女子美の中高大連携授業
これが旧帝大の現実
今年の成人式での会話
理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」
周りの人たち「ふーん」(無関心)
ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)
周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」
理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)
意見は多様であることが望ましいが、不適切な呼称の使用は改めるべきである。しかも、それを用いる書き込みからはしばしば、その方々の有する官に対する迎合や劣等感ですら浮かび上がっている。以下、転載。
「そのような次元で以て私が長い間、あえて国家の名称として「日本帝国」と呼称してきたわけではない。まだ、あなたには私の真意が理解できていないらしい。それは、次のような私の歴史観に基づくものなのである。この場をお借りして、概略ご説明申し上げたい。
たしかに当時の日本の公の名称としては、明治憲法により『大日本帝国』と公定された。しかし、それには異論もあった。たとえば明治の元勲・井上毅も、明治憲法制定時に『大日本帝国』との名称に反対した。彼の原案は一貫して『日本帝国憲法』であった(稲田正次『明治憲法成立史』下巻、583頁以下)。そうした井上の真意は定かでないが、私も1945年8月の敗戦までの「神勅に基づき」「万世一系」の天皇が支配したあの絶対主義的天皇制時代に対する消極的評価の反映として、あえて「日本帝国」との名称を用いる。日本帝国主義が1931年中国・東北部へ侵略戦争を始め、とくに1937年7月の日中全面戦争以降の日本帝国の暴走は、およそ「大日本」なる名詞に値するシロモノですらなかった。
それゆえにまた、その苦い反省と否定の上に成立した日本国憲法の現在において、しかもその施行後75年にもなるこのとき、本来否定されたはずの旧価値観による「旧帝」なる呼称をいまだ漫然として使用して憚らない、その歴史的無神経ぶりが到底理解できないのである。それはあたかも無教養の輩が、女性に対して「女子供」と呼称するものと同一線上にあると思われる。「旧帝」なる名称には、そのような重大な意味合い一封建的価値観による官尊民卑的権威主義一が包含されているのである。したがって、あなたのいう「一般に用いられている」との論理など、単なる既成事実への盲従でしかないと言わざるを得ない。
もっとも、あなたご自身がそうした趣旨や経緯をすべて了解されたうえで、あえて「女に三界なし」とまで酷評された男性のやりたい放題であった、あの日本帝国時代での暗黒社会への復古を念願しているのというのであれば、それはあなたのご自由である。もはやつけるクスリはない」
使いたくなければ使わなきゃよいだけ。
そもそも旧帝大なんて言い出したのはここ20年ぐらいでは?
旧帝大、難関国立10大、早慶上理、関関同立、マーチ、日東駒専などは、予備校や塾が作り、マスコミや一般企業なども使っていくなかで、人口に膾炙しただけ。納得感があったから定着している。
通称やカテゴライズはどうでもいいが、歴史と伝統のある大学が研究業績や人材輩出で存在感があるのは、世界各国同じ。
というのであれば、それはそれで一つの姿勢ではある。もっとも、そうした思考放棄は教養ある人士にふさわしいものであるとは思えない。そして、もし根拠を以て意見を述べる、との最低限の矜持にさえ価値を見だせないのであれば、少なくともそれは私が意見交換を期待する対象外との位置づけになる。




































