在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
MARCH = 早稲田・慶應
MARCH落ち早慶進学者が増えている。
友人には、MARCH全落ちで早稲田進学者もいます。
これだけMARCH落ちばかりなのは、既に
「MARCH = 早慶」になっている証拠でしょうか。
更に、最近は日東駒専落ち早慶もいます。
MARCH=早慶 ≧ 日東駒専
私大定員数厳格化で、難易度の差も縮んだ様子。
日東駒専も侮れませんね。
侘美光彦氏の本は大恐慌の研究っぽいですが、
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肝となる金融政策の重要性の記述も薄いし、その領域ならアマゾンで2つしか書評のない同書よりも、世界を真の繁栄の軌跡へと導き世界的評価も定まっている古典の前述のフリードマンや、
米国のみならず世界主要国と金融政策の関係を研究し、大恐慌からの脱出スピードの違いを解明したバーナンキ大恐慌本がスタンダードなので、そちらを参照するのが吉かと。
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なんか昔の中小企業とかを舞台にした小説とかだと「手形の不渡り」がキーになって事態が急変することがあったし、最近は貸し渋りとか貸し剥しとか金融機関もできなくなって融資先と共存共栄していくイメージがあったから、マルクスの時代も長期金融の方が余裕を持たせてくれるのかなと勝手に想像しておりました。
短期デットと長期デットなら、長期デットの方が金利の変動に対する価格の変動が大きい(等比数列の和でエクセル等の実験してみてください。専門的にはデュレーションと言います。マルクス教信者だと等比数列が分からないでしょうけどw)
経済学は自然科学ではない。しかしながら、新古典派は自らの理論につき、物理学の一種として売り込んできた。そうすれば、「なにゆえに少数の者が豊かである反面、大多数の者が貧困なのか」との命題から逃亡することができるからだ。すなわち、不平等は、人間の力では変えようがない自然現象だからだ、と。まさに、観念論の世界に転落する。
実際にミルトン・フリードマンはノーベル経済学賞での受賞演説で、次のように強弁した。すなわち「たしかに、経済学の予測はときに間違えることがある。だが、それは物理学、生物学、医学、あるいは気象学の予測違いの頻度以上のものではない」と。そこでは、人間は単なる原子として扱われる。英国のサッチャーがうそぶいたごとく、「社会などは、存在しない」と。
しかも不思議なことは、彼ら日本の新古典派経済学者諸氏からついぞ、明確な賃上げ擁護論を耳にした覚えがないことだ。そこにあるは、労働者の賃金が高すぎるだの、賃金抑制が必要であり、最低賃金制など無用だのといった現実社会の在り方とは乖離した噴飯ものの観念論である。他方で、憲法25条や28条で保障された生存権や労働基本権への憎悪である。
さらに、新古典派は自由貿易があたかも効率的なものであるかのようにいう。だがそれは、ケインズが指摘したごとく、すべての国で完全雇用が成立しているとの大前提がそこに存しなければならないはずだ。その意味では、世界貿易の約50%が国家間でなく、多国籍企業間の内部で行われているとの現在では、そうした古典的な自由貿易など存在しまい。その代わりに存在するは、マルクスやエンゲルスが初めて認識した巨大多国籍企業におけるグローバル経済であろう。




































