在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
東京一工>早慶上位学部>その他国立は関東独特の価値観か?
エデュによく登場する価値観であります。
しかし私立の早慶が大半の国立より上という価値観は首都圏以外では、
ちょっと通用しないような感じ(違和感)がします。
単に地理的なところからの価値観なんでしょうか?
また中にはマーチ>地方国立。というとんでもない事を言い出す方も見受けられます。
如何なものでしょうか?
学生の就職を考えず研究、官僚養成、アカデミズムに特化してできたのは東大、京大と一部の旧帝・学部だけだよ。一橋は商法講習所から経済人養成の東京商大、東工大も東京職工学校だ。地方の国公立も高商、教師養成の師範学校が前進。大半の国公立が就職学校だ。その流れは今も健在。一橋の学長なんて「諸君はビジネス界、法曹界での活躍を夢見て入学したと思う」なんてのたまわたっている。東大も京大も今じゃキャリアセンターを作って学生の就職に力を入れている。地方国立なんて就職率自慢の本まで出発している。今更国立はアカデミズムなんてお笑い。
笑わせるのは学歴だけにしてください。
駅弁大学(えきべんだいがく)とは、1946年(昭和21年)の学制改革に基づいて新設され急増した新制大学を揶揄する呼称。
当時、急行列車の停車する駅では弁当(駅弁)が売られていたが、それらの駅がある町には新しい大学があるという意味である。それ以前には帝国大学をはじめ稀少であった旧制大学に対して、ありふれたものである新設地方国立大学を嘲笑ぎみに呼んでいるものである。駅伝大学との誤植も多い。
占領下の日本において連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の主導により行われた学制改革によって「一県一国立大学」が実現されたが、それに伴って新設されて急増した国立新制大学を諷刺した呼称である。
実際には、旧帝国大学や一流とは言えない無個性の地方国立大学をイメージするものとして使われる。旧帝国大学を除く地方の国立大学については「地方国立大学」と呼ぶのが一般的であり、「駅弁大学」の呼称は現在ではインターネットスラングなどでの使用に限定される。
駅弁大学の誕生
第二次世界大戦で日本軍が敗れると、軍部の独走を阻止できなかった原因のひとつとして、健全な知識階級の絶対数の不足が指摘され、再び高等教育機関の大拡充が行なわれることになった。しかし、それは敗戦直後のハイパーインフレ下という最悪の環境下で行われたため、大学新設は質的向上をもたらさず、結局全国の専門学校が一斉に看板を新制大学に架け替えるという「移行」にとどまった。特に、教員養成課程は戦前中等学校レベルである師範学校が母体となったため「二階級特進」などと揶揄された。
その結果、「国鉄の急行停車駅ごとに大学がある」と評されるほどに、全国各地で新制大学が急増し、ある程度の規模の都市にはどこでも国立大学があるような状態になった。大宅壮一はこれを諷して「急行の止まる駅に駅弁有り、駅弁あるところに新制大学あり」と発言したとされる。かつての進学校生徒などが、「地元の駅弁を出て、でもしか教師になり、気楽な一生をすごすのさ」などと使うのが、典型的な用例であった。




































