在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
早稲田政経、数学必須へ。
受験生は激減するかもしれないが、私大トップの矜持を感じる。これで初めて難関国立と肩を並べるかもしれない。
私大文系専願に数学必須はキツイ。
ますます、難関国立落ちの受け皿になるのを危惧するが、英断。
私立文系専願が回避するから、倍率かなり下がるが、全く狙い目にはならない。
私大の中では孤高の存在になりそう。
慶應どうする?
>第一のポイントとして「開成にライバルは存在しない」と私は考えています。
それには異論がある。
そのように、「開成にライバルは存在しない」とまで言い切れる根拠をお示し願えまいか。
また、そのご所論からは、灘や筑駒の存在をどのように理解すればよろしいのであろうか。
「ライバル」とは、多分に主観的な意味合いを含む概念であると私は考える。
したがって、開成をライバルと―公式・非公式に― 考える学校の存在可能性は十分にある。実際に、私と関わりのあった首都圏複数の学校関係者らは―開成に畏敬の念を込めて―自らをそのようにとらえていた。
そして、そのライバル校たちが、開成の東大合格者比率につき、先のように述べていたものである。仮にそれが失当であるのなら、「ああ、そうですか」と申し述べるのみである。私にとって重要な論点ではないからだ。もう、それでよかろうよ。
うーん、もう対応したくないんですが。
東大の合格者数及び合格率からすると、灘と筑駒を除けば比較にならない差がある。
そのなかで「ライバルであると自認する」学校があるとしたら「まあ勝手に言っていればいいんじゃない」以外の反応はありえない。
いったんは受け入れているという段階で、まずいと思いますよ。
さらに「3分の1説」という初めから破たんした主張をする関係者なる人は「頭が悪いか下品か、たぶん両方」というだけだと思います。
前衛さん、妙に寛容ですね。
せめて、人の書いたことは読んだほうがいいんじゃないですか。
>>「東大に限定すると「合格者数」では開成が何十年も1番で、これが入れかわる可能性は当面極めて薄い。
むろん「率」や潜在的な平均学力レベルでは灘や筑駒のほうがはっきり上だと思う。
ただ、そのことは「開成」「灘」「筑駒」の関係者は全員知っていることなので、灘も筑駒も「ライバル」として開成を認識しているということはないと思う。
私が言っているのは「ライバルと客観的に主張できるのは」この2校だけだということですよ。
ただ、筑駒も灘もそういうくだらないことで「ライバル視」するという段階を突き抜けているので「開成だって3分の1」発言は、少なくとも責任のある立場の人は絶対に言わないという確信があります。
そもそも算数の段階で間違っていますしね。
別に逃げる理由も必要もない。
ところで、どこが支離滅裂なのかを具体的に明示して頂けまいか。
私は、学部レベルでの経済学の授業において必須な知識は「理解の道具としての『数式』」であり、それがはたしてどこまで『数学』と呼べる次元ものか疑問だ、との問題提起をした。この点につき、数学をご専門とされる方からのご意見をお伺いしたい。
しかも、それは経済学のある特定分野ー計量的なものーにおいて必要なものであり、たとえば現日銀副総裁である若田部教授における経済学説史のような学問でも不可欠な知見なのであろうか。その辺りもご専門の方のご教示を待ちたい。
学説史を甘く見ていませんか?
専門的レベルで物理学を知らない人は基本的に物理学史は書けないです・
同じ理由で、経済学学説史を書こうと思ったら「それぞれの議論においてつかわれたツール」を認識できなければ無理な話で、とりわけ経済学の歴史は「どのように数学を使ってきたか」の歴史ですので、微分積分も線形代数もろくに分からない人は責任あるレベルで学説史は書けませんってば。
だからね、君たちがたとえ「(開成に)ライバルがいない」「ライバルは二校のみ」といっても、それは君たちご自身のお考えに過ぎなかろう。まして、現実にその他の学校の方々が開成をして「ライバル」と捉えているのだから、仕方ないではないか。
また、私も「ライバル」との概念には多分に当事者の主観が含まれると思われるので、彼等のそれは理解できると考えているということだ。お分かりかな。
その他については、もう繰り返しになるので省かせて頂く。以上だ。




































