在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
経済思想、社会思想、政治思想、法思想
マルクスとかハイエクとかサンデルに興味のある人、哲学とかに憧れる人向け。
一般よりも、学界や専門家筋で畏敬されている方。たしか樋口陽一先生のお弟子さんであったはず。また、私自身も大昔、東大に足を延ばして大家の講義を聴いたことがあった。あるいはそのとき、今の東大教授らも学生として席を同じくしていたのかもしれない。
恥ずかしくないのかね。
以下、転載。
「マルクスに対抗する一つの方法として、彼の述べた個々の命題や理論を論い、批判するとの手法がある。たしかに労働価値説や窮乏化理論、利潤率低下説などは、それぞれその後の「事実」で覆すことは可能かもしれない。しかし、それでもなお今日、「資本論」などに象徴されるマルクス主義が注目され続けるのはなぜか。/それはマルクスが、ヘーゲル哲学を批判的に止揚した唯物史観との方法で、歴史全体の動向をダイナミックに描き出したからだ。換言すれば、マルクス批判派は彼の個々の命題といった枝葉末節的な部分に拘泥するばかりで、マルクスに本格的に対抗しうるスケールの世界観を提示できないでいる。また、そうした木を見て森を見ぬ傾向は、君にも濃厚に見て取れる」
私は、ネットと朝日新聞の書評欄でしか石川氏の言説やその評判に接したことがないのですが、石川氏の論じた「制度保障体」論は、例えば大学教授に関して言えば、組織体としての大学が法的に存在を保障されることで大学教授の自由が守られるのであって、直接的に大学教授がその自由を法的に保障されるわけではないということだと理解し、すごい学説だなあと感じました。
の観点からは、君のほうが観念論による妄想の域に陥っている。私淑する梅本克己は次のようにいう(『唯物論入門』56頁)。
「錯綜する関係を、その全体的な関連においてとらえ、或る一つの現象だけを孤立してとりあつかわず、つねにそれを生きた現実の全体の一環としてつかむところに、はじめて自然ならびに歴史の法則はつかみ出され、その法則の適用によって、はじめて私たちは現実の全体を支配することができる。これを私は弁証法的思惟の根本的態度とよぼうとおもう。したがって、この態度が正しく生かされるところでは、思惟を思惟する物質、その自然ならびに人間の歴史の、全関連からきりはなすことはできない。もしこの全関連のなかから、ある一つの断片だけをとり出して全体を割り切ろうとすれば、かならず私たちは観念的空想の泥沼に落ち込むのである(君のこと_引用者注)。だからこの点からすれば、弁証法的態度と唯物論的態度とは二にして一なるものだといってよい」




































