女子美の中高大連携授業
「旧帝」という括りは無実化してないでしょうか?
難易度も違いがありますし、就職先もバラバラですし。
どういう成り立ちでこの言葉ができたのでしょうか?
いまだに「旧帝」と塾やメディアまた一部の方が使用する場合があるのはわかりやすいからでしょうか?
旧帝大の決め手といえば研究実績の高さでしょう。国からの補助金も私立大学よりもかなり高いです。
しかし、そんなの普通の旧帝大生にとってはどうでもいいことなのです。なぜかというと、旧帝大の理系の生徒のうち、大学に残って研究を続けられるのはごく一割程度。後の人は大学を追い出され企業に入ることになります。
すると、いままで大量の金をつぎ込んでもらっていただけの化けの皮がはがれて、何にも出来ない旧帝大生の実態が浮き彫りになるのです。
それに引き換え、一流私立大学の生徒は優れたコミュニケーション能力と地頭の良さを発揮して企業の中で目覚ましい活躍をしていきます。受験生の皆さんは、例外的な存在の研究職なんて当てにしてはいけません。
多くの人が進むであろう企業の中で優勢なのは首都圏一流私大ですし、昇進において地方旧帝などは、彼らのの足元にも及ばないのです。
企業での評価が一個人としての総合的な評価。すなわち、地方旧帝は、社会にとって魅力的な人材を育成することが出来ていないと言えます。さらに言うと、社会的エリートに相応しい人材を確保することが出来ておりません。
大学は最先端の研究を行うとともに、その研究に基づく教育を行う場。最先端の研究を行っていなければ真の大学教育はできない、という考え方があります。
一方で、職業人としての就職支援指導や資格取得教育は、実は専門学校でも出来ることです。
大学の定義は何かだと思いますし、その辺りが客観的事実としての世界からの評価、世界大学ランキングに反映されているのだと思います。
少なくとも、少子化の中で、大学の数は多すぎますよね。
「大学とは何か」と定義から考えられないのが、首都圏の私立文系が弱いところだね。数学をしっかり勉強していればそこにたどり着くのは容易だけど、やらずに逃げだ人が多いから私立文系に期待できんな。そういう人は手足になるだけで、そもそも優秀とは言わんよ。




































