入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
国立大学(特に駅弁)崩壊の危機!
2015年度に国立大学86大学のうち、33の大学(38%)で定年退職した教員の後任補充を凍結する人件費抑制策が取られていたことがわかった。国から交付される「運営費交付金」の減額などによる財政悪化を理由に、教員人事を凍結する方針を打ち出し、ゼミがなくなるなどの影響が出ているという。このまま教員が削減されれば国立大学が地盤沈下しかねない状況だ。
⇒元々国は国立大学に三分類の格付けを行い、いずれ「地方貢献型」55大学の廃止統合を目論んでいた。そして年々運営交付金を減らす真綿で首を締めるようなやり方をして、その結果ゼミがなくなるなど、すでに大学の体を成していないところが出始めたのだ。
国の財政は悪化の一途を辿っている訳で国立大学の変容は避けられないところだろう。
AIでの採点が可能と信じてしまったのが大きな間違い。本来はもっときちんとした記述になる予定だったが、発表毎にトーンダウン。結果、「この程度でいいんですか?」という程度の記述に落ち着きそう。
ただ、皆がスルーしている問題として、(後付的な理論武装だろうけど)共通テストで思考力・判断力・表現力を問う方針にしたのは、個別選抜で「人間力」を問えるように、という理由もあった。しかも、この方針にはマスコミの論調として「賛」がおおかったと記憶している…。
身の丈発言の背景には、日本人は貧しい境遇に生まれても努力して出世できるという立身出世物語を信仰する傾向が強いことがあると思う。しかしこれは格差がどうしようもなく拡がってしまった現代には合わない。現代は自己責任を強調する傾向が強いが、逆に言えば本人に責任のない事柄で不利な立場に立たされることがあってはならないということだろう。
受験勉強の有利不利に、投下したお金とそれに担保される質や時間は大きく影響するが、決定的ではない。
推薦やAO、特別な経験や実績を求める入試は、有利不利ではなく、決定的な差が生ずる(本人の努力以外にその実績に寄与する要素、特に保護者の教育への投資が物を言う)
更に一般入試以外が48%を占めているが、それが大学や研究者、社会人に必要な学力の評価と指導育成に本当に違う効果を上げているのか?ということ。
寡聞だが、ハードルが下がり大学に入りやすくなっただけで、高等教育と社会人の学力と質が上がったとは聞いたことがない。
この英語の民間試験も、その準備は遅くとも高2から始めないといけないし、評価が出願資格又は加点なので、入試試験が早まっただけ。
早まれば早まるほど、教育に投資出来る環境が必要になる。
もう一度、それで本当に求める学力が評価出来るんですか?
国立大学法人化は国家公務員25%削減の皺寄せです。国立大学の職員数がほぼ同じ数だったので政府がやり易かったのが真意です。学長の裁量とか強いリーダーシップ等のキーワードは後付けの理由です。また、少子化も遠くに見えていましたので、国立大学の定員削減や統廃合を余儀なくされることになります。これも、財務省の思惑通りで経費削減になります。
大学は運営から経営をすることになりますが、教授はお金儲けの方法を知りません。同時に、文科省等からの天下りが理事や副学長として大学経営陣に入ることは違和感があり、さらに、博士号もないのに教授の肩書を与えていることも異常です。また、助教には任期が付きますので将来が見えません。結果として、上手くいっていないですね。特に、地方国立大学や文系単科大学は人件費の圧迫でニッチもサッチも行かなくなるのは時間の問題です。
大学の数や定員を見直して国立大学に戻しましょう。
まずは文科省の余剰人数を減らす事から始めて欲しい。彼等の仕事を作る為によけいな書類やデータを作成し、そのデスクワークに費やす膨大な時間により本当は一番大切な学生達とのコミュニケーションをとる時間が無くなり、出来なくなっていると思う。
文科省は今のままでは要らない人達だと思う。変えるのなら、上の組織をスリム化して現場主導のやり甲斐のある職場に改善して欲しい。
子供を国立大に通わせていますが、国立で良かったと思ったことなど特にない。
周りは受験を乗り越えて真面目で優秀な学生ばかりというのがせめてもの救いか。
父兄の会では必死の資金集め。苦しい資金繰りが見えます。






























