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新大学群 SMART +GCH がついに定着した

【5649346】
スレッド作成者: 受験生の意識 (ID:2aGAELq/eRA)
2019年 11月 24日 10:16

週刊朝日2019/11/29号記事より。

早慶に次ぐ私大グループといえば、長らくMARCHやGMARCHが定着していた。
ところが、現状はSMSRT+GCHに変わりつつあるのだ。
(中略)

SMARTは上智、明治、青学、立教、東京理大の5大学。それに次ぐ大学グループがGCH、すなわち学習院、中央、法政の3大学。

受験生はGMARCHをひとくくりにする意識が薄れ、SMART+GCHというグループ分けでとらえるようになってきたということだろう。(以下略)

以上が記事の内容。
すでに受験生に間では、SMART、GCHが定着したようです。

【7682467】 投稿者: 弟妹(ていまい)割引   (ID:lv7sZRJAe9Q)
投稿日時:2025年 06月 16日 15:23

私学の場合は弟妹(ていまい)割引という制度があります。生徒の弟や妹も、入学金割引にしてうちの学校に引き入れようとする作戦ですね。
 また一人の生徒が中学部から高等学部、さらに同学校法人の大学まで進学の場合は他の中学や高校卒業で入試を受けて入ってくる生徒よりも初期費用は安く設定されています。
 どこまで安いかは経営の学校法人によって当然違ってくるとは思いますが。

【7682715】 投稿者: 肩たたき   (ID:T6UAuPYDAd.)
投稿日時:2025年 06月 17日 01:24

どこから入れるかでだいぶ金額が変わってきますが…。小学校から3人だったらかなり裕福でないと厳しいでしょうから、まあ中学からとして…。でも、無事合格したとしても全員が全員、大学までの進路を保証される訳じゃないですよ。中学から高校への内部進学も、あまりに成績・素行が悪いと肩叩きされる場合もありますし。

【7682808】 投稿者: 知り合い   (ID:iGTqUzvbBh2)
投稿日時:2025年 06月 17日 09:56

友人の娘は、大学附属でない私立の中高一貫に通ってましたが、指定校推薦が多く、選択肢が多かったので、大学附属に入れるより良かったと思いました。
塾にも通わず、指定校推薦で行けましたので、結果的に公立で予備校通うよりお得だったようです。

【7683072】 投稿者: メリット   (ID:Zs7cDrP3sA6)
投稿日時:2025年 06月 17日 22:24

簡単な話、支出総額で見るか免除額で見るかを他学校と比較してどう見るかってことですね。

同じ学校基準で他人と比較するならたしかに兄弟・姉妹がいれば免除の恩恵は大きいとは思いますけど、そもそも”子ども3人を”大学までエスカレーターの私立”のメリットを”額面で”比較するというなら総支出をその対象にしないと何の意味もないですからねぇ。

【7740470】 投稿者: Margaux   (ID:RfwPU6vPDQI)
投稿日時:2025年 12月 09日 17:36

支出総額とか免除額とか、数字という平面的な単位で議論しているように見えて、その実、話題の中心はずっと別の場所をゆっくり周回しているんですよね。比較という操作を始めた瞬間に、比較される対象よりも、比較そのものが先に肥大化してしまう。数字を扱っているのに数字の輪郭がどこか柔らかくなり、柔らかくなった輪郭だけ独り歩きして、議論が何を捉えているのかをぼかしていく。

例えば、“総支出”という語も、支出をどこまで含めるかという解釈の揺らぎが必ず生じる。通学環境、家庭の設計、親の思想、時間の配分、選択の順番、そうした非数値的な背景が、数値の外側に無数の層を作る。その層の厚みだけ議論の意味が変形していくのに、表面では数値の比較をしているように見える。そのズレが積み重なると、免除額がどうであれ、総額がどうであれ、どちらを指標にした話だったのかという“そもそも”が後ろへ遠ざかってしまうんですよ。

子ども3人という数量も、教育費という枠に置かれた瞬間、人数という単位で把握できそうに見えて、実際には時間の重なり、人間関係の変動、家庭内の選択圧、進学の分岐点など、目に見えない流体のような要素が絡みついてくる。だからメリットの額面比較と言われても、その“額面”がどの位相で固定されているのかが流動的すぎて、固定したと思ったそばからまた別の方向にずれていく。

免除の恩恵が大きいかどうかと言いつつ、恩恵という語自体がすでに定量化しきれない意味の層を孕んでいるので、その評価を数値に落とし込んだ瞬間に、評価の方が数値の外側に逃げていく。逃げていった評価を追いかけようとすると、議論がまた別の層に吸い込まれて、比較していたはずの数値の実体が曖昧になる。

目的が“比較”である限り、比較の前提そのものが揺れると、比較結果はその揺れを反映して歪む。歪んだままでも議論は進んでしまうから、表層的には筋が通っているように見えて、実際には土台の方が静かに沈んでいく。沈んだ土台の上で、メリットだの総支出だの免除額だのという語だけが空中に浮かぶ。浮かんだものを指標にすると、指標がいつの間にか目的に入れ替わり、目的がまた曖昧になる。

そして曖昧になった目的に向かって、どれだけ数値を積み重ねても、結局のところ“比較が比較のために存在する”という円環に巻き込まれていくんですよね。だから総額で見るか免除額で見るかという二択自体が、最初からどちらにも固定されない半透明の問いになってしまう。

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