在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
これが旧帝大の現実
今年の成人式での会話
理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」
周りの人たち「ふーん」(無関心)
ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)
周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」
理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)
> ゆえにこれからも、ひるむことなく発言を続ける。そして必ずや、私立学校助成を正常化し、私学への不当な差別も一掃する。
単なる宣伝ならこれまでのままでいいけど、他人を説得し動かそうとするのならやり方を変えないと難しいよ。
医学系は確かに日本医師会が政権与党への働きかけが強いがゆえにそうなってしまうのかもしれませんね。ただ、私には、科学技術の発展の度合いに比して日本では、Winnyやデジタル庁の問題などのような件を鑑みると、文系の理工系に対するコントロールが後手後手になっている印象があるんですよね。
そこに、文系政治家、文系官僚の思惑が先行するから。換言すれば、それに異を唱えられる理系人士が乏しいことの証左。いや、理系出身の方々自体は少なくないが、文系論理の前にお手上げの状態。そこで抜け目ない理系人士は方向転換し、文系の論理で以降、生き抜くことに決める。
コロナ禍でのあの「分科会」。そこでの医師や理系研究者らの専門的な知見も、文系人士らによる「経済を廻す」との主語なき大合唱の前に、次々と後退を余儀なくされている。今では事実上、白旗あげての降参状態ではないか。
> 文系の理工系に対するコントロールが後手後手になっている印象があるんですよね。
事後規制でいいんじゃないですか。事前規制をするとリスク対応ばかりが求めれて、新たな技術が世に出ていきにくくなります。まずは技術を世に出すことを優先して、もしそれが広く普及したら何かしらの規制をすればよいと思います。
「分科会」を巡ることに関しては、やはり世間が潜在的にはコロナ対策のために自粛することを嫌がっているのが見透かされている感がありますね。「経済を廻す」という文言もどちらかといえば世間の方から出てきたような。まあ、私の場合はネット世論も世間の声だと見ているので二俣川さんとは違った見方になっているかもしれませんが。
私たちはイデオロギーの虚偽性とその魔力につき承知しているゆえに、ここでときに見受けられる「皆さんもそういっている」の如き寝言の空虚さを知っている。すなわち、資本制社会で支配的なイデオロギーは、人間が社会的生産により社会的生活の物的条件を形成する根底的な経済社会によって規定せられ、歴史の発展の中でその虚偽性を露わにしていくということである。だがそれ故にこそ、ある時代の支配的イデオロギーは、法制度を始め社会規範の生成妥当を規定し、専門家のみならず多くの人々の思考方法をも支配しているのである。
そのうえで、国による一連の地方国立大学統廃合(リストラ)ならびに一部銘柄国立大学過保護といった現象は、そうした土台たるこの国の経済社会の在り方に起因するものだといえる。そして遺憾なことに、多くの人々がその危険性に気が付かず、むしろそれに警鐘鳴らすこの私を悪罵するが如き滑稽なさまこそ、「豚が肉屋を支持する」ごとき資本制社会特有の悲喜劇なのである。食肉工場で、ようやくその過ちに気付くのであろうか(だが、時すでに遅し)。しかし、社会科学に関わる学徒には、それにもひるまず社会に対し問題点の指摘や別視座の存在を訴え続ける使命を有するのである。




































