みなく12時間程度は机に向かうのが通例であった。問われるべきはなによりその「質」であり、理系人士の言動には多分に独りよがりな勘違いも見受けられる。基本的に一人で黙々と長時間に亘り本を読み続ける学習スタイルの法学徒に比べれば、複数の人々がいる研究室で和気あいあい(?)とやれる理系の方が楽しく時間が経過することだろう。
ところで、それに関連して他スレで次のような卑見を記した。話題は経済についてであるが、そこには理系人士の陥りがちな陥穽も意識した。「無駄」や「非効率」も悪くはない。ご参考までに。
「シカゴ学派のフリードマンやハイエクらの現在の市場重視の経済学が復活した背景には、1970年代でのスタグフレーションが一般化し、それまでのケインズ的経済政策が功を奏さなくなったことがある。そこに不運にも英国のサッチャー、米国のレーガン、日本の小泉といった「三〇カ」までが登場し、規制や保護が経済の活力を喪失させたとか、社会福祉は人間を怠けものにするとかの手前勝手な主張を声高に吠えた。さらに、ソ連・東欧のスターリニズム的「社会主義」の崩壊で、グローバル化と自由主義化が世界を席巻した。その結果、ケインズ経済学も憩いを失った。だがそれは、必然的に社会矛盾を激化させる結果をもたらした。
他方で米国は、20世紀終わりになるとモノづくりで日本、さらに中国や韓国などに勝てなくなり、金融商品の開発で以て挽回を図った。ヘッジ・ファンドや投資銀行である。しかしそれは、実体経済から切り離された幻想的で危うい現代版錬金術であった(唯物論者なら、こんなインチキに欺かれはしない)。そもそも人間は物理的存在たる「粒子」と同質の存在ではない。そこに数学的緻密さで以て行動原理が完全に予測可能であるはずがないのである。したがって、そうした自然科学的方法を漫然と社会現象に適用すると、そこに大きな誤りをしでかすことにもなりかねない。換言すれば、「人間、誰もが、自分の利益の極大化を目指して行動する」とは必ずしも限らないということだ。むしろ、そうした人間の論理が、社会には不可欠であると思われる(「分かっちゃいるけど、やめられない」、「誰が何と言おうと、嫌なものは嫌だ」の如き)。
そこに2008年のリーマンショックで、投資銀行間の生き残りをかけたリスク軽視の営業がサブプライム・ローンの貸倒れ確立計算を狂わした。そもそも、住宅価格の急速な上昇を前提にして成り立っていたサブプライムローンは住宅需要が一巡すれば価格は頭打ちになり、破綻することは必至であった。しかし、当時の異常な市場原理主義は、「人間は自己の利益の最大化を図るために合理的に考え行動する(はず)」との自然の論理に忠実であった。
したがって、今後の資本主義は上記の苦い蹉跌の上で自由化と規制化とがせめぎ合いながらも、全体のトレンドは環境問題含め規制と保護が重視される時代へ修正されていくものと思われるのである。そこでは、あなたのご所論とは異なり、再び官民一杯となった新重商主義的傾向を帯び、再び国家による大規模な経済への介入を基調とする管理資本主義へ再修正されていこう。ケインズの復権である」
君には呆れるよ。理系に漢文をやれというのなら、文系には数3Cまでやれというのが筋だろ。にもかかわらず、数学は道具だから文系は必須でなくてもいいというのは全く筋が一貫していないね。使う使わないで言ったら、理系は漢文どころか古文さえ使わないよ。ほんとにご都合主義だな。
20ページ弱、読んでいないところがあって、申し訳ないのですが。
途中に議論を分断する発言をしてしまって、すみません。大変面白くて、夕飯を作るのをさぼって読みたいところです。
子どものひとりが理系を選択するのに随分と悩みました。漢文を面白がりますし、古文は原文を口ずさんで愉しむようです。調べが心地よいのだとか。またインター出身の子どもは「漢文があって助かった。」と言っておりました。古典、現代文に比べて解りやすいのだそうです。私は文系出身ですが、文系もレベルが上がれば上がるほど数学的思考が大切になっていき、数3を課してもいいのじゃないか?という気もしてしまいます。ただ、子どもで知ったのですが、「いまは理系科目ができないから文系」という色が強くなっているのですね…
「大学がなぜ存在するのか」そんなことを考えながら、残りを読み進めたいと思います。題名から受ける印象と目に入った数行にちょっかい的なコメントをつけてしまい、失礼いたしました。




































