在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
これが旧帝大の現実
今年の成人式での会話
理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」
周りの人たち「ふーん」(無関心)
ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)
周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」
理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)
> 農学部は非常に強い力を持っています。これは旧帝国大学において特に顕著です。
日本は人口は減っているものの世界の人口は増えており、さらに地球温暖化が進んで農作物が育ちにくくなるので、このまま行けば食料の争奪戦が起こると言われています。そのような状況で農学部を軽視する理由がわかりませんね。生産性や自給率を上げていかないと日本人は餓死しますよ。
> 「人工知能(AI)」に「ブロックチェーン(Blockchain)」、そして「クラウド(Cloud)」に力を入れる。
技術者ならコア技術となる、ディープラーニング、分散データベース、仮想化に注目しますけどね。それにすでにサービス化されている技術を、研究機関である大学が力を入れるなんてありえませんよ。十数年先に実用化されるかどうかの技術を研究しているのです。
宇野弘蔵を気取るつもりはないが、実際政治や党派闘争をそこに介入させると、私の小さな学問にも思わぬ党派性が生じかねないと自戒している。それゆえ私自身、革共同(中核派)の季刊『共産主義者』や共産党の月刊『前衛』、『経済』等にも幅広く目を通す。したがって、書庫には黒田寛一あれば、不破哲三の書物も多数ある(もっともこの両党派は似ていると、反対党派から揶揄されてきたが)。ただ、現在刊行中の『黒田寛一著作集』は、一冊が5000円前後と高い。これでは、一般の労働者が全巻定期購読することは難しいのではあるまいか。
は、農業が長らくこの国の戦前における基幹産業であったとの背景に加え、農業経済論(学)における農業生産力の説明が『資本論』でもって説明されてきた如く、地主・小作関係の在り方含めたこの分野が、主に左派色強い研究者らで担われてきたとの経緯からと思われる。そこにワイマール時代のドイツへの留学経験ある俊秀が教授として就任していったこと等が、学内での存在感の強さとして発揮されたものと推察される。
革マルと言えばクロカンですけど、私にとって革マルと言えば、若い頃、知り合いの革マルの女性闘士と共同開催したエンゲルスの『家族私有財産及び国家の起源』の読書会の思い出が大きいです。
この書はマルクスの『資本論』と並ぶ名著だと思っています。
「感性は作られている。その作られてある感性の資本主義的な傾向性を自己批判によって克服し、社会主義的な人格の基礎となる新しい感性を獲得する」というスローガンの下にこの本を読み進めていたのです。
資本主義はどこか遠い所にあるのではなく、己の感性に内在している。
特に対幻想としての男女間の恋愛感情にその端緒は存在し始める。
つまり、男が一人の女を独占し、嫉妬によって他の男を遠ざけ、婚姻によって女を貞操で縛り、家族を作り、生まれてきた子に己が形成した財産を相続させようとする行為こそが私有財産の起源であり、やがてはそれが資本へと発展していくのだということです。
この感性を超克し新しい感性で恋人と向き合わなければならない。それが本当の革命なのだということです。
彼女は、私の感性の中の資本主義的な傾向性を一つ一つ指摘して自己批判を迫りました。
彼女はそんなに美人ではなかったけれど、やがて自己批判の果てに鍛え上げられていった感性は、彼女への恋愛感情へと向けられていっていることに気づきました。
彼女もそれに気付き、私に注目していました。
結局、彼女とは何もなかったけど、あのとき一線を超えていれば、私も革命家の端くれになっていたかもしれない。
クロカンの文章を読むと、あの時の情熱が蘇ります。
とくにその第1章、2章、9章。その他、エンゲルスでは『自然弁証法』『サルの人間への転化における労働の役割』、むろん『反デューリング論』。私たちの頃にもそうした私的な読書会の伝統が残っており、先輩の指導のもとで古典的文献を輪読した。現在では、文系大学院でその形式で行われている程度であろうか。しかし、少人数で行われるゆえにその効果は大きい。
他方で、都内の某派拠点校であった大学の元理事者の先生から聞いた話であるが、彼等の拠点であった学生会館(学館)の建物解体の件で立ち入ったところ、漫画本以外にさしたる文献が見受けられなかったことに落胆したという。おそらくそれは、学生全体における傾向なのであろう。本を読まない学生増加により、学術系の出版事情は悪化するばかりである。
老後の暇人ですか?
格差を前提にした議論には意味を感じません。
何故なら,組織内に格差はあってもマルクスの言う階級社会は昔から日本にはなかったのだから。
西洋思想かぶれやマルクス思想の欺瞞から目を醒まそう。




































